愛の日記


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披講ウイーク 2015年02月13日(FRI)

  この一週間は披講ウイークでした。先週の土日には初めての披講セミナーがあり、参加された方々の意識が高く、けっこうなレベルまで行けた気がします。

披講とは和歌に日本古来の独特の旋律で歌うことで、和歌とは、実際に歌う歌であったのです。

今では宮中と冷泉家によってそれがなされているのですが、宮中披講と冷泉家の披講では旋律や歌い方が違います。

私たち民間がこのような由緒ある披講を習ったり教えたりするのは、非常に珍しく、おそらく唯一のものだと思います。

披講の旋律は三つしかありません。甲調、乙調、上甲調の三つ。ただ甲調と上甲調は高さが違うだけで旋律は同じですから、旋律は二種類ともいえるでしょう。

先週の土日の二日間で、要するに二つの歌の旋律を覚え、それを歌う、、、という授業を行ったわけです。二つの旋律を覚えるだけなら、比較的に簡単かもしれませんが、単純であるがゆえの難しさがあるのです。

音楽学校や専門家なら、すぐにメロディとして覚えられると思いますが、そうしてもしうたったとしたら、実は披講にはならないのです。

うますぎるというか、味わいがないというか、本質を感じられない、、、とでもいうのでしょうか。披講とは違うのです。

なので、歌が下手であるとか、うまいということは、あまり関係なく、心構えや姿勢、空になる心境などが、思わず出てしまう歌が、披講なのです。

昔は楽部のプロの歌い手が披講をしたこともありましたが、うますぎて味わいがなかったのか、帝が「公家の声が聞きたい、、」と思し召して、以来プロは歌わなくなり、御歌所に在籍する名家の方々によって歌い継がれて行ったわけです。

戦前ならば民間が勝手に披講を行ったり、教えたりしたら、それこそ不敬罪で捕まってしまったでしょう。一部の一部によって秘められて伝わってきた由緒ある歌です。

披講は怖いもので、歌う際に、その人の中身が透けて見えてきます。自慢しているのか、、、うまいと思っているのか、、、自身を虚しくして歌おうとしているのかが、わかってしまうのです。

自我を消して、お役に徹するという哲学が披講にはあります。そうでないと良く聞こえないのです。お役に徹するということになりますから、講師という歌の詠みあげ専門の人は、最後の歌を詠みあげると、そのまま、席を立ち、引き下がってしまうのです。

大勢の人がいる前で、それこそ天皇皇后両陛下がいる前でも、最終歌を読み上げると席を立って、退きます。

それは、お役を終えた者はすみやかに消え去る、、、という日本古来の美学に根差しているともいえるのです。

日曜日の明治神宮会館での披講では、講師のお役は、文官束帯という重い装束を着装していますので、読み上げが終えても、歌が終える最後まで退席しませんが、本来は退席するわけです。

私は日曜は発声という、歌の一小節を一人で歌いだす役をやります。武漢束帯というやはり重たい正装で歌うのですが、リハでは横隔膜が紐でしめられ、息が苦しくどうしようもありませんでしたので、本番では腰に近く紐をしめてもらいます。

先週の土日が披講セミナーで、今週の土日が明治神宮会館での披講デイとなりました。

ソルフェジオ音階も単に昔の音階ではなくて、現代においてもなを変わらずに意識変容をもたらす力のある音階ですが、披講も同様で、昔の伝統文化だけではなく、今なを力を持つ最古の歌の文化なのです。

MI池田山ハウスの今週の土日の予定ですが、土曜日と日曜日が上記の予定のため、私が不在ですが、土曜日は午後3時から母音トーニング(無料)を行います。

日曜日は不在のため、無料セミナーはありません。22日の無料セミナーを楽しみにお待ちください。22日はエミール先生もいらしてくださるというので、楽しみにしております。

あと、山形からも大阪からもいらしてくださる方があり、ご縁ある方々で、お鍋でもつまみましょう、、なんて思っています。22日の無料セミナーは午後3時から
海王星バイアスについてです。

