愛の日記


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吸引サイクルと崩壊サイクル 2016年09月01日(THU)

  フリーエネルギー原理の説明が続いていて退屈をお感じになられる方も多いかと思いますが、今回はわかりにくいと言われる、吸引と崩壊のサイクルについて、前述の内容に付け加えて説明させていただきます。

呼吸と同じようにエネルギーの流れにも吸引と崩壊の二つの流れ、サイクルがあります。飯島先生は崩壊という言葉はお使いにならず、放出サイクルとおっしゃる場合が多かったと思います。

放出も崩壊も同じとお考えください。
ギャップを元に戻そうとしてエネルギーが注がれる際に放出サイクルからスタートするのか、もしくは吸引サイクルからスタートするのかは、重要です。

私の言い方になりますが、意識から出発しているものが吸引サイクルであり、現象を受け取るものが崩壊サイクルです。

命は波動であり空であり無でありますが、イノチは常に振動しています。ただその振動は最小の振動であり、計測できないゆえに学術的には無と言わざるを得ません。

その無からエネルギーが訪れるのです。無にあるものは、無ですから、有限のものではありません。意識は無に属しますので、無は意識と言ってもよいのです。

創造のサイクルはすべて無からスタートしますが、簡単に言うと、意識からスタートすることになります。

しかし、実際の私たちの世には、意識からスタートするものと、結果からスタートするものという、二つの方向性が出てきます。

朝起きて、ああ、仕事に行かなくちゃ、、、となれば、それは崩壊のサイクルの中で生きていることになります。

朝起きて、さあ、きょうは何だったっけ、、、会社に行って、まず、あれをやろう、、これをしよう、、、という姿勢になれば、それは吸引のサイクルの中で生きていることになります。

あくまでも例ですが、決して的外れではないと思います。朝を例にしてみても、一日の自分の生き方のスタンスが、やらされてる風か、もしくはやってる風かで、崩壊か吸引かが決まります。

あくまでサイクルですので、呼吸のように、吸引と崩壊は起こるのですが、どちらが先かによって、自身を取り囲む意識場が違ってくるのです。

朝起きて、ああ、、、いやだな仕事か、、、という場合でも、まずごはんを食べて、、、、、と次に思い出し、そうだ、好きなタラコがあったっけ、、、、となれば、、がぜん、意識が自分のペースになってきますので、崩壊のサイクルの中にあってもどうにかそうした前向きなものに従って体を動かし、会社に行ったりすることができます。

しかし、朝ご飯のタラコも、通勤途中にである魅力的な異性も、ついに前向きな意識にならないとなると、崩壊のサイクルの中にどっぷりつかり、ついには体を動かすこともできない、一般に言われる鬱を引き起こす場合もあるでしょう。

病気になる人もいれば、やけになって生き方を踏み外す人も当然出てくるでしょう。

逆に吸引サイクルからスタートすれば、朝起きて、そうだ、あれをやろう、、これをしよう、、、とかなり前向きになるわけですが、その中でも、あっ、冷蔵庫のタラコがなくなっている、、、ということがあっても、まっいいか、、、と、本体に影響を与えることはなくなるわけです。

卑近な例になってしまったかもしれませんが、このように、生きる姿勢に伴う意識が、放出サイクルから始まるのか、吸引サイクルから始まるのかによって、こうした生き方の姿勢が決定されてしまうでしょう。

では、この崩壊か吸引かを決定するものは何か、、、ということですが、それが意識圧であるということです。

私たちは神であり、創造者なのです。自身の意識圧が作ったギャップを埋め合わせるエネルギーの到来は、吸引サイクルになります。

物との認識による意識は、人の作った意識に従いますから、崩壊サイクルからのスタートになります。

この崩壊と吸引は、小さな出来事の一つ一つの決断時にも表れますが、もっと大きな自身と世界をどういう関係でとらえているか、、、、という世界観と関係します。

この世は物質で、すでにあるものに従う、、、という意識の前では、常に崩壊サイクル優先となります。

物質は結果物ですから、誰かの作ったものです。会社の社長でもいいし、リーダーでもいいし、国家の指導者である場合もありますし、宗教という神が相手の場合もあるでしょう。それらが創造者であり、あなたは奴隷になります。

いずれにしても、すでにあるものに従う意識は、崩壊サイクルから始まるエネルギーのスタイルになります。

これに対し、自身の意識からスタートするものは違います。すべては意識から生じるのです。どんなに具体的で物質的なものであっても、取り組む際の意識次第で仕事が違ったものになるのです。

