愛の日記


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週末予定 2015年03月07日(SAT)

  春の気配が強まっています。それでも寒い日がありますが、もうあと少し。

若いころは春なんて待つ気持ちがわかりませんでしたが、歳が行くにつれて、春を待つ気持ちが強まっているのは不思議です。

さて、今週末の予定は、本日の土曜日は、未来医療研究会という会合のため出かけますので、池田山には私は不在です。

しかし、午後三時からいつも通り母音トーニングはあります。未来医療研究会でもチューナーや母音トーニングについてお話ししてくるつもりです。

明日の日曜日の無料セミナーの内容は、さて、何にしましょう、、、春、、、というと出会いと別れの季節、、、そこで、失恋や別れに絡む喪失感についてはどうでしょうか。

人の生涯には、痛みを伴う別れがあり、それ以来時を止めてしまって、先に進めなくなる、、、、という状態が少なからずあると思います。

そのことで人生を決めてしまっている人もけっこういるのです。強欲な政治家を見たりすると、その大本には、異性からの拒否を心理的に取り繕う弁解をしているのではないか、、、と感じることもあります。

失恋や別れが人生を決めていることは、本当は多いのです。3月という別れの季節にあたり、そこらへんのことを話しあってみたいと思います。

何等かの過去に引きづられて先に進めないものが、もしかしたらあるのではないか、、、と思う人、、、また、別れという重要な場面がどういう心理を人にもたらすかなどを知りたい人は、ぜひいらしてください。

30分ほどの無料セミナーですが、最近は長くなってしまう傾向があります。

日曜は午後2時からのスタートを予定しています。土曜は午後三時、日曜は午後二時です。よろしくおねがいいたします。
 


無にしかない力 2015年03月04日(WED)

  電源分離について閣議決定がされたらしい。素晴らしいことだ。これでフリーエネルギー時代が一歩近づいてくる。

電気も自由に売買できるようになるだろうから、皆、一番安く、しかも安全な方法で電気を生みだす電気を選ぶようになる。

電柱が立ち並び、どこか遠くのダムや火力発電、今は動いていないが、原発からやってくる電気などに依存しているのはあまりに不自然だった。

エネルギー政策が変わるのは、時代の変化と直結するので、色々な反対や邪魔も入るだろうが、大きなうねりはフリーエネルギーの方向に行かざるを得なくなる。

誰も認めなくても、政府がフリーエネルギーなんかありません、、、といくら宣伝しても、「これがインチキといわれているフリーエネルギーです。他の電機製造会社の電気よりも、5分の一の値段です、、、、」となれば、インチキだろうが何だろうが構わない、、、となるに決まっている。

色々な方法でフリエネルギーを取り出すことができると思うが、フリーエネルギー―の根本原理を理解しているのは、やはり飯島先生だと思う。

色々な発見からのフリーエネルギーはたくさん出てくるだろうが、原理をちゃんとわかっていると、応用が効くようになる。

多くの人が誤解しているのは、本当は、今でも、昔も、これからも、すべては、フリーエネルギーで動いていたということ。

ガソリンで動いているように見える車も、電気で動いているように見える電車も、食物のエネルギーで動いていると見える人間も、そうではなく、本当はフリーエネルギーによって動いているのだ。

エンジンが動く根本の原理は圧の差によるもので、原理的には最初の爆発さえ人為的な方法によって動かせば、次の爆発からは圧の差がエネルギーを吸引して動くようになるという。

人間も一日の行動をエネルギー換算すると、数万カロリーに匹敵する運動をしているらしい。なのに、食べているのは、せいざい3000カロリー。

人間も食べ物のエネルギーによって動いているのではないということになる。

エネルギーを突き詰めると、意識となる。意識からしかエネルギーは訪れない。意識が途絶えると気絶して倒れるから、確かにそうだともいえる。

意識がおかしい人はどうしてもおかしなエネルギーを集めてしまう。おかしなエネルギーを集めるから、生き方も起こることもおかしくなっていく。

食べることも、一見エネルギーの補給に見えるし、実際にそうなのだが、食べた後はなぜか疲れる。食べ過ぎると免疫が下がるのか、風邪などひきやすくなる。

要は意識がどちらに向くか、、、ということでもある。食べ物は物質。物質化したものは、すでに結果物なので、それ自体には力がない、、、とフリーエネルギー的には考える。

逆に形のないもの、物質でないものとのかかわりは、意識によってしかできない。意識がエネルギーをもたらすのだから、エネルギーは形のないものからしか訪れないことになるのだ。