海王星バイアス、、、この二千年、、私たちはこのバイアスの中で生きて来た歴史を持ちます。

宗教支配、、、信念支配、、、幻想支配、、、夢支配、、、あすなろ支配、、、金銭支配、、、もっともっと支配、、、羨望支配、、、スローガン支配、、、

そして見事に奪われ、だまされてしまいました、、、良いというものやことに、、、素敵だという幻想に、、、いつかきっと、、、というだましに、、、

海王星バイアスを今、ほどかねばまた戦争やら貧困やらに騙されて生きることになるでしょう。

美辞麗句や、理想を語ることで、その裏で悪を行ってきたこの二千年、、、今、ピークに騙されている人類ですが、目覚めが近いのも確かです。

海王星がうお座運行の今、、、私たちは海王星バイアスとさよならするときとなっているのです。

2000年続いたうお座バイアスよさようなら、、、それともバイアスと決別しないで、何だかだまされたまま、死んでいきますか、、、

インチキな時代には、インチキだと、はっきり言うと目が覚めるのです。あなたの目が覚めたら、周囲も目が覚め始めます、、、

二千年間、私たちをだましてきたものは、いったい何だったのでしょう、、、
 


チューナー立て 2015年02月10日(TUE)

  手作りの音叉立てを発売しました。完全手作り製品のため、ひとつづつ個性が違っています。

手作り行程は、まず、長い木の切断。これは業者さんまかせ。とはいえ、木の木目が異なるので、ここから個性化が始まっています。

次に一定の大きさに切られた分厚い木に、穴あけを行います。これは私がやりました。失敗作は除いていますが、ここでも個性が出てきます。

穴あけに伴う穴周辺の処理をやすりで行い、木の全体も同様にやすりかけしてどこをもっても手触りがよいようにします。角にぶつかっても大丈夫なようになっています。

最後に焼印を木に直接入れて仕上がり。結構な手間がかかりましたが、工作は楽しいです。

音叉立ては、施術する際に、チューナーを置いておくのに便利です。どこにもないので、仕方なく作ったのですが、手作りはやはり暖かいです。

本日からカートにて発売開始。MI池田山ハウス値段はかなりお得になっていますが、お持ち帰りのお値段です。
直接ご覧になってお求めになるのでしたら、MI池田山ハウスに土日のオープンの際にいらしてお選びください。

2月も立春を過ぎて、陽射しが増してきています。寒さは相変わらずですが、春が近いことが感じられる季節になりました。

今年の世界情勢は荒れ、日本でもテロが心配と、元旦の今年を占うレポートで言ったときは、日本でテロ?  なんて気持ちで自分自身も語っていたのですが、なんだか、わずか一か月の間にそれがおかしなことでない、という雰囲気になってきました。

しかし、テロを起こす人が誰だかわからないのが、テロの特徴。テロを起こすことで誰が得するかがわかるとその犯人がわかります。

すべて、この数百年の歴史はマッチポンプが原則になっており、かなりインチキなものです。戦争を起こしたかったら、反対勢力に見せてテロなど起こせば、許せない、、、という感情を作って戦争にもっていけます。

アメリカはそうしたやり方の総本山。湾岸戦争での油まみれの鳥の写真も嘘のやらせだったようですし、少女の国会での悲劇的証言も嘘だったとようですし、ベトナム戦争発端となったトンキン湾事件もあやしい、、、

911の怪しさに至っては、これほど怪しいものはないというほどあやしい。爆弾の仕掛けられてないビルが勝手に崩壊したり、飛行機が突っ込んで倒れるビルがパウダー化するなど、手品みたいのような話し。

ボストンマラソンの足の骨がむき出しになっている人なんかもいたけど、そんな状態なら、本当なら絶対に気絶するそうです。

要するにやらせ。そういう意味では、本当に怖い世の中ですよね。誰が犯人なのかわからないのに、さも、あいつだ、、、というようにすべてのものが動いて行ってしまう、、、、正しい検証なしに。なので、本当の犯人があとでわかってしまうわけです。

