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2003年09月24日(水) 曇り
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21年過ごしたオフィスの引越し。その上に東京の私のアトリエも同じ場所に移すなど、あわただしくしています。あと数週間は荷物の整理その他で大忙し。こういう時に限って、仕事も忙しく、関係者の皆様には、本当にご迷惑をおかけしております。しかしまるで言い訳に聞こえますが、確かに言い訳なんですが、これで環境が落ち着けば、本気で集中できる状態になります。10月にはいったら、多少は落ち着いて仕事に集中しますので、しばらくのご猶予を。石川さん、大熊さん、長澤さん、高木さん、管さん、深水さん、もう少しお待ちくださいね。多方面にご迷惑をかけている状況です。26日は最後の引越しの荷物が山の家に来る日。あと稲刈りと冬野菜の田づくり。それと山のようにたまった仕事とあるけど、11月になればなんとか正常に戻るでしょう。正常といっても異常に忙しかったのですから、この二ヶ月は体が参ってしまいそうでした。毎日平均睡眠が4時間、という状態がもう2ヶ月近く続いています。ナポレオン並みですね。ところで関係ないですが、地方に住んでいる方はわかるかもしれませんが、今年はカカシを見ましたか。カカシや鳥よけの網なんかも見た人は少ないのでは。なぜかというとすずめがいないからなんです。おそらく全国的にすずめが居なくなってる。たった一年で、どういうことなんでしょう。一匹もいない、といってはオーバーでしょうが、本当に私はまだ一匹しか見ていません。あんなに秋の稲刈り時にいたすずめがいなくなるなんて、どう考えてもおかしい。こんなことこれまでにあったのかしら。私が知る限りではない。突然すずめが消えたんです。オゾンホールが原因とか、ちらりと聞いたけど、何が真相かは不明。しかし何かが起きてなければおかしい。経済や仕事もいいけど、もっと地球レベルでの異常がおきているという不安あり。地球にやさしい、、、なんて企業は言いますが、考えてみれば気味悪い言葉。人間が地球にやさしく、なんて、完全にいかれてしまった考えなんです。地球には自浄力がありますから、まずい、と思ったら、一晩で山脈すら作ってしまうでしょう、地球は。人間は地球にやさしくどころか、地球が人間にやさしくしてくれることを、畏れ、祈る立場でしょうに。地球の心配はいいから、それよりも地球を怒らせないこと、まずいと思ったら、今の文明をすべて破壊するくらいのことは、地球はたった一晩でやってくれますから、心配ご無用。本当は体に悪いのに、まるで体に良いように聞こえる、マイルドなタバコのコマーシャル的な言い方は本質を何かごまかしますね。多少は環境について考えるようになるからいい、ということもあるかもしれないけど、もっと深刻な状況だと私は思うんだけど。若い人に力がなくなってるでしょ。すぐに疲れる人が多い。私もいつも疲れっぱなしだからあまり人のことは言えないけど、しかし、小学生が疲れた、、、という言葉を本気でいうらしいです。考えてみると、昔は小学生が疲れる、、、という感覚はあまりなかったような気がする。そんなこと考える前に、黙って寝てしまった。こういう変化があまりに早すぎる。といっても、明治の人の平均身長と現代人では、おそらく15センチ以上も今の人のほうが高いので、体の変化は私達が考える以上に早いし、そんなに心配することないのかもしれませんが。とにかくすずめがいないことは気になります。
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2003年09月12日(金)
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日記がないと、クレームが続出。読んでくださる方が多くいてくれて、嬉しい限りです。夏が終えたと思ったら、まるで真夏のような残暑が続いています。世の中は火星的事件が多く、爆発事故、テロ関係、火事など、多事多難な印象ですが、景気の方は段々アップしているとか。しかし、これまでとは時代を動かす原動力が違っているので、その点を勘違いすると次の景気の波に乗れないはず。経済が大きくなった国はこれまでにも色々あったけど、歴史的に見て衰退してしまった国がほとんど。ではどういう国が最後まで残ったか、それは文化が事業化された国だけが衰退を免れているんです。今の日本もその点が分かれ道になっています。もう製造技術がどうとか、いうのではなく、もちろん、それらはまだ当面は大きな力になることは確かですが、文明はこれからの原動力にはならない。文化的な事柄に発展の余地があるわけで、文明と文化の違いもわからない政治家が多いのは関係ないですが驚き。それでも今後の日本は観光立国という言葉を総理が使ったように、小泉さん自身はわからずに言っているのでしょうが、本当にその通りだと思う。日本の自然を美しく復活させ、治安を以前のように良くし、文化芸術を興隆させたソフト国家を目指すと、大変なことがおこります。世界は 不安定な国が多いので、世界中の大金持ちが日本に安住の地を求めたとしたら、現在の問題のほとんどがそれだけで解決してしまう。2000億円以上持っている大金持ちを1万人日本に帰化させれば、それだけで日本の銀行はあらゆる問題をクリアーしてしまうでしょう。アメリカ、中国、イスラエル、中東、韓国、台湾、それらの国の大金持ちは、いま、お金を抱えてウロウロしている気分なんです。どこかに安全で快適で、良い国民性の国を探している。そういうものが、本物の価値があることだと、自分が大金持ちであるがゆえにわかる。そのためなら、どんなに大金をかけても行きたい、住みたい、とそう思う。日本人の国民性は今は問題があるように言われるけど、しかし、やはり世界の国々に較べると、段違いにやさしく、人に温かく、善意があることは、わかる人はわかっている。日本を世界のユートピアにすれば、それだけで食べていける国になります。またそれができるのは日本だけなのではないかしら。スイスは仲間内でお金の安全を約束しあっているようなもので、本当の安全とは違う。人間性、国民性が、真の財産であることを日本人は気づき、それを戦略的に国づくりに活かすことなんです。政治家のみなさん、このことわかってくださいよ。あっという間に凄い国づくりができるチャンスが到来しているのに。
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2003年08月28日(木) 晴れ
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一ヶ月以上も日記を中断していた。この夏は私にとっては傷心の夏だった。身内のケガに対する後悔の思いが強く、あの時、もっとこうしていればと、つい自分を責めてしまう。これまでに人の悩みを数多く聴いて来て、相談にものってきたが、本当に人には悩むときがあるのだ。どうにもならない後悔を抱くときがある。どうにもならない気持ちのまま、仕事は今月も続けてきたが、日記はどうしても書く気が起きなかった。しかし今年は冷夏ということで、楽しみが半減した人も多いでしょうね。10年前の冷夏のことをはっきりと覚えている。あの年も本当に雨が多かった。浅間山のふもとで温度をみたら、8度だった。今年はヨーロッパの知人から、火星の大接近で猛暑という手紙が届いた。日本は冷夏だったと、なぜか言いずらかった。星占いの解釈を入れてくれたことが手紙ににじんでいたからである。火星はホットアンドドライの星である。また、爆破、爆発、テロ、火災、事故などの星。確かにそういう事件がこのところ多い。地球から離れていくときにさらに火星は力を発揮するので、あと一ヶ月は注意が必要。
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2003年07月22日(火) 曇り