会社に行って仕事をする、、、会社は自分の会社でもなく電車も人の電車に乗る、、、それ自体は当然です。

しかし、その会社に行って、仕事を、通勤で電車に乗ること自体の意識が自身のものかどうかということです。

やらされている、、、というのでは、外部が重要視されてしまっています。

やってる、、、というのでは、自身の意識が重視されています。

これによって、同じ仕事をしても崩壊が進む人と、吸引が進む人に分かれるわけです。

同じことをするにしても、一度、自分の中に入れて、自分のものとして取り組めば、そのサイクルは吸引になります。

ひふみ神示には、これから人は毒を食べるようになる、、、というようなことが書かれていますが、それでは大変なので、すべてを神にささげろ、、、一度ささげてから食べろ、、、ということをすすめている。

神に捧げれば、それは物ではなく神からのゆずり物となり、毒もなくなる、、わけだと。これはまさにサイクルを変えることと同じなのです。

同様に、私たちも、まず、何をするにしても、自身の意識の中に芽生えた新しい思いからスタートすれば、吸引のスタートになります。

その姿勢で生きていれば大丈夫なのですが、どこかで、この世的な力を優先させ、物を生み出す力よりも物自体を優先させる意識に至ったとき、エネルギーパターンはパタンと崩壊サイクルに入ってしまうのです。

逆に、崩壊サイクルからスタートした姿勢でも、どこかで、もういいや、、、もうやめ、、、死んだってもうこんなことやだ、、、というような、物や実態から来る意識とは異なる無の意識地点に戻ったなら、その時からその人は吸引サイクルに変化するので、すべてが良くなっていきます。

物に従うのか、、、物を所持し、物の力を見せつけるものを最大のものとしていきるのか、、、小さくとも自身の中にある意識からすべての事柄を生み出すのか、、、その違いが、吸引と崩壊の違いです。

現在は残念なことですが、多くの人が崩壊のスタイルになじんでいます。なので、地球自体が危なくなっているのですが、少なくとも金融の不自然さは近いうちに崩壊する以外にないでしょう。自然が崩壊を始めたらこれは大変なことですが、十分にその可能性はあります。

不自然な人間の行いによることが唯一の原因です。けっきょく、多くの人の意識が物信仰の崩壊から物を作る原因の世界の意識に変化しない限り、やはり無理なのです。

吸引と崩壊のサイクルはまだまだ例を挙げ、色々な角度から今後も語りたいと思います。


お知らせ
MIチューナーの進捗状況についてのお知らせ

MIチューナーのご予約をいただいております皆さまへ、発送の進捗状況についてお知らせ申し上げます。

8月中旬から下旬に発送する予定でおりましたところ、8月31日現在、チューナーの入荷が遅れております。お待ちいただいています皆さまには、大変ご迷惑をお掛けする次第です。

MIチューナーはニチオン製の高品質チューナーですが、人の手によるところの多いもので、一般に市販されているプレスしたままを製品化するチューナーと著しく違っております。

一本一本に手作りの工程があり、とくに最終チェックはニチオンの天才的な職人の個人的なもので、又の部分が光って筋が入っているものが多くあります。

それは最終チェックで又の部位を削り取った傷後で、極めて高度な業であり、ニチオンチューナーが世界一といわれる所以でもあります。

こうした天才的な職人が現在入院中でおります。

そのため、製品の納品が一ヶ月は遅れるということになり、9月中には大丈夫とのお話しを得ております。

お待たせした上にさらに一ヶ月ほど期間が伸びることになりますが、どうかお待ちいただけましたら幸いに存じます。

他の体制によるチューナーも世界のニチオンのものでまったく問題はないのですが、MIチューナーの伝統は最後まで守り続けたいと思っています。

       MIチューナーご予約の皆さまへ    
                   
   2016年8月31日  
                              マドモアゼル・愛


現在お待たせしておりますチューナーは下記となっております。

鏡面仕上げノーマルチューナー528Hzの100番目以降にお申込みいただいた分
ノーマルチューナー528Hz
エンジェルチューナー
ソルフェジオチューナー6音セット

以上です。
マドモアゼル・愛 公式SHOP
 


フリーエネルギー 圧とサイクルについて 2016年08月30日(TUE)

  昨日のブログの続きで、フリーエネルギーの原理その2となりますが、圧とサイクルの話しをさせてください。フリーエネルギーを考えるとき、とても大事な視点となります。



 圧とサイクル  吸引と崩壊のサイクル


人も動物もあらゆる現象も、それを維持しているのは、すべてフリーエネルギーによってなのです。物からエネルギーを得ているわけではありません。物には何の力もないのです。
私たちが生きていられるのは、一重にフリーエネルギーを取り込んでいるからなのですが、それを、あたかも食べ物や物質の恩恵であると誤解しているところに、あらゆる科学や医学を始め、現在の世界観の限界があります。