あそこに行こう、、、と思わなければ、絶対誰もそこにはいかない。

そんなに行きたくない場所であるにせよ、絶対に行かない、、、と思っていたら、やはり行かない。

意識しか行動を生みださない。エネルギーも同じなのだ。意識が所属する世界は無の世界だ。エネルギーは無からしかやってこないのだ。

音叉現象、チューナーで体調が良くなったり、意識が変化しやすくなるのは、音だからエネルギーを持たないものだという点がある。

人に本当のエネルギーを与えるのは、無しかない。意識しかない。おなかがすいているときに食べたトン汁の思いでは、トン汁そのものより、トン汁を作ってくれた、与えてくれた人に対する感謝なのだ。

本当の栄養は意識にしかない。無で私たちは活かされているというのが、フリーエネルギー論の根本になくてはならないし、事実だと思っている。

そうでなければ、高度なUFOも飛ばせないと思うし、安全な科学の時代を築けないだろう。

東大出や官僚の人は、そうしたことが苦手だ。よく理解できない。形あるものしかわからない。形ないものに真実の力があると知らないから、ずるいことも、悪いことも、自分だけよければいい、、、ということができてしまう。

形にないものに本当の力があることを知っていたら、日頃の考え、日頃の意識を無視できなくなる。わかっていないから、悪いことができるのだ。

先日、夢セミナーを終えたが、夢解釈でもっとも重要なことは、夢はこの世での自分を良くするためとか、得するために見るのではない。

そんな小さなものではなく、夢の方が実態であり、現実はすでに結果の世界なので、何の力もない、、、という位置づけが重要なのだ。

少女が大人になっていくとき、生理が始まり、体が変わり、心理的にも不安定になることがある。

夢で、ひとつづつの駅をきちんと通過している夢を少女時代に見ることが多いが、それは、少女が女性に成長していくさまが、ちゃんとうまくいっている、、、という意味と解釈される。

しかし、本当は逆なのだ。そうした夢を見たから、少女はちゃんと成長していくことになるのだ。

夢の方に力があるのだ。夢は意識そのものの世界だから、そこには力がある。エネルギーを持っている。まず夢で起きたことが次に現実になるという順番が本当は正しいのです。

逆はない。しかしほとんどの人がこの世に意味があると思っているから間違いを犯す。逆に考える。

この世の姿には、実はあまり意味はない。なぜなら、それは過去に属するものだから。

私たちは、まず、夢に働きかけ、夢が動けば、現実がきっと訪れる。この順番がわかれば、現世に、現実にそんなに落胆する必要がないことがわかるだろう。

間違った考え方、、、間違った意識が、、、逆にいかに怖いか、、、

夢の中にも、たくさんの友達が本当はいる。しかし、私たちの孤立意識、、、現実意識がそれを閉ざし、この世しかないという苛立った思いが、本当の夢の中の仲間や可能性をクローズしてしまう。

作用と反作用の法則は神の法則だから、こればかりはゆがめられない。作用がない限り、神の扉は開かない。

叩け、さらば与えられ、、、というように、叩かないと、作用しないとあちらも閉じられたままとなる。

たくさんいる夢の友達、恋人、お金、健康、、、に出合うことなく、この世の不幸を嘆く私たち。

順番が間違っているのです。まず、あちらへの作用。その乗り物は意識でありときに感情です。

やさしい感情を抱くことで、あちらの扉を叩くことができたオルフェイス。冥界のプルトでさえ涙させた琴の名手。

金積んでも、食事積んでも、あちらの扉は開けない。形ないものだけが通用する世界。

物質にしか価値がないと教える今の世は、貧しく、間違っているのです。
 


幻想人生の押しつけ 2015年02月27日(FRI)