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梅雨明けが遅れています。これまでに一番印象的だった梅雨明けは、今から7−8年前のこと。確か7月の22日だったと記憶している。雑誌の読者サービスで、私の信州の家で自然食の夕べ、という企画があった。玄米ご飯を炊いて、煮物をつくり、水は蓼科の湧水を使った。天候は思わしくなく、うっとおしい梅雨空だったが、飛び入りでエミールシェラザードさんが来てくれるという連絡が入った。そしてやってくると同時に梅雨が明けて、真っ青な空がお目見え。あのときの青空が忘れられない。けっきょくエミールさんはご飯ができたころ、時間がなくて帰っていったが、梅雨明けをもたらしてくれたのがエミールさん、という印象が強烈に残っている。あと、たしか松田聖子がデビューした頃の印象も、私の中で梅雨明けと重なっている。事実はいつだったかはわからないが、デビュー曲の鮮烈な印象を梅雨明けのイメージに勝手に重ねてるのかもしれない。しかしあのヒットは強烈でした。日ごとに、聖子ファンが増えていき、わずか二週間前までは、松田聖子の名前を多くの人が知らなかったのに、二週間後には誰もが知っている、本当にそんな感じだった。デビューのあの凄さは、他に比べるものがないのでは、と今でも思う。とにかく、初めて見た人をほとんどとりこにしていったのだから。子供も大人もそうでした。松田聖子のデビューはまた、バブルのオープニングでもあったと思う。バブル時代を告げる旗振り役を松田聖子はやったような気がする。私は聖子ファンではないが、しかしあのデビューの迫力は決してわすれない。松田聖子も命がけだったと思う。その緊張感が独特の硬質の震えるような仕草になり、そのまじめさと真剣さ、そして新鮮さが見る人をあっと言う間にとりこにしていった。私は物事が発展していくさまを見るのが、本当に好きである。あっという間に爆発して伸びていくさま、その見事さ。松田聖子、ビートルズもそうだったし、ピンクレディや、今は忘れられているが、私が好きな黛ジュンもそうだった。不安を背に精一杯自分の力を出している人に幸運の女神は宿る。人はなぜ安心したがるのだろう。不安のまま努力を重ねることが命なのに。私も不安神経症から自分の人生を作ってきた人間である。この精神だけは忘れてはいけないと、梅雨明けが近づくたびに思う。暗い空の次に青空が訪れる。不安を持ちつつも前を向いて歩きたいものである。
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2003年07月18日(金) 曇り
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今月の5日に短歌大会も無事に終えたが、その分できないでいた仕事がどっさりと溜まってます。しかし今ながらに思うけど、短歌を歌うのは素晴らしい。本当に素晴らしい詩かどうかは、実際にメロディにして歌うとわかります。あらゆる文化の中心に歌があることは間違いのないことでしょう。なのに意外にこの評価が低いんです。芸術分野の中で、短歌は低いといっては何ですが、美術や他の音楽に較べてちょっと違った扱い方をされている。雅楽の中での位置もあいまいだし、日本文化の根源が短歌であることは、調べればわかるし、直感的にも当然人はそう理解しているだろう、、、と思っていたのですが、実際はそうは受け取られていないので、愕然とする思いが実はあります。国技館があり、国技として相撲があれだけ隆盛を維持できてるのに、日本文化の中心にある短歌を歌う場所がない、要するに披講館があってもいいのですが。私がもしお金持ちになれたら、披講館を作ります。今は冷泉家が歌の家として残っており、その意味は非常に大きいですが、一家で維持できる重さのものではなく、もっともっと色々な形で、維持発展しなくてはならないものなんです。宮中歌会始めは、皇室の行事のなかでもとくに重要なものですが、年の始めに、天皇が国の安寧をこめて、歌で命を吹き込むもの。歌がなければ、始まらない、、、ということなんです。とくに日本の短歌は、和歌と呼ばれており、和の歌です。要するに、その昔、世界各地に色々な文明が起こり、伝わりに伝わって、極東の果ての日本にやってきたことは、これからハッキリしてくることでしょう。地勢的に当然のことなんですが。しかし他のおおくの国と言うか地域では、あたらしいものが来ると、土着のものとやっつけるかやっつけられるか、という戦いを生じるのですが、日本はその多くを和にして異質の物同士をまとめた極めてまれな歴史をもっています。その中心にあったものが短歌なんです。ですから、今後、世界の中で、いがみあい、戦い、憎しみが増大し、不安定になっていくとき、もうどの神でもまとめることができなくなる。最後は歌の神でしかまとめられない、、その本質が和歌にはあるんですね。新しい時代を開くのは、歌の神、踊りの神、笑いの神。そうでなければジエンド。政治やまして力であるわけはありません。簡単なことですが、誰も理解してくれません。理解は不要かもしれませんが、直感で感じてくれる人がいてくれるはず。というか、実際に短歌というからわからないだけで、今だって歌が世界をつくり、リードしているんですよね。高度経済成長期の日本でも、やはりその頃は多くの流行歌があり、人を引っ張ったんです。今は、昔の歌の蒸し返しが人気があるけど、新しいものはあまりないですね。若い人にも力がないわけなんです。日本語の力が衰えているからで、そのためにも和歌の復活が私は勝手に大切だとおもっている。そのためには、実際に小さな歌会をやっていくのがベターなんです。恒例行事意外で、小さな歌会を機会あるごとにやってるのは、おそらく私だけではないのかな。そんなことはどうでもいいけど、とにかく歌会は楽しい。
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2003年07月12日(土) 曇り
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幼児突き落とし事件の犯人が中学生らしいけど、文部大臣のコメントを見てがっくり。私は以前から言ってるけど、こう言うときは全校休学にして、みんなで勉強を休んで、ホームルームに親を呼んで、日本中で考えるべきなんです。しかも、文部大臣は自分の首を預けたかたちで、その命令を出すべきなんです。命は地球よりも重い、、、なんてことで命の大切さを教えるよう、指揮したなんて、よく恥ずかしくなくいえるのが不思議。心が硬いですね。戦争を賛成していて、命は地球より重いなんていったら、子供は混乱するか、大人をみくびって当然。ぜんぜん大切になんかされてないのが、今の社会なんですから。うそを言ってはだめ。全校休学が1週間以上続けば、必ずバカな親が出てきて、子供の受験に響く、的なことを言い出すはず。そのときこそ、文部大臣は受験よりも命が大切です、、と言えばよい。そういう腹を決めた見事さというか、命がけの教育というものが、実は子供の心を動かしていくのに、現状はとても無残です。本当に良い機会だと思うのに。政治にも、仕事にも、あらゆる流れには、決め時というのがあり、そのときだけは、誰でも命がけでやる方がいいんです。あとは、特段のんびり頑張るだけでもいいから、このときだけは、、、という大切な時を逃してはダメ。例えば、夫婦円満の秘訣が世の中にあるのかないのかは、私にはわからない。しかし、もし、どちらかが、本気で苦しんでいるとき、本気で悩んでるとき、とくに、誰からもバカにされてるとか、頭が上がらないとか、要するに、心理的ピンチが5年に一度とか、10年に一度あることがある。配偶者はそのときだけは、本気で見方をしてあげる、、その他は大して努力をしなくても、このときだけは、という時に逃げないで助ければ、あとはうまくいくのではないだろうか。仕事でも、うまくいってるときになんでもやります、、的に忠誠を誓われてもまったく安心できないが、危ないとき、見込みがないとき、そういう苦しい時に逃げずに切り開いた人が、実は一番大切な存在なんです。しかし、今の職場などでは、意外にそういう人はあまり評価されない傾向がある。要するに、人間のスケールがやはり小さくなりすぎ、上司がそういう人を評価し得ないんですね。それでうまくいくわけはありません。せめて文部大臣になるくらい出世したのですから、命の大切さを、こう言うときくらいは、自分の進退をかけて示してもらいたいです。それがわが身を通して国にご奉公するということですよ。私がまだアルバイトで生計を立てていたとき、占いの館のようなところで働いていたことがあったが、その店の店長は私よりも年下で、能力も私は自分の方があると感じていた。しかし、こちらはバイトの身だし、それは立場をわきまえて、決して生意気な態度はとらなかったつもりだった。ある日、店にやくざが現れ、上納金的なものを出せ、と私に言う。私は会社の方針がそういう付き合いをしてはならない、、ということを知っていたので、自分なりに対応してやくざに帰っていただこうと思った。しかし、それはいけないとすぐに考えを変えた。そして店長の所へ行き、その旨を言うと、見事に逃げ腰。私ははっきりと、あなたは店長です。いざと言うときには、自分の体を張っても、私達、バイトや社員、そしてお店の客様を守る、義務があります。私もいざとなったら、お客様に危険がないよう、体を張って守ります。あなたが率先してそのことを示さなければ、私だって動けません。そういうと、店長は出てきて、やくざを返した。私はみんなを呼んで、店長が見事にこの店を守ってくれたと、告げたことを覚えている。そして私の自負は、これが仕事なんだ、ということを全員に教えてあげたことだと思う。それぞれの持ち場で、これだけは守らなくては、ということがないがしろにされて、妙な人が出世していく世の中は、間違っているし、なにより、本当の力がでないものです。