あらゆる物を生かし続ける力は、フリーエネルギーです。私たちはフリーエネルギーによって以前も今もこれからも生かされていくのです。

ギャップを埋め合わせる際にフリーエネルギーが訪れることは前のレポートで語りましたが、他にも法則があります。

まず、圧の高い方にエネルギーが集まります。エネルギーは圧の高い方に集まるのです。

石などは地球圧という高圧を受けて物質化していますので、永続性が他の物質に比べて高くなります。周辺圧よりも低ければ、その物質は崩壊現象に入ります。しかしながらどのような物質も、たとえ永遠性があると思われる石でさえ、いずれは崩壊現象に入り、空に戻ります。物質はなんらかの意識が作用して生じた結果ですが、出現したものは、必ず空に戻るのです。宇宙はすべてを無に戻します。

どんな物質も基本的にこれを避けることはできません。常にエネルギーを与え続けていれば、物質はその間は永続します。肉体も同様です。

その際に、圧が高いことが重要ですが、圧はまずは物理圧であり、けんかをする際などは、首をすくめて圧を高めているのが自然です。格闘技などでも、戦いのときには決して圧を抜きません。圧が下がるとエネルギーが出ていくことがわかるからです。

海は大気よりも圧が高いので、空中からエネルギーを集めます。海の圧が汚れなどによって抜けると、死んだ海になってしまいます。それでは大変なので海は嵐を起こし、台風を起こしてギャップをつくり、海にエネルギーを取り込むようになります。

大地も圧が弱まれば土が死に、地球のエネルギーが不足します。その際には大陸が一夜にして動き、天地さかさまの大異変によって最終的にはエネルギーを補うことになるしかありません。山が海に海が陸に、、、そうした変化は過去に何度も起きていいます。山の頂上から貝殻が出てくることも珍しいことではありません。

物理圧の他に圧を高めるのは、意識圧です。意識圧の方が物理圧よりも優先します。意識圧の中でも最も圧の高いものが、自分は肉体ではなく意識体であるとの認識を元に、すべてがイノチであるとの認識に至ることです。イノチはひとつという意識圧が最高の圧となります。それは事実に即しているからです。幻想や思い込みから生まれる力には限界があります。

我よしの世と言われますが、原理的にそれでは永続性はありません。本質に根差していないためです。進んでいるように見える宇宙人でも、そこに優生学的発想がある場合は、決して進んでいる宇宙人とは言えません。イノチはひとつであり、すべてのものの出どころは一か所で同じです。私はあなたであり、あなたは私であり、自然は私であり、、、すべてがイノチなのです。みんなひとつなのです。そこから来たし、そこに戻るのです。

(これは飯島先生に伺った話しであり、私自身、本当にはわかっていないかもしれないことを申し述べて置きます)

この世の物質も意識も、すべてがそこから出ているイノチなのです。この世にイノチでないものはひとつとしてありません。プラスティックも鉄もゴミすらも、すべてこの世にあるものの最小単位を追っていけば、それは無に限りなく近い無そのものと言ってもよい小さな小さなイノチなのです。

この世にイノチでないものは存在しません。それが圧などで吸引されて物質化したり、圧が周辺圧よりも弱くなることで再び空に戻っていくのです。

ですから、意識はすべてのイノチに通じるカギをもっています。すべてはイノチです。みな同じものからできているのです。思考も物理的には無に見えるイノチであり、意識も同様です。愛情も怒りも憎しみもすべてイノチの発揚であり、イノチそのものなのです。

ただそれが固い固い物質的な形を取るか、研ぎ澄まされた意識体となっているかの違いです。働き掛けられる言葉はたった一つでいいのです。イノチの共通言語があれば私たちは何に対しても働きかけることが可能なのです。

動物にも植物にも空気にも大地にも海にも、すべてのものに語りかけられる意識が一体というイノチの意識なのです。共通言語はこれ以外にありません。

肉体の意識でみれば、この世は物質しかない世界になりますが、見えない世界がないというわけではないのです。重力のないイノチですので、時間に縛られることはありません。時空を超えるイノチがあるのです。というか、本来、イノチとはそういうものなのです。

イノチは時間も超え、場所も超え、霊的世界とも共通しています。お化けの世界は幽界の低いところといえるかもしれませんが、幽界の低いお化けの世界は、物質化を離れた意識がまだ物質にこだわるという、本当はお化けではない、物質であろうとする霊といえるわけで、極めてこの世的、物質的な世界と言えます。

このように意識はどんなものでも作り出します。意識からしかつくることはできないからです。

フリーエネルギーは無から来るエネルギーですので、これを理解するには、どうしても無の構造に行かざるを得ません。霊的世界や幽界や神界と呼ばれるような世界があるかどうかはわかりませんが、意識は無限ですので、何かを構造的に作る本能があると思います。