  現在は大きな時代の流れで言うと、2000年続いたうお座の時代の最後の最後にあたります。歳差現象による時代区分で、占星術ではもっとも大きな時代の区分となります。

歳差現象は逆行しており、1度逆行するのに72年程度の歳月がかかります。アトランティスの智慧としてプラトンがこれを最初に知ったようですが、詳細はよくわかりません。

現在がうお座時代の最後、、その前の約2100年は、おひつじ座時代。おひつじ座は戦いの星座であり、この時代には鉄の武器による力が世界の主力でした。

その前の2100年はおうし座時代。青銅の時代であり、戦いよりも平和で女性の地位が高い時代であり、豊穣がそのシンボルとなった時代。

さらにその前のふたご座時代となるとわからなくなりますが、高い意味では宇宙とのつながりがあり、文字が開発された時代でもあったと思います。

大きな意味で地球の歴史をこの歳差現象は本当によく表していると思います。

さて、ではその流れから現代を見てみると、今はうお座時代の最後の最後。ということは、実はうお座時代がピークに至っているということになるのです。

なんでも最後がピーク。それから転げるようにその力を失ってくずれていくのが、相場でも物事にでも当てはまります。

うお座時代のピークとは、、、多くの人が、いえ、ほとんどの人が、だまされ、幻想を真実と思い込み、みずから現実よりも幻想に自身をゆだねていく、、、そういう時代です。

うそ、、私は何もだまされてない、、、と自信をもっている人がほとんどというくらい、皆、うまくだまされてしまっています。

低いレベルでは、テレビや新聞が言うことが真実だと思いこんでいる人。テレビや新聞はすべてが嘘、、、というと反感を持たれますが、そうした構造をしています。

実際に火事が起きたじゃないか、、、実際に殺人事件があったじゃないか、、、何も嘘なんかついてないし、すべてが嘘というのはおかしいぞ、、、、と、おそらく多くの人がそう思うと思います。

無理もありません。おっしゃるように、実際に火事は起きたでしょうし、殺人事件もきっとあったのでしょう。

起きたことをすべて隠し、嘘の出来事ばかりを言っているというのではありません。問題はそういうことではなく、この世に起きている出来事の何を、どのように、どういう順番で、どの程度の重大性で取り上げるか、、、ということなのです。

それがすべてマスコミに一任されてしまっているのです。競馬を取り上げるのは、せいぜい、ダービー、オークス、皐月賞、天皇賞、有馬記念など、、G1レースの中のとくに大きなレースです。

これはまあ仕方ないことでしょう。でも、野球は毎晩ナイター中継しますし、ウエイトがずいぶんと違います。

マスコミは競馬よりも野球を重視するのです。それはファンの人数や影響力などで判断し、どれだけ視聴率を稼げるかで決められるのですから、仕方ないことなのですが、なぜ野球がメインになっていくのか、、、

それは、野球に関心を向けさせて、政治や他のことに目をむけさせないひとつの選択肢としても、利用できます。

野球好きを育てておけば、何か、知られたくな出来事や情報がある際に、面白い試合をぶつければ、マスコミは重要な他の情報を必然的に物理的時間的に隠すことができます。

いみじくも、安保反対闘争というものが、60年代にありましたが、国会にかなりの人が取り囲んでいても、政府は野球を見ている人の方が多い、、、というような発言をしたことがあります。

まさに、野球は安保を救ったのです。一流の野球家と政治家が自然と密着していた時代のことでもあったでしょう。ツウカーで、面白いように、国民の関心をどのようにも持って行けた面がありました。

たった、野球ひとつでもそうした使い方ができるのです。まして、大事なニュースでも、国民が知るとやっかいな情報は、マスコミは取り上げない、、、取り上げても小さく、さも大したことでないように取り上げる、、、

日曜になると、必ず、事故や火事のニュースが流れる、、、火事というものは、日曜にしか起こらないのではないか、、と思えるほど不思議。

これも、日曜は記者連中が休みだからということ以外に、ある一定の頻度で火事や事故など危険な情報を流すことで、国民をある一定の精神の状態に維持固定化させる働きがある。