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2003年07月10日(木) 雨
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どうにか無事に私が主催する星と森国際短歌大会が終えました。年一回の行事なんだけど、やることが沢山ある上、仕事の都合もあり、とにかくハードなこのところでした。終わってみるとやはり過労のせいか、腰痛が。めったに腰痛になることはないのに、重たいものを持ったせいか、今しんどい感じです。原稿も溜まってるし、引越しもあるしで、まだあと一ヶ月はハードな日々が続きそう。秋になったら、多少のんびりしなくては。ただ刈りいれまでは忙しそう。単行本もあるしで、、、。コンテンツ関係の仕事も目いっぱいだ。昔と違って内容をどんどん更新しないとすぐに飽きられるしで、手間と時間がかかります。しかしそれでもどうにか食べていけるだけ、今の仕事はありがたい。しかしコンテンツのみでこの20年やってきたのを思うと、感慨があります。情報でお金を得る、それだけで20年やってきて、今、まさにコンテンツ全盛ともいえる時代。私の時代に対する読みは今のところあたっていたことになります。といっても、ビジネス面のことだけだけど。もしコンテンツ方面に仕事を進めてなかったとしたら、雑誌や単行本ということになるのだけど、私の場合、雑誌関係は独立したときとほとんど同じぐらいの量しかない。要するにそちらの方面ではあまりのびなかった。これは私自身が色々と企画以外の関係ないことまで編集の担当者にしゃべるので、つい引かれてしまう、、、というケースがおおいということがある。雑誌関係の編集者と話すときは、あまり関係ないことを力説したり、ことに未来社会がどうなるなんて話をすると、必ず引かれます。しかし私はそういう話が好きで、つい話してしまうクセがある。逆にお付き合いしてくれた編集者は、そういう妙な点を、無理に合わせてくれたわけで、ありがたいものです。恩義に報いようとしてまた、色々な企画などを熱く提唱すると、やっぱり引かれる場合が多く、面白いものです。しかし中には、実行してくれたりするところも出てきて、そうなると、意外に儲けにつながるケースが多いんです。私は木星が強いので、関係する人を利益の方向へ案内する運勢があると思う。能力とか関係なしに、この人が関係すると大体はうまくいき、この人が関係するとなぜかどれもうまくいかない、、、、ということは、本当にあるもの。やはり一般的には、木星が強い人が発展をもたらすことは多いです。今、私が考えているのは、1年半後にスタートする予定のものがあるのですが、これからゆっくりと準備。うまくいくかどうかはわからないけど、心の情操にとって、とてもよい塾のようなものです。ぜひ、具体案が固まったら、みなさんにもいらしてもらいたいので御願いいたします。情操に良い上に、きっと運勢も良くなると思います。なんだか宣伝になってしまった。
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2003年06月29日(日) 晴れ
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きょうは前半最後のグレート1の宝塚記念があった。競馬の話です。大レースは土曜日からの発売があり、前日の予想配当が出ます。単勝一番人気が土曜日のある時点で突然、それまでの人気薄であったヒシミラクルとなった。なんと1.9倍という断然人気。しかし出走馬の中には現役最強馬といわれるシンボリクリスエスもいるわけで、ヒシミラクルが一番人気になるはずがない。ということは、だれかが大量にヒシミラクルの馬券を買った以外に考えられない。予想配当を突然あれだけ動かすのだから、おそらく300万円‐500万円をヒシミラクルの単勝に投じたはず。それでけ大きな勝負をするからには、普通は当日の馬体重を見るとか、パドックので気配に以上はないかなどを調べるのが普通。前日に大量投票すると言うのは、間違いなく素人である。どこかの素人が、明日には気が変わるのを防ぐため、また、臆病風にふかれるのを防ぐために勝負に出たのでしょう。レース当日の最終の予想配当は約16倍。そしてヒシミラクルは勝ちました。どなたかわからないけど、おめでとう。5000万円‐8000万円をゲットしたわけですね。きっと今ごろ祝杯をあげているでしょうね。何か確信があったのはわかるけど、きっと、これまでに何度も前日は自信があったのに、当日に変えてしまったり、弱気になって的中馬券を取り逃がしたことがあったんでしょうね。なんだか手にとるようにその人の心の動きが見えて、楽しかったです。私もなんとなく、来る気がしましたよ。残念ながら馬券は取れませんでしたが。しかしこの人、単勝馬券で勝負したというのがやはりいいですね。私はこれで今年の大レースはほとんどとれなかったので、夏競馬はしばらく休み、せいぜい大井競馬場に1-2回行く程度でにして、お金も使わない予定。また秋の大レースまでお休みだ。しかし本当に取れないな、このところ。今日とった人はおそらく単勝の売上の数十パーセントをゲットしたと思う。私が長い競馬歴で賞金総額の何パーセントゲットしたのが最高か、今思い出して見ると、なんとまだ20代の時なんです。単勝売上金の5パーセントぐらいを取ったことがあった。それもグレード競争だから、それなりには売上はあるレース。日本経済賞というレースで、タケクマヒカルという馬が勝ち、私はその馬の単勝の5パーセント以上を投票していた。もらった配当は100万円以上だった。お給料が7万5千円の時代だから、すごいことでしたよ。なんでそんなに買ったのか、というと、その時期、私はとても不幸だったのです。そしてすべてがいやになって、お金も捨てるつもり、というか、捨ててかまわない、、というような絶望からくる妙な自信に支えられて、タケクマヒカルの単勝に投じた。馬体重も見ずに買ったのだが、レース直前にわかったのは、なんと38キロ減。私の競馬歴はかなり長いが、38キロ減の馬が大きなレースで勝ったのはこのとき以外にしりません。大幅な馬体減を知っても、不思議と落ち着いていて、冷静に来るわけがない、、、と思い、自分の不幸をまさに絵に描いたようで私はなんだか満足したことを覚えている。しかしレースでは強く、ダービー2着馬のイチフジイサミを3馬身以上離す完勝だった。きょうのヒシミラクルを買った人も、もしかして、もの凄く不幸で、すべてを失ってもかまわない、そんなつもりで買った可能性はあると思う。そうでもなければ、そんな大金を前日に投票しないと思うよ。まあ、わからないことだが、私の記憶に残るタケクマヒカルの思いでは、もう何十年も前のことだ。しかしよくあるんだよね。例えば明日戦場に出て行く兵士があっても仕方ない金を、最後の晩に捨てるためにカジノへ行く、、、きっと勝つだろうね。それも恐ろしい勝ち方をするかもしれない。関係ないが石原都知事はなんだかギャンブルがしたくて仕方ない感じですね。今度は後楽園に競輪施設を復活させようとして、文京区長を怒らせているらしい。しかし競輪よりはまだお台場のカジノのほうが個人的にはいいな。