表現されるものには、何等かの構造があるわけですから、幽界や霊界などは当然あることになります。

次にエネルギーのサイクルについて考えましょう。エネルギーは一方的に訪れるのではなく、リズムがあります。それが吸引と崩壊のサイクルです。

吸引のサイクルから始まったものは、永続します。エネルギーを補充できるからです。崩壊のサイクルから始まったものは、崩壊現象をもたらします。エネルギーをなくすからです。サイクルを何度も繰り返すことで、段々と健康になったり、病気になるなど、物質化が強固になるか、崩壊を早めるかします。

吸引のサイクルを知ることが重要になるわけです。
エネルギーの呼び込むの呼吸のようなもので、リズムがあるのです。どちらが始まりのパターンかによって吸引サイクルか崩壊サイクルかを暗示します。

昨日のレポートでは、音のギャップについて語りましたが、その際に、ラジオの音やCDの音は崩壊サイクルという話しをしたと思います。

これはどういうことかというと、意識を伴わない音は崩壊サイクルの音になります。ラジオは自分の意識と異なるところから、勝手に表れた音です。自身の意識が主体となって表現されていません。なので、どんなに好きな音楽を聴いても、始まりは崩壊サイクルなので、エネルギーを得ていると思えても、実際は奪われているわけです。

こういうと、好きな音楽を聴くことが怖くなるかもしれませんが、実際には、好きな音楽でしたら、音の切れ間切れ間などで、自身の意識が働きますので、崩壊のサイクルから始まった音をパタンと吸引サイクルに切り替えることがあるわけです。

純粋に音楽が好きで、深く愛していたなら、この切り替えは必ず行われます。しかしながら族的に無意識的に聞いていたなら、崩壊サイクルは変化せず、疲れることになると思います。

もうひとつ、例をあげてみましょう。
自分が出している雑音は気になりませんが、人が出す雑音は気になります。よくあることだと思います。自分が出す音はなぜ気にならないかというと、自分の意識からスタートする音だからです。人が出す雑音は突然こちらの意識と関係なく訪れますので、サイクルが崩壊から始まっているのです。

救急車の音などは、人を不安にさせる周波数だと言われていますが、確かに夜中などに聞くととても不安な気持ちになります。これも、自分が出している音だと思って聞くとどうなるのかということですが、一般的には切り替えは難しいと思います。しかし、ん、、、という発声を最初に出して、その上で救急車の音を自身が出していると思うようにすると、比較的にスムースに救急車の音に対する不安感は消えます。

ん、、、という自分の意識のスタートを先にもってくるため、救急車の音は吸引サイクルとして働くからです。

救急車を運転している人は、おそらく、その音を聞いても不安にならないと思います。それは、任務に着いている自身の思いがあり、人を助けるために運転しているとの思いがあるから、その音は吸引サイクルからスタートするのです。

このように、音に限らず、あらゆる現象を崩壊化からパタンと吸引化に変えることが本当は可能です。そのカギは、ん、、、という前置きに置くとわかりやすいことでしょう。まさに、ん、、、は無そのものなのです。

すべては創造者である自分の意識からスタートする場合、あらゆる営みも作用も吸引スタートとなるのです。何事も心して行うことがいかに大切かということでもあります。

飯島先生が開発されたあらゆる製品は、周辺環境にある空気や水や音の崩壊化をパタンと吸引サイクルに変えることを目指したものとも言えると思います。日頃、私たちは吸引サイクルで生きているか、崩壊サイクルにひたってしまっているか、、、

我は意識なり、、、とのスタート地点に立って何事も作用を行っていく、、、これが本当の健康ということになると思います。


お知らせ
9月6日のフリーエネルギーセミナーの追加募集を行っていましたが、在庫ゼロのまま募集を行っていたようで、受付ができなかったようです。大変失礼いたしました。現在は修正しております。

マドモアゼル・愛 公式SHOP
 


フリーエネルギー原理解説 2016年08月29日(MON)

  フリーエネルギーの原理をきちんと説明してものが世の中に少ないので、わかりやすく下記させていただきます。わかりにくいところもあるかもしれませんが、私なりにまとめてみましたので、ご覧くださればうれしいです。


フリーエネルギー原理  マドモアゼル・愛

エネルギーはすべて無から生じる
物には何の力もない 物はエネルギーの結果物であり、それ自体には力がない

宇宙の原理
宇宙はすべての変化を元に戻そうとする  
反作用の力が宇宙の原理である   すべてを無に戻す力

作用に対して必ず反作用が起こる
反作用こそがエネルギーである

拮抗する場には反作用が働いている

あらゆるギャップがつくられれば、ギャップを必ず元に戻そうとする力が入りこむ

ギャップをあえてつくることで反作用の力、すなわち無からエネルギーを得ることができる

ギャップの種類
重力が作るギャップ  
壁や大地に50キロの力を加えれば、壁や大地は50キロの力で押し返す    
作用と反作用が拮抗する無の重力だが、拮抗する無からは、プラスアルファのエネルギーを得ている