ああ、こわいなあ、、、とお茶の間にわざとぶち込むことで、火災保険始め、保険関係は相当に有利になる。国としても、みなさん、結局、個人では危ないですよ、、国や大きなものに頼らないと、国民のみなさん、、、危険ですよね、、、あなたには、力なんか、何もないんですよ、、、、という教育そのものでもある。

ただ、国民がそれに気づかないだけの話し。他国の通貨の危機に関しても、驚くほどのインフレや通貨に価値がなくなるというような、国家幻想がくずされるような情報は、絶対にお茶の間には流さないようにしていると思う。

ロシアのルーブルなどは、一体、何億分の一まで減価したのか、、、詳しいことは決してお茶の間には流さない。借金を返さないことを決めて、むしろ、通貨制度自体がインチキで違法だ、、、と言い放ったアイスランドの態度も、絶対にお茶の間には流されない、、、

なぜでしょう、、、本当のことを言われたら、国民の目が覚めてしまうからです。幻想で持っているうお座の時代なのですから、すべてが嘘なのだが嘘に見えては困る。

あなたの家の中で、今日一日で、次のような出来事が起きたとしましょう。

玄関先に黄色のチューリップが咲いた、、、、
家に強盗が押し入り、お父さんは紐で縛られた、、、
お母さんは、銀座に買い物に行っていた、、、、
お母さんが戻ったら、父は気絶していた、、、
兄に電話をしたら、不在だった、、、
夜遅く、警察が来て、調べていった、、、
眠れないので、ココアにミルクを入れて飲んだ、、、

まあ、たいへんな一日だったわけですが、なぜか、こうした情報として伝えられたらどうでしょう。

Aさん宅の玄関先には、今朝、きれいなチューリップが咲きました。春なんですね。黄色のきれいなチューリップ、、、、素晴らしいですね。

Aさん宅には、どなたか知らない方がいらして、なんだかトラブルが起きたようでしたよ。

でも、お母さんの対応が素晴らしく、お父さんも安心したのか、深い眠りについているようです。

お兄さんにもトラブルについて連絡しましたが、不在のようで、電話を切りました。今度あったときにでも、話そうということだと思います。

トラブルがあったといっても、行政の対応が素晴らしく、いざとなったら夜中でも対応してくれるので、安心ですね。

何と言っても、一番素晴らしかったのは、夜のココア。ミルクが入った幸福な味わい、、、、

素敵なチューリップで一日がはじまり、温かなココアで終えたAさん宅のレポートでした。では、みなさま、お休みなさい。

家の中に強盗が押し掛け、半殺しの目にあうとは、たいへんな事態が起きていたのに、重要性を変え、いい方を変えるだけで、どうとでもなる。かといって、具体的な嘘はついてはいない。

父は気絶していたのではないか、、、の批判には、ですから、深く眠っていたと言ってますよね、となり、

後で、強盗の件がレポートされてないじゃないか、、、の批判には、どなたか知らない方がいらしてトラブッたと言ってます。となるわけです。

夜中に警察が来るような大変な事態ではないか、、、の批判には、だから、きちんと夜中でも対応してくれている、、、というのは嘘じゃないです、、、となる。

大変な一日だったのではないのか、、、という批判には、チューリップを見て始まり、ココアで終えたのだから、何も嘘を言ってない、、、、となるわけです。

国会の答弁も同じようなもので、何をどのボリュームで、どういう順番にもってくるかで、どんなことも、買手な印象付けができるのです。

その仕事がマスコミです。だから、テレビをただで見せたのです。まさにうお座時代のインチキそのもの。

幻想はマスコミのみならず、行きつくところまで行きついている。健康に関しての誤解、美容に関しての誤解、、、それらは、意図的に作られ、目的とするサービスないし商品が売れるように仕向けられていく。

すべてがその調子であり、ことに金融のインチキははなはだしいものがある。働いてお金を得る人と、権利によって得る人がいる。

権利の試行はいくらでもできるので、世の仕組みは一部の強者と大勢の弱者を作り出す。そして、弱者には、幻想を与えて支配する方法がとられる。それがうお座時代ということで、まさに今がそのピークに至っています。