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2003年06月27日(金) 曇り
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なんだか一年ももう半分が終わりではないの。早いよね。時の流れは歳がいくほど速くなるとはいうけど、確かに私の父は80代のとき、一年なんて2週間だよ。と言っていたっけ。江戸時代の養生書には、人間は歳をとったら一日を二週間だと思って暮らすべし、と書いてある。なるほど、と私は思ったよ。歳をとるにしたがって時間を長くしていけば、人間は何歳でも生きられるということなんだよね。一時間を数日にしてしまえばいいということ。普通歳をとるにしたがって、これまでの体験が記憶にあるため、リアルの体験を観念の体験に変質させてしまうことが、歳がいくにしたがって時間が早くなるという正体。そこでその逆をいけばいいわけです。一秒一秒を体験している意識でいきれば、たしかに一日を二週間にすることはできるはずだ。本来、歳をとることで生活の心配も、人にどう見られるという不安も、出世したいという野心も、すでに克服というか、片をつけていなくてはいけないし、大体は片をつけているはず。となると、本当は目の前の一秒一秒をリアルに体験することは子供時代のようにできるはずなんです。ただこれまでの不安な呼吸や習慣性と生きてきたことで培ったなんらかの信仰があるため、本来安心な境地になっていなくてはならないにも関わらず、観念で自分と周囲との関係を捉えがちなため、その恩恵にあずかれないのでしょう。これはもったいない話。いや、人生はちゃんとうまくできてるのかもしれない。老人になったら一日を二週間どころか、二年ぐらいにしてしまえばいいのだ。こういうことを言うと、そうですね、感動をもって生きることですね、、、的に言う人が多いが、ちょっと違うと思う。感動を求めるのは本質的ではなく、本質はリアルになりきる、目の前の体験に没入すること。誰かが知ったかぶりで押し付けた価値観にとらわれることほどつまらないことはない。普通老人になるとそういうことにごまかされないもので、没入しやすい条件は老人にはあるのですから。だから、残された時間が少なく感じるとどころか、一日を二年、一秒を一生まで伸ばせることは論理的に可能なはずなんです。そうなると不死になるね。間違いなく人生はそういう仕組みになってると思うよ。江戸時代の貝原はそのことを知っていたんだろうね。これは若い人にはできないことだと思う。欲もあるし焦りもある、今なんか見てられるかい、、、てなもんでしょうから。しかしひるがえって今自分は一日をどのくらいの長さで生きてるだろう。時の流れを早く感じるのだから、やはり短いのだろう。時のプレゼントは考えると恐いですね。あれは人によってちがうんだから。ああ、100歳まで生きたい、、、とは考える人は多いでしょうが、一年が二週間だったら、どんなものでしょう。生き方の原則で大事なのは、国王大臣に近づかず、、、なんだよね。金力、権力、名誉欲、に取り付かれると、時間がなくなる、というより時間が短くなるわけです。大切なのはもっと、もっとの未来だから、リアルは遠のく宿命にあるわけで、出世すればするほど、偉くなろうとすればするほど、時間が短くなっていってるんだね。何らかの力に取り付かれると、人間は損をしているということなんです。私も力的なことが本当は好きな人間だから、これは心しなくてはいけない。人知れず野に咲く花が美しいのは、そこに永遠があるんでしょうね。見られるためにいけられた花も美しいけど、永遠は感じられない。いつ枯れるか心配になるし。誰にも見られない野の花は、もの凄い時間を体験してるんだろうね。
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2003年06月26日(木) 曇り
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あんあん。それにしても忙しすぎる。やることが多すぎ。きょうスパをガソリンスタンドで読みました。いつの号なのかはわかりませんが、楽してお金を得る方法が書かれていた。大体はくだらないレベルで、なんてことはなかったのですが、ひとつだけ、確かにそうだよな、、、、と改めて思ったことが。別に当たり前のことなのだが、地域格差を利用してお金持ちになる、、という考え。弱い通貨の国へ行けば、それは簡単にできるので、当たり前といえば当たり前なのだが、しかし、1000万円で作ったというベトナムで暮らす日本人のお屋敷が写真入りで出ていた。実際に見せられると確かに凄いな、と思う。あちらでは高級で月一万円。1000万円というと1000ヶ月分の給料。確かに凄い家が建つはずである。しかし不思議なのは、日本は今デフレで苦しんでいるというのに、まだ東京は世界一物価が高いとか。地域格差を利用したら、あっという間に資産が10倍以上になる、というのは、何もマジックなどではないわけですね。一番いいのは、円を稼いだら、日本では使わずにローカルカレンシーで使うと、誰もがリッチになれるわけだ。昔からそんなことは誰だってわかってはいるのですが、実際に立派な家を見ると、やはり不思議な気がしました。日本人ももっと色々な生き方のスタイルを周囲を気にせずに実験した方がいいかも。もちろん、やってる人は色々やってはいるのでしょうね。なにかに凝り固まると、狭い世界しか見えなくなるというのは本当で、今日のスパを見て以来、円を使う気がしなくなってきたのはほんと。なんだ、日本人だ、というだけで生きていける、そんな時代になりつつあるので、びっくりしたわけです。自分ひとりでなにかできると、その点面白さが増してくる時代ということです。何か特技があり、それで多少なりとも円を稼げるひとなら、本拠地を通過の安い国に移せば、即数倍の豊かさになれるわけ。しかし、これって何もお金に限ったことではないんですよね。人の日ごろの考え方にも同じことは言える。二人の人がまったく同じ体験をしても、一人はとても怒っていて、不機嫌になっている。もう一人は、なんだか楽しそうに喜んでいる、、まったく同じことを体験しながら、人間ってそんなにも違うことがおおいはず。地域格差の利用も凄いけど、なんていったらいいのかしら、心理格差を利用するということかな。その意識で生きてれば、なんでも得するわけです。刑場に向かう馬車が混雑にあったとき、イライラして時計を見つめる死刑囚はいないはずだし、あと面白いな、と思うのは、レジ前に何人も並んでいるとレジ打ちの人はいらだつかもしれない。しかし、それも考えようで、時間だけ働く、という意識なら、焦ることもなくなる。それじゃさびしいと思う人もいるかもしれないけど、イライラしてお客を不快にさせるよりはずっとましだよね。このように心理格差を日ごろ色々な形で利用していくと、いいかもしれませんね。どんな状況も、境遇も、みんな楽しめる可能性が出てくるものね。誰でも本当に不運なときって、大体笑いが出るぐらいのはず。無意識に心理格差の応用を図ろうとしてるのでしょうね。
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2003年06月20日(金) 晴れ
