愛の日記


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選民意識の終わる時代 2015年09月15日(TUE)

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選民意識はどの国、どの民にでも大体はある。ユダヤの民のみならず、日本にも中国にも、また白人という選民意識にも非常に強いものがある。

この数百年は白人文明が世界を席巻した時代だから、白人の意識に優越したものを感じることは確かに多い。

池田山ヒーラーファッションを着て街を歩くと、色々な反応に出会う。おおむね、おやっ! という好意的な反応をみせてくれるが、白人の中に時どき、敵意むき出しに反応してくる人がいる。

最初はこちらの誤解かとも思ったが、何度も出合ううちにそうでもないとわかった。

もちろん、敵意など見せない白人が多いのだが、中に敵意を見せる人がいるということだ。白人以外の外国人からは感じたことがないので、白人特有の反応に感じられた。

おそらく、白人文明、文化が世界一であり、それに従わない表現には違和感を覚えるのだと思う。

日本人の選民意識も、白人以上かもしれない。日本は特別な国である、、、的な発想。どの国だって特別なのだから、日本に限ったことではない。

私自身、日本語の特殊性についてことあるごとに語ったりしているので、そうした誤解を生むかもしれないと思うと、責任を感じる。

中華は中国が中心という発想であり、韓国でも文明のほとんどは韓国から生まれた、、、的な発想を語る人も多い。アフリカ大陸にも同様の発想があると思うし、ヨーロッパにももちろんある。

どの国もどの民族も、自分が一番、、、という気持ちになって当然なのかもしれないが、これだけ世界が狭くなり、関係性が大きくなったのだから、どの国が一番ではすまない時代になった。

もっともらしく遺伝子の問題として優越を語る人もいたりするが、遺伝子に優劣などない。個性があるだけ。

ここに来て、私たちはどの選民意識をも捨てなくてはいけない時代が到来したのだと思う。

それぞれの個性をもちより、それぞれの特性を出し合って、ひとつの人類、地球を運営していく以外に未来はない。

その際に自分が一番優れていると思う思考ほど間違いを生み、問題になるものはない。

日本の官僚などは、自分らがもっとも優秀で、一般庶民は自分らの考えたレールに乗っておとなしくしていてほしいと、本気で考えている節がある。

実際、日本の官僚は確かに優秀だと思うが、それは成績優秀であり、実務面が優秀という一面の優秀さでしかない。

人間にはもっともっと、色々な才能があり、人を笑わせるのがうまい人もいれば、勉強ができる人もいれば、優しい人もいる。

どれも必要な才能であって、どれがもっとも優秀というのは、あまりに大人げない危険な発想だ。そうした一部の才能だけで収まるような時代ではなくなっている。

どの国の防衛と戦力がもっとも大きいとか、戦うとどの国が強いかなどは、結局は間違った選民意識に根差して発展した発想だろう。

確かにまだ防衛が必要な時代なのかもしれないが、そのウエイトはいくらでも小さくできるはずだ。それには、優秀な人がリードする今のやり方では難しい。

どの才能も同じように必要であるという立場に立つと、百花繚乱の国のイメージがでてくるし、百花繚乱の人々の暮らしのイメージがでてくる。

知的優秀=武器と戦争   この方程式でむしろ人類と地球は苦しめられて来たのだ。選民意識が争いを生むわけで、勉強に異様に力を入れれば、必ずと言っていいくらい官僚的な発想が重視される時代になっていく。

日本の中にも、我こそ、、、という貴族意識を持つ人達がけっこういる。大企業であったり、昔からある有力企業であったり、元華族である場合もあるだろう。

そうしたものが力を持ち、また必要な流れも確かにあったのかもしれないが、今、もう一度、素直に裸の気持ちで考えてみると、本当にそれは必要な意識だろうか。

昨日からユダヤの新年が始まった。特別な新年である。ヨベルの年の始まり。

今のイスラエルでどうなっているかは知らないけど、ヨベルの年には、奴隷は解放され、借金はなくなり、あらゆる負債も、罪も許される。

御破算の年である。この年に、あらゆる選民意識をご破算にできたらどんなに素晴らしいだろう。

勉強ができる人は勉強ができることで褒められる、、、足が速い人は足が速いことで褒められる、、、絵がうまい人は絵がうまいということで褒められる、、、

バカな人は、ずるくない個性を褒められる、、、優しい人はとくに褒められもしないかもしれないが、人が寄ってくる。

お金持ちは、お金の面のみでいい思いができるが、だからと言って何ということはない、ただそれだけ。

お金の無い人は、お金がないことのみで困ったりするが、ただそれだけ。

どうっていうことはない。

あらゆる選民意識が終わると、この世は楽になっていく。当たり前のことが当たり前のようになっていき、これまでどんなに無理して生きてきたのか、、、むしろ選民意識に凝り固まっていた人が気づくかもしれない。

まだこの世の中で、階級があり、上下があり、パワハラもセクハラもまかり通っている。どれも小さな選民意識なのだ。

つまらぬものを捨てる、、、そして持っているものを持ち寄る、、、すると誰にでも意味と存在の価値が出てくる。

ヨベルの年に習って、私たちも積もり積もった特別な意識を捨てれば、きっと楽しくなってくる。
 


嬉しい予定 2015年09月10日(THU)