しかしピークということは、崩壊がもうすぐ始まるということでもあります。うお座時代崩壊の流れは、次の時代であるみずがめ座時代の影響によって行われます。

幻想によって真実をおおい隠す支配層、、そして、事実を見つめるよりも嘘の中に安泰を見出したい大衆、、このマッチングを終わらすのは、みずがめ座時代のキーワードである、「我知れり」となるわけです。

インチキも手品も幻想も、真実を知ってしまえば、霧散します。本当のことを知る、、、という意味で、マスコミに対して、ネットでは、嘘の情報の他に本当の情報が流れだしてきています。

情報選択の時代に入ったともいえるでしょう。私はこうした幻想支配については、もう何十年も前から注意深く見ていて、自分自身はどの権威の下にも、どの組織の中にも、どの力関係の中にも入らないと決めて生きてきました。

そのため、自身をあまり誤魔化さないでも済んだ人生だったのですが、それゆえ、時代の巧妙なだましに気づく機会が多かった気もします。まだまだだまされている面はあるのでしょうけど。
 


棺桶瞑想法 2015年02月22日(SUN)

  昨日のブログで取り上げました棺桶瞑想の動画をアップいたします。

棺桶瞑想は、クライアントが横たわり、その四方に施術者が腰かけてチューナー母音トーニングを行うものです。

はじめは発声しないで、沈黙の中で、チューナーを鳴らします。鳴らし方は、三々五々でいいのです。

一斉に合わせて鳴らすのではなく、心むくままに負かせて鳴らしたい人が自由にならします。ただし、自由と言っても、全体の調和がありますので、何等かのここで鳴らしたい、、、という必然が感じられた際にチューナーを鳴らします。

いつ鳴らそうかと、待機するのではなく、他の人が鳴らした音をよく聞いている、、、すると自分もどこで、いつ鳴らしたいかがわかってきます。

要するに自然でいいということです。

ある程度のチューナー音が過ぎたら、また、ここで声を加えたくなる、、、というタイミングがやってきます。

誰かれともなく、母音トーニングが始まる、、、

ひとしきり母音トーニングが行われたら、また、チューナー音のみとなり、棺桶瞑想は終えていきます。

ポイントは四角の座る位置ですが、一人は頭の上、一人は足の下、そして左右脇腹に一人づつの合計四名が取り囲みます。

リーダーはいてもいなくてもいいのですが、譲り合うような不自然なことにならないようにします。また、出過ぎた形で、ひとりだけが突出するのもあまり良くありません。

母音発声は小さくても問題ありません。むしろ、小さ目の声の方がよく効く印象があります。よく効くとは、音がクライアントの体を通過することです。

音が体を通過し、まるで音のクリーニングをされているように感じたり、体が宙に浮く感触を抱く人も多いです。

そして本来なら金属音であるチューナーの音が優勢になるのですが、小さな声でも、棺桶瞑想においては、圧倒的に人の声の存在が大きくなります。

音程は、528Hzの母音トーニングでいいと思います。途中で音程を自由に変えたり、四人の合唱風になってもかまわないのですが、不思議なことに、単純な、オーや、ウーや、アーという母音発声を愚直にシンプルに行っていくと、クライアントの体に音が入っていくようです。

そしてあらゆる母音トーニングで重要なのは、終えたあとの静寂の時間です。これをできる限り長く取るようにしてください。この時に何等かの情報が書き換えられ、人は生まれ変わったようになります。

動画では、静寂の時間を短くしてありますが、もっと長く取るようにしてください。効果はこの静寂の際に受け取るからです。

なぜ棺桶なのかは、理由はありません。棺桶のような形態の瞑想だからですが、生まれ変わりの体感が得られるので、合わせて棺桶瞑想法としました。

22日の無料セミナーは午後三時から行います。海王星バイアスについて。海王星でこの二千年人類はだまされてきました。

人は100円の物を買うときは、シビアに判定し、間違いないように購入しますが、100万円や数千万円の買い物では、よくわからないあいまいな動機で購入することが多くなります。