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梅雨の中休みはいいけど、まるで台風並みの強風が吹き荒れた一日だった。地形の関係か、風が強い日は、頭がわれるように痛くなることがある。私だけかと思ったら、けっこう、多くの人が家にいるとそのことを実感。気圧がスーっとかわると、あっ、今楽になった、、、と数人が同時に感じたりするので、やはり気圧の影響なのだろう。何か、天空のゆがみがある、そんな感じで空間がねじれている感じ。体には悪いのかもしれない。景色は本当にいいところなんだけど、この気圧は異常だ。きょうは一日そんな感じの日でした。当然仕事ははかどらず、つらい状態でした。住むところで本当にその土地のくせというか、感覚があるものです。以前信州の家に行くと、必ず大地から引っ張られてるような気分になった。土間があるせいかとも思ったが、あまりに激しいので心配だった。風水家の御堂龍二という知人が訪れ、やはり同じことを言い、大地の気が強すぎる、と。いくつかのアドバイスに従うと、本当に不思議なことに以来、そういう重さを感じたことがない。ここもそういう風水の知恵で治ればいいのだが。風と雨の日は本気で凄いですよ。頭が締め付けられるように、ぎゅう、と鳴ってる感じ。そしてあるときすーっと、それが数秒で治っていく。そのときには、そこにいる人が全員が感じるのだから、やはり本当だと思う。昔、三田の高台に住んだことがあるが、大地の気が完全に死んでる印象をうけた。そしたらお向かいがクエート大使館だったが、イラクに侵攻された。次に六本木の鳥居坂上に住んだこともあったが、そこも大地の気がはかない感じで、そこに住んでるときは仕事もあまりよくなかった気がする。ドロボーにも入られそうになったし。今の東京のアトリエは原宿にある。私は原宿は好きだが、体にはなぜかフィットしない。原宿を歩くと、必ず足の裏が痛くなる。ほかのところではそいうことはまったく起こらないのだから、不思議。何十回も試してるし、もうからこれ6−7年かけてそう思うのだから間違いのないところです。そういうこともあって、今度は東京のオフィスもアトリエも一緒に移転。天現寺に移るが、2年間だけそこにいる気がする。けっこう気に入ってるのだが、なぜか二年間という気がする。理由はわからないのだが。新しい種をつくる期間の二年、天現寺にいることになるのだろう。深く潜る、という感じがする。しかしどこに住むかで、人はほとんどの運命を決めている。田舎に住めば田舎の暮らしになるし、都会に住めば都会の暮らしになるのだから、確かに住む場所がほとんどのことを決定するわけです。
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2003年06月15日(日) 曇り
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以下にも梅雨らしい天気が続いています。明日も同じような空模様とか。雨のお陰で草がのびて大変。草刈しておかないとヘビがいてもわからないので危険。うちにはけっこうマムシもいるし、おとなしい山かがしは大体いつも同じ場所でうろうろしてます。この地方のマムシはあまり噛まないのですが、間違って体に触れた場合は必ず噛み付く。すぐ側を歩いたぐらいでは決して噛み付かないけど、触ったらお仕舞い、ということです。ただマムシは恐れられてるけど、実際マムシに噛まれて死ぬ件数は非常に少ないんですよね。年間数名しかいないらしい。噛まれる人はもっとずっと多いのですが、そんなには心配いらないんです。むしろ恐いのはすずめバチ。これは年間100人ぐらいの人が亡くなってる。ブルブル音を出して、口から液体を吐き出したらとにかく逃げるしかありません。液体をかけられると攻撃対象にされてどこまでも追いかけてくるらしい。本当はこれ以上くるな、という警戒を発するので、そのときに気づけばいいのですが。山道など歩いていると、目の前に現れてブンブン言ってる場合、後ろを見ると左右に2匹が後ろから首を狙ってる、というのが、正式なすずめバチの攻撃スタイル。前にいるのはおとりであり、これ以上くるな、というメッセンジャーなわけです。私の山での体験で言うと、スズメバチは超能力者です。しかも言葉がわかるというところがある。ヘビにしろスズメバチにしろ、そういう名前がついたことに、深い意味があるもので、その言葉自体に防衛的な意味があるのです。すなわち、毒蛇をみたら、オロチ、と声にだすこと。またすずめバチの危険を感じたら、ハチ、と声に出すこと。するとなぜか彼らの行動は押さえられる、という印象を私は感じたことが多い。とくにハチという言葉は効いた印象が強いです。要するに、先人が言葉をつける歳に、それ自体に危険を止める言霊の力を有したものをつけた。そんな気がします。なんだか、危ない世界の話に聞こえるかもしれないけど、試してみてください。スズメバチは8月が本番。アブと同じでけっこうおそいんだよね。今はくまんバチとミツバチ。どちらも可愛いです。ミツバチは本当にかわいいけど、しかし、やはり植木なんかを勝手に動かすと、とられてしまうと思うのか、攻撃してくることがあります。かわいらしい攻撃だから、かえって気づかないうちにプチっやられるんだよね。でもむこうは命がけでやるわけで、複雑な気持ち。くまんバチは威張ってて可愛いです。我が物顔で飛び回り、急な方向転換が下手なため、よくぶつかってきます。スピード好きです。雨が止んで天気になると、いっせいにハチが飛ぶことでしょう。自然の中で、以前はハチが本当に恐かったけど、一年一年、段々と慣れてきて、ハチが今では可愛く思える。ヘビが可愛く思えるようになるところまで行ってる人もいるらしいです。実際、マムシは本当は人間と仲良くしたくてしかたないという話を聞いたことがある。なのに、人間が恐れるので、つい自分を守ってしまうとか。自然界においては無防備の力はどこまで発揮されるのか。カマキリなど何でも挑戦的に世界を見つめ、防衛しようとすることで、かえって損してる部分も確かに多い気がする。
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2003年06月13日(金) 曇り
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最近はあまり本を出していません。ただ水面下での動きはとても多く、ただいま5冊の企画が進行中。すでに書き終えているのが2冊。残り三冊のうち、一冊はおそらくインタビューでいくので、負担はすくなくすみます。インタビューはおそらく共著になるのではないかしら。私の夢だった、加藤諦三先生との協力で一冊の本ができる可能性あり。ただまだこれははっきり決まったわけではないのでどうなるかはわかりません。私自身は加藤先生の本はもうほとんど読んでるといってよく、私の人格形成にも大きな影響を与えてくれた先生です。その大先生ともしかしたら一緒に本が出せるとしたら、これは大きな喜び。人生相談のご縁でですが、楽しみです。あとは、昔からお世話になっている出版社の方々が、私の本を出してくれるとのありがたいお話。なかでも石川氏ご依頼の本は、原稿催促が厳しそう。書くのはこれからなので、お手柔らかに。きょうは鏡氏に会って一緒にお茶しましたが、鏡氏が昨年出した本が、すでに30万部のベストセラーらしい。今時30万部とは凄いものです。今はいい本でも本当に売れない時代なんです。出版社はそうした難しい状況の中で、色々な企画を考えるのだから、確かに大変でしょうね。もちろん売れる売れないは大切だけど、いい協力関係でいい仕事ができたかどうかが、やはり原点です。と、先ほどの石川氏は言っていました。確かにそうだよね。またこれからの時代はそういう仕事でないと結果も出せない気がします。結果を追い求めてきた結果、プロセスの重要性を再認識する、そんな反省が時代的にでている感じですね。月曜日には打ち合わせでわざわざ私の住む山奥までいらしてくれる方もおり、なんだかプロセスが楽しめそうです。私自身もプロセス重視で書いた本がこれまでにもっともよい結果を確かに出している。一冊の本を書くために箱根のフジやホテルに2週間缶詰になって書いた本ですが、これはとても多くの人に読まれました。考えてみれば、一番最初に書かせてもらったのはまだ30歳そこそこの時の、宿命恒星占星術というほんだったのですが、このときもやはり旅館に缶詰になってかいたんです。しかもその費用は出版社が持ってくれたのですから今考えると驚き。売れるかどうかもわからない無名の私を、旅館に缶詰にまでしてその費用を持ち、応援したというのは、今の時代では絶対に考えられないこと。まだのんびりしていた、古き良き時代だったのかもしれませんね。ただ缶詰になっているという情報が伝わると、面白がって尋ねて来ようとする人がいたり、こちらも原稿書きから逃れたいから誰かに来てもらいたと思ったりで、けっこう色々な人が来てくれました。箱根の時は陣中見舞いと称してルル先生が来てくれて、原稿をほったらかして箱根めぐりをしたっけ。そして尋ねてくれた人を見送ったあとの、またひとり、さあ、書かなくては、、、という孤独の決意なんて感覚、もうずっと忘れてたましたよ。なんだか昔のほうが、みんなが仕事や生きることに真剣だったように感じるのは歳のせいかしら。しかしこれからもまたそういうやり方、プロセス重視のローカルなやりかたに戻っていく気がする。