例 人が立つだけで足裏から無のエネルギーを受け取る
  人が寝ているだけで接触面からエネルギーを受け取る(病気などでは寝ることが多くなる)
1億トンと1億トンが引っ張り合えば、どちらかに1グラムの力を加えるだけで二億トンを動かせる

水流によるギャップ
洗濯機は水流のギャップによって汚れを落としている
より複雑なギャップをこしらえる洗濯機ならば性能は非常にアップすることになる
水流のギャップが反作用を呼び、エネルギーをもたらすからだ
汚れとは、エネルギー不足のことを言う。エネルギーが不足していると汚れる。健康な動物は汚れない。自然も同様。自然は洗剤など使わない。

暖流と寒流がぶつかれば漁場ができる。そこはギャップを埋め合わせようとエネルギーが注がれ、生命にとって良い環境となるからだ
二つの水流がぶつかることでエネルギーを得ることができる

風によるギャップ
同じ扇風機を二つV字状に置いて稼動させると、風は中央でぶつかりかなりの部分消失するが、その地点にエネルギーを呼び込む。よって、生命に良い場ができ、残った風はエネルギーに満ちており、非常に快適な風となって、快適な空間を作り出す

台風は風のギャップを利用した浄化作用であり、台風が過ぎた際の街中は光っている。通常の雨では見られない光景は、場にエネルギーが高まったためである。海もエネルギーが不足すれば台風を起こし、エネルギーの補充を始める。

音によるギャップ
人と人が声を意識的に合わせるとエネルギーが呼び込まれる
二つの声のギャップを元に戻そうとして反作用が始まるからだ。
また、声には意識圧がかかるので、最高の作用、すなわち質の高いギャップを作ることが可能となり、多くのエネルギーを得ることになる
チューナーは二つの部位に別れており、両翼が振動して中間点で音がぶつかり合う。両翼の中央には拮抗した音の場ができ、エネルギーを呼び込む。

周辺に飛んだ音は周辺圧や周辺の空気との間にギャップをつくるので、それを元に戻そうと無からエネルギーが入りこむ。

チューナーはもっともシンプルに作用と反作用の原理を表現している。
幾人かの声が合わされば、大きなエネルギーを得る道が開ける可能性が高くなる
音、とくに声には、必然的に意識圧がかかるので、エネルギー源として、最も高度なギャップ作りの媒体は音である。音なしで高度な表現はできない。音なしで高度なエネルギーは呼び込めない。

音と意識圧
こちらの意識と関係ない音がやってくると、エネルギーを奪われる。こちらの意識にそった音を出すと、エネルギーが訪れる。ラジオやテレビなど。
大勢の人が同時に母音トーニングすることで大きなエネルギー場をつくることができると個人的に思っています。聖書には144000人の合唱という形で表現されている。

光によるギャップ
光と光をぶつけ合うと干渉しあって粒子が消える、、、そこにはエネルギーが注がれます。
光と光をV字状にぶつけ合い照射する場にはエネルギーが発生する

光と光を同時に同じ場に照射することで、背中なら背中が柔らかくなる。他の部位でも同様です。私は光と光を同時にV字状に照射した場を体につくることで高度のエネルギーが得られると考えています。

V字状の光を色々な物に照射することで、その物にエネルギーを注げるので、活性化及び
継続化、ないし永遠化が可能になると考える(あくまで私の考えです)

炎と炎をバーナー化して同時にV字状に照射したら、おそらくあらゆる毒素を分解できるはずです。(私は実験してませんが、必ずそうなるはずです)


この世の物には何の力もないが、ギャップをつくる作用に使える。どの物質でギャップを作るのがベターなのかは、何を求めるかによっても違うが、およそ下記の順番でエネルギーが高度なものになっていく。

重力によるギャップ(一般の物質によるギャップ)
重さと重さを拮抗させたり、重さがあるものをかけ回すことでギャップを作ることができる。

一般の物質のよるギャップであり、水流なども。肉体などは、体の部位部位を揺らすだけでギャップができるので、何も激しい運動などはエネルギー補充のために行う必要はない。体の部位をどこでも軽くゆする、、、、それだけで高度なエネルギーが得られる。