家を購入したり、事業の展開をしたり、結婚相手を選ぶなども、重要な決断ですので、100円の品を選ぶときよりも、実はアバウトな感覚に依存します。

なので、どうしても失敗が多くなるのです。なぜ、重大な購入や決断がアバウトな感覚になるかというと、自信が本当はないからです。

かなりの大企業主や政治家には、大体は占い師がついていますが、その理由は、自分で決めることを排除し、そのストレスと責任から逃れる心理が働くからです。

そこには、必ず、海王星バイアスがかかっています。人生を棒に振らない意味でも、私たちは、海王星バイアスの力を意識し、それに頼らない生き方を実践しなくては、自分の人生でなくなってしまうでしょう。

この二千年の長い時代、、、私たちはこのバイアスにかなりやられています。夢、、、正義、、、良い、、、吉、、、幸運、、、幸福、、、そうした概念や観念にだまされ、自分の人生を失ってきました。

そして大きなだましであるところの、戦争、景気、通貨という大幻想によって、人生そのものを奪われた歴史があるのです。

今、海王星はご当地の星座であるうお座を運行中です。まだ10年ほどはうお座を進行しますが、この時にこそ、人類は海王星バイアスから抜け出るチャンスとなります。

まずは、自分自身が海王星バイアスから自由になり、良いことや、幸福と言われることを信じるのではなく、自分が良いと感じることを、自分が幸福と感じることを、他の幻想に売り渡さない、、、と決めることが重要になってきます。

そんな話しを明日、みんなでいたしましょう。
午後三時、、無料です。

棺桶瞑想法
 


明日は二度目のみずがめ座新月 2015年02月18日(WED)

  19日の午前8時47分が新月。太陽うお座イングレスがその2分後。なので、明日の新月はみずがめ座での二回目の新月になります。

占星術的な意味もあり、けっこう重要な新月になります。旧正月ともなるわけですが、昨年からの冬至、立春、そして今回の二回目のみずがめ座新月と、重要な変化を告げる天の印が続く印象です。

変化を一言でいうと、悪の力が急速に衰えていると言えます。悪とは、不自然な力と言ってもいいと思います。

人類は本当にこれまで不自然なことをされ続けてきました。あまりに不当な扱いを受けてきたのですが、その呪縛力が消えていく時を迎えています。

すでに時代は大きく変わっているのですが、人々の意識が変化していないと、時代の変化も具体性に欠けてきます。

あらゆる現象、あらゆる物理的な事柄は、すべて、意識によって作られるのです。意識が本当のエネルギー源であり、すでに形あるものには、力などないのです。

みずがめ座は波動の星座ですから、そこでの二回ある新月の年は変化が大きく具体的になってきます。意識の変化をスピードアップさせる天体の印と捉えます。

上の方の旧態依然とした人の意識が低いため、現実を起こす力を失っているのが、現状です。

明治維新を成功させたのは、明治政府でも明治天皇でもなく、民衆の意識の中に変化を求める気持ちが強かったからです。

すべては同様で、人や物事が未来を決めることはなく、そこに暮らす人の意識の総体が物事を決め、現実をもたらすのです。

世界最高の超能力者と言われたべラさんから教わったことは、何が一番偉大なことかわかるか、、愛、、私がわからないというと、べラさんは、それは人の意識を変革させることだ、、、とおっしゃった。

しかし人の意識は変えようとしても変えられない、、とも。それでも、その人の存在が、意識が、行動が、それを見ていた人の、それに触れた人の意識を変えてしまうことが起こる、、、それがもっとも偉大なことだとべラさんは言ったのだ。

自分という存在を考える時、大事なことは、自分を肉体と思うのか、意識が自分だと思うのか、、、の二つの道に尽きる。

自分とはこの肉体が自分だと思えば、病気は怖い、、細菌も怖い、、、貧乏も怖い、、、未来が怖い、、、となって不思議はない。

しかし、意識が自分であるとの立脚点に立つなら、より正しい意識で生きた方が楽だとわかってくる、、、より全体と一体となった意識になった方がうれしいことがわかってくる、、、