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2003年06月10日(火) 曇り
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待望の雨が降ってきた。例の水争いのため、沢水を使うと止められたりするので、とにかく雨だより。稲の根がつくまではたっぷりと降って欲しい。きょうは10日でなんかの日だという気がしていたのだが、先ほど思い出した。今からもう50年以上前の今日、岡本天明氏に筆が下りひふみ神示が降りた日である。私は一切の宗教はピンと来ないのだが、キリストの言葉と、このひふみ神示だけは熟読し、間違いないものを感じている。キリストの言葉は聖書に出てくるので、多くの人が知っているが、ひふみは余り知られていません。簡単に言うと、この世の基本は男女神からなり、善悪一体、男女も一体、ただし順序はある、という内容です。たとえば、善悪一体とは、右に1億トン、左に一億トンの重力をかけたこまは、わずか1グラムの力で回りだします。ただし右にまわせば右回転、左に回せば左回転となる。善悪五分五分が正解だが、順番は大切。ということ。今の教えは、悪を殺せば悪がなくなる、、ということになっているが、それはうそ。悪をなくしてなくしてなくしても、一向に世の中は良くならない。悪を無くせばよくなるというのが、実は悪の仕組み。無くしたら回転運動はなくなる。五分五分だからわずか一グラムで二億トンでも動かせる。ただし順番は命。これが狂うと、まったく違ったものとなります。男女一体、日本は二本が一体のこと。今は男神のみで作った世界。あい別れた男女神が時節到来、再び一体となるとき近し。というような、感じでしょうか。何のことだか、よくわからないでしょうが、まあ、極めて整合性が高い、人間のつくりものではありえないレベルの高さです。岡本天明がおろしたので、天明のみが有名ですが、一二三の内容から考えると、夫婦一体、男女神一体ですから、奥様の岡本三典さんも、同等のお役であると考えるのが当然ですし、またその通りの働きをされております。要するに、天明が筆を下ろし、その解釈は奥様のお役目なのではないでしょうか。実際、岡本三典さんのひふみのお話は、すでに本質の本質である、肉体と食べ物にいきつく。霊肉一体、霊性をことさら求める人は、決して彼岸に行き着けない。なぜなら霊肉一体なのだから。霊が宿る肉体がない限り、立体の世界は訪れない、、、。とにかく、もの凄く論理的に正しいのです。悪は強いですが、それのみでは必ず最終的に論理破綻を起こし、狂気に至ります。そのことを理としてひふみほど見事に語ったものはないのでは。ほとんど数字で書かれたものを、読み解かれていったわけです。二本一体ということは、本質は常に立体構造をしているということ。立体の上に複立体、さらに複複立体、立立体、、と際限なく続く。それは喜びの構造と同じ。喜びは必ず立体的に進む。高度の喜びに至ると、かつての低い喜びには決して戻らない。内包はしているものの、戻ることはない。人を殺して喜ぶものがいるかも知れぬが、もしそのものが人を生かす喜びを知ったら、もう以前には戻れない。私達は立体の世界に生きている。一方に偏ったとき、そのことが見えなくなる。植物は食べられることでその身となり、出世する。人も何に食べられば嬉しいか、、、そこに霊肉一体がある。立体の世界がある、、、、というように、語りだせばきりがないのですが、そうしたひふみ神示が降りたのが6月10日だったわけです。これは読んでるだけでありがたい気持ちになる本でした。また、精読すると、みな天才的なものが出てきます。並列的数をどんなに大きくしていっても、たかが知れてるのですが、立体となると桁外れです。一二三とは、九までが並列の世界、九で極まり、苦しみとなります。しかし、その極まりを受け入れることで、満ち足りた、十の世界、すなわち立体の世界が開けてくる。こともちろらね、、、こと、で九十。以降は立体の世界が永遠に続くわけです。もは百でしょ、ちが千でしょ、、、けまでいくのですから、おそろしい立体の世界がひらけるわけ。並列の世界で強い人は、おおくの数をもつけど、そこは奪い合いと厳しい現実を生みます。立体の世界を開くと見えてくるものは、なに。岩戸開く世が近づく、、、という、キリストの福音もまた、新たな時代を告げているわけです。
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2003年06月07日(土) 曇り
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明日は小学校のクラス会。なんだか毎年やっていて、大体来る人も決まっています。ただ偶然なのは担任の先生が私の住んでいる山奥のすぐ近くにやはり移り住んでたのですが、ご病気で東京に戻ってしまわれた。それがとても残念です。私が本格的に暮らし始めると同時に引っ越されたので、これからちょこちょこと行き来させてもらおうとしていた矢先だった。こんな田舎で偶然近くに恩師がいたなんて、ご縁だとおもっていたのに。小学校は人数も少なかったためか、6年間にわたってクラス替えがなかった。そのため、結束は強い方だと思う。クラスを替えた方がいいのか、替えない方がいいのかは、色々な意見があるでしょうが、私は替わらないでよかった気がしてます。むかし、全寮制の中学、高校で、しかも少人数制の学校に行っていた知人がいたが、私は冗談で、じゃ、家族よりも強い絆でしょう、、、と言ったら、顔色ひとつ変えずに、あっ、そうです。というので驚いたことがある。20人ぐらいのクラスだったらしいが、仲間の結婚式や重大な催しには、確実に全員が集まるらしい。驚く一面で、なんだかうらやましい気もした。面白かったのは、恋愛関係は一組もないということ。そういう対象にはならない、ということでした。本当の家族なんだね。その人たちは、おそらくこれからもずっとそうした関係を続けていくはずで、間違いなく帰るところはそこ。一生維持できるグループって、なんだか恐いきもするけど、やっぱり凄いことだね。しかし現代はなぜ人間関係が希薄になったのだろう。人と向き合うことを恐れる神経症の時代ですね。
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2003年06月04日(水) 雨
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水田にとってはありがたい雨が降ってくれてます。根さえ付いてくれればだいじょうぶなのですが、それまでは水が心配。天水頼りの小さな田なので、この時期は気苦労が絶えません。サミットも終えて、日本の政治も経済もまたこのままいくのでしょうか。それにしても景気は悪い感じですが、中にはとても良いという会社もあるようです。私の知り合いの同業者の方は、原宿に数億円のビルを建てるとか。こうやって儲かってる会社はあるのですが、周囲が良くないので控えめに振舞ってるという話はよくききます。儲かってる会社でも、周囲に合わせて、経費は節減するので目立たないのでしょうね。私のところは大体いつもそこそこで変化ないのですが、このまま何も変えなければジリ貧になる時代です。そのため、常に先を見据えて、新しい挑戦をしていかなくてはダメという厳しさがあるんです。この10年で一番稼いでくれたものが、5回も変わるという変化の早さ。2年前に100万円売り上げていたものが、今は1万円しか売り上げない、、といったことが平気で起こる世界です。なんだか、占いや人生相談の私が、こんな売り上げの話をすると妙な印象を持たれることでしょうが、仕事なのでやはり売り上げのことは重大な関心事なんです。学生時代の時から、私は色々なことをして、お金を得るのが好きでした。最初はバイトを一日に3つも掛け持ちでやったり、わざわざ汚い仕事を見つけてがんばったり。そうのほうがやはりいい収入になったせいですが、とくにゴキブリ退治はプロなんです。三共消毒とかイカリ消毒という大手の会社が昔からあったのですが、今はしりませんが、当時はそういう大手がやってもゴキブリがいなくならない、、、、という不満が結構あって、私が困っているかたがたに、じゃ、やってあげましょう、、、とサービスすると、これがピタリといなくなる。