風によるギャップ
自然界の植物は風で葉を揺らし、空気との間にギャップを作ってエネルギーを得ている。

人の髪の毛も風のギャップにより脳へエネルギーを運んでいる可能性は高い。髪を揺らすだけで人はエネルギーを取り込めるはず。

光によるギャップ
物質化が稀薄になるほど高度のギャップを作ることが可能になる。光は電磁波であり物質ではあるものの、一般の物質よりは軽い。よって高度なギャップ作りには非常に効果がある。

二つの光を同時にV字状に肌などの一か所に当て、そこにエネルギーを取り込む実験を私は何十人にも試し、自身にはある装置をつかって小部屋に光を満たすことで実験し、確信に至っている。より物質的でないもののギャップの方が高度なエネルギーを取り込める。光は非常に良い媒体です。

磁力によるギャップ
磁力は光と同様に考えます。磁場と磁場がギャップをつくることでも高度なエネルギーは得られます。ゼロ磁場というのは、磁力と磁力が拮抗してギャップを恒常的に作っている地帯を言います。

長野県などにあるそうですが、人が突然数メートルも動いたりすることがあるようです。磁場と磁場が拮抗すれば恒常的にエネルギーが得られるのを、サークル状で私も実用化していますが、それを水道につけることで、シンクは汚れなくなり、お鍋もお風呂もきれいになりました。水も味がよくなります。

これは拮抗する磁場がゼロ磁場を作って恒常的にエネルギーを呼び込むからです。

音によるギャップ
音は光以上の媒体です。光は物質ですが音は何だかわかりません。光以上に物質的でないものが音です。音のギャップは高度なゆえ、そこから来るエネルギ―も高度なため、わからない人にはわからない。光は物質的ですので、比較的その効果がはっきり認識できるが、音のギャップは説明できない高度なものです。

音によるエネルギー補充は説明しきれないのですが、声と声を合わせた時の喜び、、、チューナーの音がこだます際に感じる体感、、、これらは、高度なエネルギーを得た際に得られる特徴でもあります。

意識圧によるギャップ
音が高度なギャップを作るのは、そこに意識圧が光以上に乗りやすいからです。とくに声はだませません。声にはそれを発する人の非常に深いところから出てくる本質が見えます。それが表現されるわけです。要するに意識圧を伴ったギャップの媒体となるので、音は高度なのです。

そして最終的に、もっとも物質から離れたもの、、、意識です。意識は計測できないし重量も働きも計測できません。計測できない無に近い存在、、、、すなわち意識は無そのものです。

本当に何もない無としてしか意識できなければ、死んでも無という無間地獄のような現実を作るのも意識です。意識のギャップがすべての現実を創造します。
山に動けと命令すればそのようになるだろう、、、とはイエスの言葉。飯島先生も同様のことをおっしゃいました。

意識とは無であり、無とはエネルギーなのです。すべての物は意識が作っています。

無の無という意識は何もつくれませんが、意識が自分であるという思いからは、すべてのものを作ることが可能です。自分が意識である、、、ということは、無を受け入れる、全体を受け入れる、、、イノチを受け入れる、、、すべてがイノチであることを受け入れることと関係します。

意識のギャップとは、意識圧のことです。それは全能意識ですから、全能になります。誰もそこにまでいけないかもしれませんが、事実は事実であり、私たちには誰にも意識があるのです。その意識を物を優先させることで無力化している現代の行く末は簡単に理解できます。

意識圧を高めるには、自分が物であるという捉え方が少なくなればなるほど意識圧は高まります。自身の中に永遠性がなければ外に永遠性を作ることはできません。
何を作るかは、その人の意識圧次第ということになります。

このように、ギャップから私たちはエネルギーを得るのですが、ギャップ形成の最高のものが意識圧となります。ただそこにいく前段階として、わかりやすさが必要でしょう。
物質の重量、、、風、、、水、、、、光、、、音、、、、そして意識へと、段々と気づき、自身の段階に無理のないギャップを作っていくことで、だれでもエネルギーを得ることができるのです。

体を軽く揺らすだけでも体にはエネルギーを取り込めます。揺らせば、ギャップが生じ、それを元に戻そうとして、エネルギーが入りこむからです。

さらに風のギャップ、水のギャップ、、、台風の中に立てば、おそらくかなりのエネルギーを取り込めるでしょう。ただし、それは危険なので絶対にすすめませんが、台風一過のエネルギーに満ちた気を浴びることだけでも、日頃思ってもみなかったアイデアなどが出る可能性もあります。

すべての問題はエネルギー不足がもたらしているのです。そして、どんなに難しいクリアできない難問に思えても、それを解いたり、解決する方法は一つしかないのです。それはエネルギーを取り込むことです。

そしてそのエネルギーは無からしか訪れないのです。基本はですから無をどのようにして作るかということになります。それがギャップです。色々な物を使って、ギャップをつくれば、それを埋めようとしてエネルギーは訪れるのです。