マスコミはまう完全統制のような内容で、見出しまで同じだったりしますし、これから一体どうなるのやらと、ふつうの日本人なら不安を感じて当然でしょう。

戦争したい人なんて誰もいないのですから。しかし、日本が戦争の方向に向かっているのは、どういうことなのか、、、戦争したい人がいるということで、そちらの力が強くなっている。

しかし、天皇様が反対されているのに、それでも力で押し切ろうとしている。天皇には、いつでもこうした側面があったのかもしれません。

私が敬愛している一条天皇の御代は藤原道長の全盛期。道長は一条帝よりも力をもっていた人でした。天皇よりも強い家系があるということでもあります。

しかし、もうそういうことを言っている時代でもないように思えるのです。一番力を持つ人がやはり変わってくれなければならない時代に入った気がします。

プーチンに期待を寄せる人もいますが、確かにプーチンは今は強いですし、これからはロシアの時代に入っていく可能性も高いと思います。

日本のマスコミを聞いていてもわからないと思いますが、日本のマスコミでは世界がロシアを追い詰めている、、、ような印象を与えますが、まったく逆ですね。

追い込まれているのは、ヨーロッパ、アメリカ、日本です。ヨーロッパ、アメリカ、日本なら、ほとんどだと思ってしまうでしょうけど、追い込まれた力が合わさってもどうにもなるものではない。

唯一、日本にはまだ余裕があるかもしれませんし、すでにバブル崩壊の痛手を終えているため、他の国よりも先行しています。

なので、世界は本当は日本が欲しい。日本がキャスティングボードを握れるから、ほっておいてもらえないのです。

官僚も上の方はわかっていると思います。日本の本当の力を。一時天下を取ったようにも思われた財務省が追い込まれているのも、大きな時代観の違いによるものがベースにあってのことではないでしょうか。

日本はアメリカべったりというものの、確かにそうなのですが、その一方で、用意周到にアメリカ離れを準備してきた面があるようにも思います。

ロシアにも本当に力があるのなら、プーチンは影武者など多様しないでしょうし、今、表に出ているプーチンを見ると、どれも影武者のように私には思えます。勘違いかもしれないけど。

ともかく、本当に力を維持したいのなら、大きな時代原理に逆らった形では、それを維持することはできないのです。そして、大きな時代原理は、すでに分離分裂から統合へと向かっていることはもう確かではないでしょうか。

人を不安に陥れ、戦争や分裂によって儲ける時代はもう終えていくのです。ならば、本当に力ある人は、統合とイノチは一つの原理に従うやり方に変更しなくてはならない時がやってくる。

人を不幸にするよりも、人を幸福にすることの方が儲かる時代になっていく。自然を壊して何かを作ろうとするよりも、自然を復活させた方が儲かる時代となっていく。

人を恐怖でしばるよりも、セクシャリティを解放させ、自由にやらせた方が大きな収穫をもってくるようになる。

喜びという大きな宇宙原理を地球の根本原理として受け入れる時代に入っているように思えるのです。

悪い原理であまりにもやりすぎました。まさに変わり目だからきっとそうなるのでしょう。

一見、どんなにおかしく見える時代も、決して、同じ過去に戻ることは絶対にありません。暴力を否定し、戦争を放棄した日本人が、また元の同じ道に戻ることなど、何があっても絶対にないのです。

時代に歯向かうことは、人にはできない。人を不幸に落としいれて散々儲けてきた人は、すでに引き時なのです。どんなに力をもっても、時代の流れに勝つことはできない。

支配の構造を変えたくないのなら、やることを変える以外にありません。そうすれば皆で手を取り合うことができるのです。
 


明日、あさってと披講セミナー 2015年02月06日(FRI)