あれは技術が一番大切で、やはりコツがあるんです。おそらく大手の会社では、アルバイトさんの教育が不足しているか、社員の実地体験が少なかったのだと思います。今はもうそんなことはきっとないのでしょうが、昔はそういう傾向があった。ピタリとゴキブリがいなくなったのに驚いたお店の店長などが、今度は同じように困っている同業の仲間にそれを伝える、、そうこうしているうちに、うちもやって欲しい、うちも、うちも、、、という風にして、あっという間に仕事が増えてしまい、意外な儲けになったことが何度かありました。そうやっているうちに、独立して儲けるのはおもしろいな、、、、という感覚になっていったのだと思います。しかし、ゴキブリ退治なんかは、色々なお店を回って、店長に、ゴキブリがいるので3万円で退治します、、、と営業していけば、いまでもいい商売になるような気がします。就職がない学生などは、女子が営業部隊、男子が実行部隊、となってがんばれば、あっという間に年商3000万円ぐらいの仕事ができると思うよ。今は自分たちで独自のものを考えて仕事にしていくのが面白い時代ですね。能力はやっていく中で付いていくので、失敗覚悟でやってみると面白いと思う。しかし私のゴキブリ退治の腕は本物ですよ。宮内庁のゴキブリ退治も長年やっていたんです。宮内庁御用達のゴキブリ退治屋が愛先生だった、、なんて、おかしな話でしょ。学生時代の話ですよ。当時、アルバイトだったのですが、そこの社長さんが、私の話し方がきちんとしているので、宮内庁にはあいつがいい、ということで指名されて、決まってしまったんです。一度そうなると作業員登録するため、会社としては宮内庁の手前あまり名前を変えたくない、ということで、宮内庁行きの時は、星占いで独立した後も数年は呼ばれて行きました。私は天皇にたいする特別は思いはとくにない青年だったのですが、不思議なもので、実際に皇居の中でゴキブリ退治をしていると、なんだか、天皇陛下を影ながらお守りしている、、、そんな不思議な気持ちに勝手になっていたものです。あと印象に残ってるのは、私が勤めさせていただいていたそのゴキブリ退治の会社の社長さんは、今はもうすでに亡くなっているのですが、必ず正装をして、年に一度、昆虫忌という法要に出ていました。
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2003年06月01日(日) 晴れ
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ダービーも無事に終えて、また新しい一年が始まる気分。デムーロ騎手は泣いていましたね。日本のダービーは独特の雰囲気があり、世界を股に駆ける一流ジョッキーでも、よほど嬉しかったのでしょうね。私はまた違った意味で泣きたい気分だけど、まあ、いいレースでした。デムーロさえ来なければ獲れたのに、、、。競馬で負けると、さあ、仕事をしなくちゃ、という気分になります。また今週は忙しくなりそう。月初めは月末の締め切りがいっぱいなので大体は忙しいのですが、そのほかにも色々やることがあり、けっこうハード。東京のオフィスの移転も重なります。今度は車の移動に便利な高速の出口のすぐそば。夜なら、山の家まで帰るのに、これからは90分の便利さに。場所が変わると不思議と考え方が変わったり、やりたいことが変わる、ということがあると思うけど、私の場合もそうした傾向が強いです。2年後から、これまでと違った仕事が新たに加わる予定で、準備をはじめるところ。これまでに新しい仕事に関しては、レストラン計画から始まって、本当に色々やろうとしたけど、どれも最終的に乗り気になれなかった。しかし今考えていることはきっと変わらない気がする。もちろんこれまでの仕事をないがしろにするのではなく、あくまでこれまでに延長線上にあるのだが、まったく新しい試み。スタートは2年後なのでゆっくり準備するが、内容がかたまったらお話しますので、みなさんもどうか協力してください。内容は具体的に固まった時点でお話しますね。何か新しいことをするときは、私は占いなどを見ずに、いつも直感にしたがってきた。直感というよりも、もっと理由のない確信に近い感覚につき動かされるようにして始める。今回もまさにそうです。そのことを愛しているとか、やりがいがあるとか、そういうのではなくて、いきなり確信がきてしまう感覚で、私は動いてきた。そのときは、うまくいくだろうかとか、食べていけるだろうかとか、そういう不安は本当に働かない。だから今回のこともうまくいくかどうかはわからないのだけど、突き動かされてしまう以上、これは仕方ない。結局人間は、自分の意思で動いているように見えて、何かに使われているのかもしれませんね。もっと言えば、本当の自分の深い意思は自分では認識できず、理由のない突き動かしによってそこにいくのかもしれない。しかし思うのですが、色々な人を見てきて、大体30歳を過ぎた頃から、人はその人自身のカルマのようなものにまるで導かれるようにして、それぞれの人生を歩んでいくように感じる。とにかくみんなそれぞれの絵の具をもたらせていて、全体にとっての必要な色を、それぞれが分担して何かに塗っている、、、そういうものなのでしょうね。嫌いな色だと思っても、全体の絵を見れたとき、実はもの凄く感動したりして。自分の人生に文句をいうのも、安易に高評価を与えるのも、あまり急ぎすぎないほうがいいかもしれませんね。
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2003年05月29日(木) 晴れ
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昨晩遅く、今年はじめてのホタルを発見。ふわりふわりと、何匹か飛んでいた。おそらくもっと早い時間には沢山いたのかもしれない。ここのホタルはとても小さなサイズでおそらく平家ホタル。今年もまた来てくれたか、、、と、安心。今色々なところでホタルを復活させようとの試みがなされています。けっきょく、工場を作って町を汚すより、ホタルを再生させたほうが得することに、遅ればせながら行政が気づいたか。ともかく、美しい風土を再生したいとの気持ちは高まっています。しかも日本の基幹産業を、観光に置く英断が下されているのですから、こうした動きは本物になります。美しい国土を再生させるのに一番の早道は、皆が自分の家と庭とを美しくすること。するとあっという間にきれいな日本が誕生します。よく、自分の幸せをガマンして人のために頑張る、ということがありますが、余裕がある人は、確かにそうすべきでしょうが、とくに余裕がない人が、妙に無理をして人を幸せにしよう、何て思うと、大体は変なことになりますね。まず自分が幸せになりさえすれば、全員が幸せになるのですから、一番早いんです。みんなのために、という殺し文句は、だから本当はうそで、みんなのためではなくて、特定の誰かが得しようとするときに、そういう言葉が使われるわけです。みんなのために高速道路が作られ、みんなのために変な病院が増え、みんなのために、奇妙なことが起きているわけです。今は誰もが自分をきれいにしようとするから、日本の女性は、もう全員が美人と言ってもおかしくないレベルに達しています。もしこれを、自分をさしおいて、誰か他の人をきれいにしてあげようとすると、どうなるか。おそらく、今のようには、みんながきれいになることはなかったはず。海の砂を黄色のペンキで塗るのは大変ですが、もし砂粒のひとつひとつが自ら黄色に変わったら、一瞬にして、砂浜の色は変わります。自分が変わることが、世界が変わることだと言うこと。もっといえば、一人が変わることで、世界が変わることでもあります。まず、芸術家や表現者は、一人を感動させること。多くの人にそこそこの評価を求めるのではなくて、たった一人でいいから感動させることができたら、世界中が感動してくれるようになります。量を求める人は、そのことが本質的にわかっていません。大量の支持者という量を求める政治の限界がそこにあります。唯一、互助システムの構築がうまくできれば、量を求める必要はなくなり、新しい政治システムがすぐに構築できるでしょう。なぜ、やろうとしないのかが私にはわからない。おそらく、何かの利益を代表する人の政治だから、量の魔法を解くことができないのでしょうね。リアルでないときに人は量を求めます。人生で大切なのはそこそこの無数の体験ではなくて、少なくてもいいから、リアルな深い体験ということになります。深い感動を一度でも体験した人は、もう安全第一だけのつまらない生き方ができなくなってしまう。自分の人生に深さを求め出す。深い体験がない人は、どうしても安全と量の信仰から抜け出しにくくなります。