ギャップをつくる物として、物、水、風、光、音、意識があるということです。

私たちがこの世に唯一しかない体と顔と個性で存在しているのは、自分にしかできなギャップを作るうえで非常に有利だからです。その自分を嫌うことは基本的にですから間違っていたわけです。
 


フリーエネルギーセミナー会場変更 2016年08月26日(FRI)

  9月6日に行うフリーエネルギーセミナーの会場を同じビルの大きな部屋に変更しました。会場の広さが当初50人規模でしたが、これを200人まで入れる大きな部屋に変更になりました。

大きな部屋になりましたので、色々なワークショップが可能になりました。参加者全員でのトーニングエネルギーワーク。光体験の設備も作れます。

会場費用が3倍になって15万円ほどになってしまいましたが、先週の札幌記念のネオリアリズムの単勝で儲けたので、大丈夫です。

当日の内容は、午後5時半開場。午後6時からスタートし、途中20分の休憩をはさんで午後9時まで行います。

重さと重さが拮抗した際に生じるエネルギーの体験は、パートナー同士、また幾人かのグループで行います。

音と音がギャップを作った際に得られるエネルギーの体験はこれもパートナー同士で、また八方に八人が円を描いて立ち、中央に人が一人立って、その人向けて母音を発声する。

声を出すことが慣れてない人もいますので、メガホンを用意し、メガホンでの発声なら誰でも可能なはずです。
チューナーならさらに良いでしょう。

中央にいる人の周辺に音のギャップができますので、音がもたらすエネルギーの場が作られます。これを体験してもらいます。

八方にいる乙女が中央の天皇に向けて発声する、、、そんな古代作法があったと思いますが、凄いエネルギー場が作られたはずです。隠された天皇業ですね。

さらに、光によるエネルギー場を作ります。ひとつの光ともう一つの光を同じ場所に照射することで、エネルギーが得られることは、私にとってはもう疑いようのなちい事実ですが、もちろん、科学的に認められることはないでしょう。

しかし、皆さまがどう感じるか、、、それを体験してもらいたいと思います。光のギャップ実験です。

二つの光の照射、、、さらに、音の時と同様に八人が中央の一人に向けて照射する、、、、考えるだけで震えるものが。

さらにチューナーによる同様の体験と、チューナーにさらに光を加える立体のギャップの体験。

体調がどう変化するか、、、体感がどのようになるか、、、ぜひ試していただけたらと考えています。

会場が広くなりました分、追加のご参加が現在可能になりました。この機会にみずがめ座時代を見るかのようなフリーエネルギーセミナーにご参加ください。

フリーエネルギーは嘘と断定されることが多いのですが、わからない人にはわからないものなのです。

愛という思いは体のどこから来るのか、、、解剖して確かめる、、、というかのような科学信奉者には、絶対にわからない構造をしています。

なぜなら、意識が大きく絡むからです。物にしか真実がないと思う人には、わからない構造をしているのです。

現実に出る変化についても、科学信奉者の目を覚ますことはできません。意識が違うからです。

何であれ、副作用のないエネルギー取得の方法とその考えを得ることができたら、私たちの未来への考えの姿勢も大きく変わると思います。

当日は土橋重隆医学博士、そして、テネモス財団理事長の釘本ひろみ先生がお見えになり、私を含めた三名で進行役を務めさせていただきます。

釘本ひろみ先生は、亡き飯島秀行先生の一番弟子であり、飯島先生からもっとも信頼を置かれていた先生です。

飯島先生の身近にいて、その息吹を今なを直に伝えられる人は釘本先生を置いて他におりません。

9月6日は沖縄から直接いらっしゃいますので、飛行機の関係でもしかしたら30分ほど遅れる可能性がありますが、その際は私のワークショップを最初に行うこととし、皆さまにはなんらかの体験をされてから、釘本先生、土橋先生のお話しを聞くことで、むしろ実感が増してくると思います。

フリーエネルギーセミナー会場の拡大に伴う追加募集のご案内でした。当日を楽しみにしております。

マドモアゼル・愛 公式SHOP
 


夏季お休みのお知らせ 2016年08月22日(MON)

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明日から一週間、29日の月曜日までSHOPマドモアゼル・愛はお休みします。オープンは30日の火曜日からです。カートでの発売は継続で変わりありません。

以前にもお伝えしましたように、この一週間は講演と勉強の期間となります。

光によるギャップ作りの実験が勉強の主な課題で、すでに色々な実験を行っていますが、個人的には光ギャップがエネルギーを呼び込むことへの疑念はなく、確信に至っています。

ただ、それは科学的には認められるものと違いますので、残念ですが、効果や驚きについて大声で言うことはできません。あくまで私はそう信じる、、、という形にならざるを得ないわけです。