  明日の土曜とあさっての日曜日は披講セミナーがあります。そのため、土曜の母音トーニングは午後3時から行いますが、日曜日は私がセミナーに出席のため、無料セミナーは行いません。

日曜の無料セミナーは今週はありませんが、チューナー体験や施術体験は土日とも通常通り行っています。お昼から午後6時までです。

披講のセミナーは今回初めてのものです。披講とはいかなるもので、どのように行うのかの、おおよそのことを学びます。和歌の詠み上げ、甲調、乙調の歌い方をマスターしていただき、二日目の最終章では小さな歌会を実際に行う予定です。

披講とは、和歌を古代の旋律に乗せて歌うことを言います。宮中歌会始めをご覧になった方も多いと思います。

和歌の披講を学べる機会は、非常にまれで、披講ができる人はおそらく世界に500人もいないと思います。日本文化の最深に位置する披講ですが、その重要性を理解できる人も少なく、学ぼうとされる人も少ないわけです。

ただ、不思議なもので、披講は縁がもたらすものだと思える節もあり、縁によって呼ばれて覚える、、、という性質があるのかもしれません。その意味で、明日いらっしゃる二十名の方とは、何等かのご縁があるのでしょう。

前世で平安時代の歌会に出ていた、、なんて記憶が思い出されたとしたら、楽しいですね。

宮中歌会始め、、、今年の御製には襟を正すものがありました。御製とは天皇陛下の歌のことを言います。皇后様のお歌が御歌(みうた)で、天皇様のお歌を御製(ぎょせい)といいます。

日本は古来から歌により思いを伝えた国です。また、年の初めに行われる宮中歌会始めでは、天皇のおおせごとによりて広く集められた歌を披講し、國魂に活気を与えます。

年の始めに歌なくしては始まらない、、、それが日本の伝統なんです。今年のお題は本でした。ブックとしての本でも良いですし、日本というように本という字が入ってもいいのです。

天皇様の御製では、根本ということで、熟語として本が使われました。根本、、、これまでの日本の根本を意識されたものだと思いますが、それを打ち切る、、、ねもとに鎌をあてがって切る、という、すさまじいお歌です。

どのような思いなのかは、私のような者にとうてい伺い知ることはできませんが、大変にお強い意思をお歌いになられたことは察せられます。

長く続いてきた日本のよくないなにがしかを、、、暗い田に実る稲とし、それを束にして切る、、、とうたわれる陛下のお心に、歌の神様はどうお答えされるのでしょう、、、

音の神さま、、、歌の神さま、、、がお出ましになられて、世の根本を改めるよう、天皇様は祈られたことになります。

何事もないわけがありません。

明日、あさってのセミナーにおいては、古今和歌集の仮名序冒頭の紀貫之の名文から始まって、最古の和歌と言われる、八雲立つ、、のスサノオの和歌。これは恋の歌です。

そして、万葉集の最後に家持の心がしのばれる、年の始めを歌った歌、、、そして私が敬愛する中島宝城先生の名曲、たにぐくの歌を織り交ぜながら、披講を学びたいと思っています。

母音と倍音については、これまでも各セミナーで重視してきたことですが、披講においては、まさにそれがあてはまることになります。

日本語、、母音、、、倍音、、言葉が言霊となる過程が明確になってきます。やまと言葉と和歌について、自然とその人の範囲内で体得できるセミナーにしたいです。

日本の文化の根底に和歌がありますが、お茶やお華は世界的に有名になりましたけど、歌のないお茶も歌のないお華も、本来はあるわけがないのです。

そうした意味で、日本文化の関係者はすべて和歌披講を学ぶ必要が本当はあると、内心で思っています。
 


立春大吉 2015年02月03日(TUE)