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2003年05月27日(火) 晴れ
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万歳。田植え終了。さて、これからは仕事に精を出さなくては。締め切り原稿がいっぱいある。とくにコンテンツ関係の企画だがまったく息を抜けない状況。今年は前半はとにかく企画が多く、実行は夏以降になるでしょう。今年後半、少しは稼いでくれるとありがたいのですが。今、タロットの仕事があり、知り合いの無名のイラストレーターに頼んで、新たにタロットを書き起こししてもらってるのですが、その内容が素晴らしい。絵柄といい、全体的な統一感といい、まあ、素人とは思えません。タロットの図柄を書いたイラストレーターが一様にいうのは、大変な仕事であるということ。必ず行き詰まるらしいのです。あの中にはすべての世界が含まれているわけですから、個人がアクセスできない部分がどこかにあるはずで、そのために図柄にするときに行き詰まってしまうわけです。しかし、今回の人は、出だしはなかなか進まなかったのですが、書き出すとあっという間に大アルカナ22枚を書ききってしまった。しかも、内容が素晴らしくいい。これは本当に実力がある人にしかできないことです。もし反響がいいようなら、うちで実際のタロットカードを作りたいくらい。とても可愛い図柄なのに、そこに普遍性が感じられる。何事もプロもいいけど、それよりも素人の時代ですね。アマチュアの中に凄い才能があふれている。プロになると稼ぐのに忙しくて、かえって勉強ができなかったり、同じことの繰り返しになってしまう危険がある。誰もがきっと何らかのタレントを持っている、、、そこには仕事には編み出しにくい純粋性ときらめきが見られることが多い。私の米作りなんかも、プロの目から見たらひどい内容であるのは当然ですが、しかし、食べてみてびっくり。私の米は決して、新潟産の本物のコシヒカリにまけるものではありませんよ。栽培法に関しても、実はほとんど何も知りませんが、カメムシの害からの守り方は以前にも書いたと思うけど、カメムシが大挙して到来したら、とにかく片っ端から手でつぶして行き、田の周囲をあの臭いで満たすことなんです。するとそれにおびえたカメムシは次の朝までに一匹もいなくなってしまう。私はこの方法を3年は確かめています。素人だからできたことなんです。おそらくこの方法を知っている人は世界にそう多くはいないと思う。素人だと、恐がらずにいろんなことが確かめられるんです。科学や物理の発見も、大体は思惑ではなくて、単なる偶然や期待しない何かによるもの。頭で考えたことではない場合が多い。カメムシの場合でも、せっかく作った米が、数日で食べ尽くされてしまう、、、という絶望感の中で、ほとんど無意識のうちに、プチプチ稲に付いてるカメムシをつぶしていってわかったことなんです。純粋な関心があれば、人間はきっと、何らかの秘密なり、発見なり、深い真実がベールに隠していた何かを、紐解くことになるのかもしれない。それにはいつも初心、素人、であること。確かに最近では、プロっぽい人がテレビで何か言っているのを見ると、凄い、と思う場合ももちろんあるけど、それよりも、なにかうそっぽいものを感じることの方が多い。競馬なんかも、プロの分析よりも、かえって何も知らない人の直感が当たる場合おおいです。いつでも初心でいられるなら、何するにしてもきっとうまくいくのかもしれないね。
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2003年05月26日(月) 曇り
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オークスも悲しみのうちに無事終了。残るはダービーなので気を取り直していこう。やっと田植えをほぼ終えた。水不足でここまで伸びてしまいました。沢水をひいているので本当なら十分に足りるところなのですが、元栓が近くの家にあって、なぜか勝手に止められてしまう。田舎では水の争いは昔からつきもので、私のところもほぼ二年にわたって悪戦苦闘してきました。そして沢水の永久利用権として、昨年に50万円の大金を支払った。その上毎月一万円を刈ってももらえない草刈料の名目でわたしています。これで安心、と思いきや、いざ使うとなると元栓を止められてしまう。始めは一体何のことかまったくわからず、尋ねにいくと、ああすぐ出すよ、、、といってぜんぜん出てこない。元栓があるところはわかってるので、こちらも勝手に行って、あけてくるとすぐにまた止められてしまう、、、、もう何度こうしたことをしてきたか。田舎の大変さですね。しかし50万円は返してもらいたいよね。わたしはこれまでにも比較的お金をだまされることが多かったような気がする。そのたびに戦おうとおもうのだけど、けっきょく忙しすぎて何もできず、黙って損をしてきたことが多い。しかしそれで良かった気もする。だまされたあとは、なにか他の面で必ずいいことがやってくることが多いから。争いに使うエネルギーを他に向けた方が、得することが多いのかもしれないね。ただ、毎回悲しい気持ちにはなるけど。その昔べラコチョフスカさんという超能力者から、お前は一年半前に人にだまされている、、、と言われ、一体何のことかわからなかったことがある。しかしあとでよく思い出すと、思い当たることがあった。心の悩みを電話で答える番組の制作を依頼し、数百万円の代金をとある業者に支払った。スタートはクリスマスイブで、宣伝は35万人の会報誌とのタイアップで、売上の半々の約束だった。番組制作の出来具合が心配だった私は、何度となく出来具合を打診すると、万事オーケーということで安心していた。問題が発覚したのはクリスマスイブの昼。最後の確認に行くと、突然まだできてない、、、との返事。番組の告知はすでにしており、24日の晩から受付電話がかかってくるという切迫した状況だった。こちらが焦っても何か信頼できないものがあったので、とにかく私の回答テープの100本を返してもらい、別ルートで仕事のやり直し。しかしもう暮れなのでどこもやってくれるところがなく、わたしは告知をしてくれた会報誌対する約束がある手前ピンチに陥った。番組製作会社に、いくらでも払うので年内に電話応答システムを作ってください、、、と頼むより他なかった。なんとか2日で作ってもらい、相場の3倍近い、金額を支払ったことがある。どうにかスタートできた安心感からどっと疲れが出て、その晩、出版社の忘年会の帰りに、真黄色の液体をバケツに一杯というとんでもない量を吐いたことがある。あれは何だったのだろう。べラさんはそのことを言ったに違いない。しかしこうしたことは人を見抜けないという自分のミスもあるわけだが、世の中には、善意で保証人になったり、善意の上にひどいだまされ方をしたりして、本当に苦しんでいる人がいると思う。しかし、そんな場合でも、人を恨むと、良い方の人が、実は落ちていくものだ。そんな理不尽な、、との思いは当然あるが、不思議とそういうものなのだ。どんなにひどい仕打ちをされても、あきらめて自分本来のことにまた力を入れていくこと。すると他のことで、運命は帳尻をきっと合わせてくれる。べラさんは、そのあとで、私にお守りだと言って、自分が22年間肌身離さずつけていた金の十字架をわたしにくれた。これをつけていれば、お前は守られる。お前はいつか宇宙と交信するようになる、、と言って、首にかけてくれた。十字架はあれから10年ぐらい経つが、今でも私の首にかけられている。守られているのかはわからないし、宇宙との交信もないのだが、べラさんの温かさは確かに、いつでも私の心に残っている。
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