そしてフリーエネルギー理論の根底には、本当のエネルギーは意識からしか訪れない、、となる。確かに意識が途絶えたら、気絶してしまい、動けない、、、意識がエネルギーであることの証明となっている。

この意識に正しいも正しくないもないわけだが、どのような意識を持つかで、人生が決まってくる、、、というのは本当だと思う。

金のことばかりが意識の中心にある人もいれば、出世だけが意識の中心にある人もいる。食べ物がそうなる人もいれば、楽したいという意識で生きている人も多い。

皆、それぞれの中心的意識に沿った人生を確かに歩み出す。あたかもカルマに引き寄せられるように道を進む、、、どのような意識であれ、意識からエネルギーは来るのだから、生きることはできる。

しかし、やはりおかしな意識からは、おかしなことが起きてくるし、限界ある意識の人はすぐに壁にぶつかる。何ひとつできない人も中にはいる。

自分とは肉体だと思っている人は、その限界が早い。どこかで肉体とはまた違う意識を広げたい人は、何かで何等かのひらめきを得たり、限界を突破する力を持ったりする。

安陪さんは、日本には、今、この道しかない、、、というが、この道しかない、、、なんてことは、本当はありえない。狭い意識が感じられてしまう。

戦争しかない、、、という時代もあったが、小学校のクラスの中でも、殺し合うような争いなど起こることはない。

常識も身に付けた、冷静な話しあいもできる大人が、しかも、優秀で国を動かすような人々が導き出す答えが戦争だったなんて、、、あまりにおかしな話しである。

狭い意識に退屈するのがみずがめ座であり、そこでの二回目の新月の持つ意味は大きい。

本当のエネルギーは無からしかやってこない。質量のある世界はすでに結果の世界であって、結果で結果に影響を与えることはできない。

私たちは一日を3万カロリー程度を消費する7活動を行っているらしいが、実際に食べているのは、せいぜい十分の一のカロリーでしかない。残りの9割のエネルギー源はではどこにあるのか。

無なのです。意識なのです。質量ゼロの世界からしか、本当の発想も力も解決もないのです。肉体が自分だと思っていると、その力が使えない。そしてこれしかない、、、となってしまう。

戦争するしかない、、、自殺するしかない、、、それは間違いなのです。

音にはやはり大きな可能性があります。なぜなら、質量ゼロだからです。質量ゼロによる道がある。音がその突破口にきっとなると思います。

意識と音の組み合わせ、、、母音トーニングには、あらゆる可能性の海があるということなのです。


そんな時にいざという究極の保身術として、三脈を知っておくと便利ですので、簡単な動画にいたしました。

三脈とは、頸動脈に二カ所指を当てて、脈を探ります。その手首をもう片方の手の指で脈を探り、合計三カ所の脈の速さやタイミングを計ることを三脈を取る、、、と言います。

通常、心臓のリズムと一定の同じタイミングで三つの脈が並行するのですが、時に乱れが起きることがあります。

三つの脈がバラバラになることを死脈と言い、死脈が解消しない限り、24時間以内に死ぬことが起こる、、、と解釈するのが一般的です。実際にはそうでない場合も多いので、あまり心配する必要はありませんが、問題が起きる可能性は高くなります。

そこで、自分の三脈に死脈が出た場合は、そばにいる人にも三脈を行い、その人にも死脈が出ているようなら、その場所が危険とわかるわけです。

自分ひとりが死脈なら、自分の問題であり、自分の居場所を少しづらして再び三脈を取るなどして、24時間以内に起こりうる危険がどのようなもので、どうすれば解決するかを決めていくわけです。

どうすれば死脈が消えていくかを、場所を変えたり、食べ物を変えたり、スケジュールを変えたりしながら探究するわけです。

クラス全員に死脈が出たので、そのクラス全員を他の場所へ移動させたところ、死脈が消えた。その後、学校のその教室が崩落し、そこにいたら全員押しつぶされた、、というような例もあったとか。都市伝説かもしれませんが、似たような話しはけっこうあるようです。

三脈は伝統的な昔からある方法ですので、複雑な現代の変化にも、いざという時に意外が助けになるかもしれませんので、動画でアップしておきました。ご覧ください。

 



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