  きょうが節分、明日は立春。いよいよ春です。

年賀状のお返事が毎年遅れて、、、苦し紛れに立春に出すのが恒例でしたが、昨年と今年は、まだそれも追いつかない、、、

常識の儀礼がきちんとできないみずがめ座は、よくないですね。ごめんなさい。年賀状どころか、お歳暮のお礼及び、返答のご挨拶さえまだだということに気づき、愕然。

立春が間に合わなかったので、春分までにはやらなくては。

しかし本当に陽が伸びてきました。明るい春を思わせる日もあります。

立春の明日は、お祝いもかねて、魔女の薬局セミナー@として「自分の香水をつくる」を開催。

参加者は少ないのですが、関係者が非常に多く、けっこうにぎやかになりそうです。フレグランスは何でもよければ簡単に作れるのですが、作る際の意識、センスがやはり命となります。

香りも時間によって変わりますので、イメージをしっかりもっていないと、香りに遊ばれてしまうことになります。

香りのイメージというと何となく心もとない気がするかもしれませんが、そういうことはないのです。まったく逆で、香りは一度印象付けらたり、奥の方に届くと、それは一生忘れることができない記憶になります。

潮の香り、、、雪の匂い、、、台風の香り、、山の匂いも山によって違い、覚えている人もいるのです。

それらの忘れがたい香りは、再びその香りに触れた時、何十年もの月日を飛び越えて私たちの前に現れる、、、過ぎ去った記憶がたった今、そこにあるかのように再現されてくる、、、

プルーストの名著、失われた時を求めて、、、は、紅茶とお菓子の香りに触れて、時が舞い戻ってくるところから始まりますが、同様のことは誰もが必ず、体験しています。

香りというあいまいなものですが、それは一度印象付けられたなら、生涯忘れることなく残され、再び出合うその香りの中で、過去が舞い戻ってやってくるのです。

何というロマン、、、香りのない人生は考えられません。

私は嘘の香りが嫌いで、デパートのようなところで水蒸気にアロマを入れて発散させている場面に遭遇すると、喘息に似た症状が出てくる。

一度、結婚式の一番前の席で、新郎新婦のテーブルに置かれたアロマの香りにやられ、どうにもならない咳が出て、本当に困ったことがある。

と言って式の雰囲気は絶対に壊せない、、、そんなプレッシャーもあって、ナプキンで抑え、ハンカチで抑え、隣の人の使ってないナプキンまで拝借して、死にもの狂いで咳と格闘。

生涯に何度もないイベントなのだから、お願いだからせめて本物のアロマにしてほしいと、申し訳なさもあって、今思います。

明日つくる香水はもちろん、本物の精油がベースです。ローズオットー、ジャスミン、ネロリがそろった本格的で豪華なもの。

半分は精油を使いますから、ローズオットーやジャスミンをふんだんに使われたら、赤字、、、まあ、それは覚悟の上ですが、、、香水瓶を小さいのにすればいいか。

香水瓶も取り揃えてあります。立春にどんな思いの表現がなされるか楽しみです。

イメージを持ち、そのイメージに近いものを調合して表現、、、時間をあけて二回目に香りのチェック、、、さらに数週間後にどう変化するかを楽しくイメージできたら、もう自分の香水になるでしょう。

ネーミングができたら、世界にたった一つしかない自分の香水になります。処方箋を大事にし、重要なイベントの際にその香りをつてに、幸運を呼び込めばよいのです。

一生忘れない香り、、、その実態は一体どちらにあるのでしょうか。香水にあるのか、、イメージの中にあるのか、、、

一生忘れないということは、イメージの中に実態があるからなのです。本物は形や結果ではなく、無の中にこそ存在することの証明になっている。

香りがもっともそれを端的に表してくれることが多いのです。

水泳と自転車は、一度覚えたら、一生忘れない例外的なスポーツです。他のスポーツは大体はダメになったりかなり下手になります。

スキーなど十年もやってないと、まったく問題にならないほど下手になりますね。

水泳と自転車はイメージの中に入り込む要素が強いのかもしれません。

私たちは、結果重視の考え方をしますが、それは本当は損な考え方です。結果などに本当は意味はないのです。

結果、具体的な事柄、事物には、何の力もない、、、というのが、フリーエネルギー論の根本の原理です。

本当の力は無にしかありません。無からやってくるエネルギーによって、実は私たちは生きているのです。そのことがわからないと、幸運もこの世的な実相も十分に理解できなくなるでしょう。