あらゆる問題は副作用にあるのです。体に良いものや、エネルギーを取り出すのに良い物、現象などを人類は追求してきているわけですが、どんなに良い物にも必ず、副作用が伴います。

本当は、物には何の力もないのですが、物がエネルギーを取り込むある条件を知らぬ間に作り、結果的にエネルギーを取り込むのを見て、私たちはあたかもその物にエネルギーがあると勘違いします。

物は条件作りはできても、物自体には何の力もありませんので、そこからエネルギーを取り出すことは不可能です。

また悪いことに物を食べたり、薬を飲んだり、運動したりすると、必ず、副作用が伴います。

副作用よりも取り込めたエネルギーが多ければ問題はありませんが、物信仰や薬信仰、運動信仰に陥ることで、際限なく続けるという一種の信仰状態となり、結果的に副作用に負けていくのです。

ある薬が効く、、、ある食べ物が体に良かった、、、ある運動で体が楽になった、、、そうすると、人はパワー信仰が好きですから、それを際限なく取り込もうとして、エネルギーの取り込み以上の副作用で負けていきます。

体に必要なエネルギーは一定量しか、物や薬の条件付けでは得ることはできませし、それもやりすぎることで、副作用に負けてしまうのです。

はじめは効くと思った薬も、体に良いと思った食べ物も、良いと信じた運動も、最初はその通りでしたが、結局は、副作用に負けますし、運動の結果は、体を壊して中止していくことになるわけです。

物にも運動にも本当は何の力もない、、ということがわからない限り、人は副作用から抜け出ることはできません。

物が作りだすエネルギーを取り出す条件づくりには限界がありますが、それでもギャップからエネルギーを取り出す原理がわかっていれば、副作用以上のエネルギーを取り込むことが可能になります。

体に良い薬よりも、体に良い食べ物が作るエネルギー取り込みの条件づくりの方が多少は良いことでしょう。

さらに、体に良い食べ物よりも、体によい水がもたらす条件づくりの方がもっと副作用が少なくて済みます。

さらに言えば、体によい水よりも、体によい光の方がずっと副作用は少なくなります。胃腸で消化する必要がありませんので、副作用は少なくなります。

さらに言えば、体に良い周波数の音の方が、さらに副作用が少ないはずです。

副作用が少なくエネルギーを取り込むことに成功すれば、それは若さの持続と長寿をもたらす鍵ともなります。

そのうち、光のギャップはとくに凄いものがあると私は個人的に勝手に思っているわけです。

本当は光以上のものが音のギャップだと思うのですが、これについては、ボディを越えたところに働くエネルギーですから、この世的な意味での効果ははっきり実証することはできないでしょう。

音が実は最高なのです。しかし、はっきり実証できるものは、光のギャップから来るエネルギーの方です。これは多くの人が実験を積めば、必ず、効果が実証されるものとなるはずです。

なので、これからやってくるのは、やはり光の時代と呼ばれることになるかもしれません。光同士からギャップを得れば、かなりわかりやすいエネルギーを取り込むことが可能だからです。

このことは必ず実証されるでしょう。

私は今、東北での講演があって、合間を見て恐山に行きましたが、不思議な縁があってのものです。

荒涼とした恐山に幾多の思いが飛び交う気配を感じて、私は思わず、母音トーニングをしました。

鎮まっていく気配。本当にありがたい体験でした。

子供と女性を守る最果ての神様、、、お地蔵さま。幾多の罪のない子供と女性が、権力的なものに冷たくあしらわれ、悲惨な死を迎えていった、、、本当に恥ずかしい歴史が私たちの歴史の中にあるのです。

今もなを、それは続いています。戦争の中で、どんなに悲惨な死を迎えねばならなかった女性や子供の多かったことか、、、、このことを忘れて、オリンピックもビルも新幹線も歴史の発展もないのです。

名もないそうした魂がさまよい、なんで自分が死んだのかも、なんで悲惨な目に合わなければいけなかったかもわからず、、、さまよいながら最果ての地に向かう。

そこで大慈悲のお地蔵さまが救ってくださるという、、、本当の聖地が恐山なのです。

安らかに眠ってくださいも、可愛そうにもない、、、言葉はすべて嘘となる恐山の神山の中で、私たちができることは、うめき、、、発声する、、、そう母音のトーニング以外に受け入れてもらえそうなものはなかったのです。

ものすごいリアリティの前では、哲学も倫理も宗教も言葉も何の力を持たない。ただ母音の発声のみが、受け入れられる音になっていく、、、、このことを私は恐山で感じることができました。

戻る時、カラスがやってきて、あいさつしてくれたように感じた次第。カラスさんありがとう。
 



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