形あるものに力があると思っているのです。だから、地球は不幸なのです。社会も容易に人を不幸にするし、人生も容易に不幸に落とし込まれる。

すでにある物などに力などないのです。皆、病気になった、、、という結果に執着します。そのため、どうにかしなくちゃ、、、早く治さなくちゃ、、、と慌て、大変なことになります。

しかし、病気は結果ですから、本当はそこには力などないのです。もう終えたのです。その結果が病気です。

なので、治す必要も本当はない、、、という考えが正しいのです。順序として。結果なのでもう怖いものではない。

病気をもたらす原因の時代の方に無理があり、怖いのです。結果はもう終えたもの。なので、もうどうでもいいのです。

というと、では治さなくていいのか、、、となりますが、そうです。基本、病気はほうっておけばいいのです。そして病気が結果となったこれまでの生き方に意識を向け、そうではない生き方をすればいいだけ。

病気になった以上、もう結果なのだから終えている。終えているものをどうにかしようとするから、壊してしまう。病気になったこれまでと違った生き方をすればいいだけの話しなのです。

すると、新たな結果がそのうち出てくるので、これまでの病気という結果と相いれないものとなり、原因の方が強いですから、病気は治ったようになるわけです。

病気という結果に煩わされ、それをかまい、それに執着すれば、さらに悪い病状となるだけの話し。

病気は一例ですが、結果を怖がる必要はエネルギー論からいうと漫画になります。貧乏になったのは、もう貧乏を終えていいという印なのです。

病気になるということは、もう病気を終えていいということであり、人気がない人だということは、もう人気がない状態を終えていい、、ということでしかありません。絶対に私は病気を治す、、、なんて、間違った考えなのです。もう終えているのですから。他のことやればいいだけです。(恋が最高でしょうけど、、、)

結果にこだわらないこと。冬至が終えて明日立春を迎えるように、時も状況も進みます。時を止めてああだこうだと騒ぎ立てる人間の悪い癖を、今、変えた方がいいのです。

終えたものは終えたのですから、ご苦労様で送ってあげる。形のない永遠の命を持っている私たちが、バカなことを数千年もやってきたのですよ。自分が肉体だと思うから間違えるのです。肉体も結果でしかありません。
 


たった100億円 2015年01月23日(FRI)

  10万坪に300人程が暮らして、文化や芸術活動を行う、、

朝から晩まで大好きな芸能や芸術活動に明け暮れる、、、空いている時間には、自然を復活させたり、食糧をつくったり、生きるための営みを協力して行う、、、

歌が好きな人は合唱団で歌を歌い、目標を抱きつつ努力し、楽しむ。

夜には10万坪の敷地内のどこかで、必ず、コンサートがあり、合唱が起こり、森でのオペラが繰り広げられる、、

独自の芸能が生まれ、発達する、、、大好きな芸能芸術をみっちり生活の中でしこまれるのだ、、、自然と高度な芸術に育っていくことになる。

それを目当てに人が集まってくる、、、夜な夜な繰り広げられる歌の催し、、、300人の大合唱、、、

水辺で、、山の奥から、、船の一団、、それぞれが歌を歌いつつ集まる様子は、自然の美しさの中で、この世のものとも思われない、、、

地を這うように始まった母音トーニングは、いつしか天の高みまで昇っていく澄んだ音の渦となる、、、

そこには音柱が立ちあがり、宇宙からのメッセージを受け取らんばかりの荘厳さとなるだろう、、、

子供たちは、子供時代からそうした様子を体験しながら育つ、、、自分の生まれた山、、、自分が育った土地、、自分を育んでくれた音、、、

彼らは本当のふるさとを持つのだ。

その山に世界から人が訪ねてくるようになるのも道理だろう。カーネギーホールでも体験できない自然と人と音が一体となった高度な芸術を味わいたいと、世界中から人が集まってくる、、、

山に暮す300人はやさしいホスピタリティの持ち主でもある、、楽しい暮らしが、意義ある暮らしが、彼らを一流のやさしい人物へと育てる、、、

10万坪の土地の移動は馬車である。御者はきれいな少女であり、少年だ、、、歌を歌いつつ馬車は進む。

馬も幸福だ、、

老人が死んだ、、、山は悲しみに包まれる、、、裾野からはじまった人々の歌は、大地や山を包み込むように轟く、、

一日中、夜中まで、生前に老人が愛した歌が歌われる、、、たいまつを抱きながら老人の棺が運ばれる、、、人々の歌声の中を棺は行く、、

生前ともに歌い踊った少女は、老人の棺に泣きつきながらも踊る、、生前ともに歌い踊った少年は、老人の棺を担ぎながらも、歌う、、

なんと豊かな死、、、幸福な老人、、


私がもう20年近く前に書いた、森と平野に分化定住する時代、という本のイメージです。

私はこうした時代がいつかやってくる気がしています。

こうしたことを実現するのは、割と簡単なんです。まず、お金の面から見てみましょう。

10万坪の土地の購入代金  10億円(坪1万円として。実際はもっと安いと思う)

300人が暮らす家の建造費  15億円(150件分の家が一軒1000万として)

10万坪内の道路、電気、水道の施設費 10億円

コンサートホール 3か所建造費  15億円

ホテルや宿泊棟建造費  10億円

馬車、道具類、馬の施設、色々な工芸や文化事業のアトリエなどの建造費     10億円

以上で70億円。予備として30億円。合計100億。

次に運営費用は、下記です。
300人の給与が各月25万円。 合計 月に7500万円

電気、材料費 馬車の運営 アトリエの運営 5000万円

合計、月に12500万円 年間15億円です。

10年まったく売り上げがなくても150億円。

実際には、魅力的な工芸品及びコンサート活動、その後の食堂、レストラン、ビヤホール経営、ホテル収入などで、おそらく黒字になるでしょう。

定住しているので、本物の芸術に育ちますから、吸引力があるはず。必ず黒字になります。しかも大黒字でしょう。

こんな可能性がある事業が、わずか100億円で現実のものとなるのです。

トヨタの年間利益はいくらでしょう、、、おそらく2兆円ほど。こうした次の時代を作る型を、200個も一年で作れる。驚きです。

金だけ儲けて一体何だというのでしょう。大企業が本気で将来の可能性を追求するなら、こうしたことがあっという間に実現できるのです。

フリーエネルギーだけを追求する10万坪があってもいいと思うし、色々な山ができるはず。

国も大企業もやろうとしない、、、金だけを追いかけても、結局は紙切れなんです。紙切れを未来に使ってもらいたい、、、

たった100億の投資で未来の人間の生き方が見えるようになっていく、、、トヨタさん、そろそろ、そうしたことを実行してください。国もそうしてね。

戦闘機一機より安いんですよ。何か間違っているよね。


10万坪の美容ランドを定住者で作ったとしたら、きっと世界中から人が集まるでしょうね。MIココナッツ美容オイルとは関係ない話しですが、面白いですね。資生堂なんか、これからはそうやった方が将来性があると思うけど、、、まだ工場生産にこだわり、流通ルートに乗せてと、、、旧態依然の考えなのでしょうね。

大企業のお偉方さんたち、、急に変わりますよ。大量生産、大量消費、流通ルート、、そんなこと関係なくなりますよ。ダメになりますよ。

明日のMI池田山ハウスの土曜日の母音トーニングは午後3時からです。

あさって、日曜の無料セミナーは午後1時から。内容は直観力の磨き方。
 



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