  長年、コツコツとやっていれば、たまにはいいことがあるものです。

来たる、10月4日の日曜日。中山競馬場においてG1スプリンターズステークスが秋のG1初戦を飾ります。

当日午後2時半から中継されるのが、日曜競馬ニッポン、という競馬番組。ニッポン放送のラジオ番組ですよ。

そこに愛先生がゲスト出演することになりました。ラジオ、新聞、テレビにそれこそ何回も出たことのある私ですが、こんなうれしいことはない。

G1レース当日のゲストですよ。外務大臣より偉いんじゃないかな、、、

内容は私がスプリンターズステークスを予想し、その内容の馬券5000円分を局が購入。もし的中したらその的中分の配当を申し込んであるリスナーで分配する、、、という内容なんです。

責任重大。ここは何としても当てなくちゃ。

皆さんもぜひ、10月4日の日曜は、日曜競馬ニッポンを聞いてください。何せ、G1ですよ。総理大臣より偉いんじゃないかな、、、

話しは変わりまして、なぜかこのところ、聖書の中のイエスの言葉を思い出すことが多くなっています。

教会の教理とイエスの言葉の違いに違和感を覚えたことが昔からあって、自分勝手にイエスの言葉を読んできたのですが、ドストエフスキーも獄中で聖書を精読したらしいのです。

そして、イエスほど暖かで素晴らしい人間はいない、、、というような感想を語っていたと思う。

私も昔からそう思っていて、結局、今の時代というか、この二千年の間、キリスト教は広く世界に広まったものの、本当のところのイエスはむしろ隠されてきている、、、、ことを実感しています。

素晴らしいものを乗っ取り、その名を借りて悪事を働く、、、、そうした構造がこの二千年間の隠されたスタイルだったと思うのです。

美辞麗句、言葉だけ、スローガン、イメージ、、にだまされてきた二千年。

イエスをもう一度復活させることはとても重要な気がします。そんなこと私ひとりにできるわけはないのだけど、それぞれのイエスがいてもいいと思うのです。

私が知ったイエス、、、私が感じたイエスを、聖書のイエスの言葉から探っていく試みを機会があるごとにやってみたいと思います。

時代は何を壊そうとしてきたのか、、、、それは、魂の喜びであり、生きがいであり、感動だった気がします。

魂の感動をスポーツの感動に置き換え、魂の喜びを怠惰な喜びに格下げさせ、愛を低俗な欲求に変えさせて、、、、時代を支配する方法。それがピークに達した印象があります。

そのためには、イエスを奪う必要があったのでしょう。東京カテドラル教会ができた時、私はこれが教会なのか、、、と内心で驚いた記憶があります。

まるで刑務所の中のように思えたからです。古い木造の教会は壊され、近代的な鉄筋の教会になっていった、、、、すべての魂のふるさとを違った感動のないものに置き換える作業が、おそらく意図的に行われていたように感じられます。

その根本は、イエスの抹殺だったという直観。大したことは言えないとは思いますが、私が感じたイエスを語りたい、、、、そんな思いがふっとわいてきました。

イエスの語った内容はほとんどが逆説です。この世の苦しみは反対の喜び、、、この世の喜びは何か大事なものを捨てているという構造。

悲しんでいるものは幸いである、、、彼らはなぐさめられるであろう、、、

山上の垂訓の一部ですが、イエスの言葉にあふれるやさしさ、愛、逆説の人生観、、、それは本当に素晴らしい人情であり、真理だと思われます。

人間イエスに迫りたい、、、なんだか不思議な思いがわいてきましたので、いつとは言わず、ことあるごとに語らせていただくことにいたします。

どうかよろしくおねがいいたします。イエス?  なんだかつまらない、、、、とお思いの方も多いと思いますが、ちゃんと話せば本当に面白いんです。

あくまで私のイエス像ですが、読んでいただけたら幸いです。
 


明日から9月 2015年08月31日(MON)

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きょうで8月はおしまい。8月が過ぎれば一年はあっという間、、、そんな気持ちになりますが、確かにあと4か月すればクリスマス、、、なんだか信じられない気分。

ただ色々な出来事が起こるには、残り4か月は決して短くはないでしょう。

昨日の国会に集まった人の群れは、少なく見積もっても10万人は超えているらしい。小雨の寒い中をよく集まりました。群衆を分断したようで、少なく見せる工夫を色々やったようですが、延べ人数にしてみたら、10万人どころか、30万人を超えた、、、という話しも。

警視庁調べで3万人は超えているのですから、かなりの数であることは確かです。

これをNHKが報道しない、、、、まあ凄い話しですが、海外のニュースで取り上げだす中、あわてて民放の方はニュースを流し出す、、、そんな流れです。

NHKは今はいいですが、こんなことしていると、いずれ損することになるのではと、つい思ってしまいます。

川内原発も本日からフル稼働とか。本当に何かおかしいですね。これだけ民意と政治が離れてしまっているのですから、何かが起こりそうな気配を感じます。

民意と政治が離れた際に、どういう出来事が起こるかは、大きな流れがどちらに優位になっているか、、、ということで図れます。

大きな流れには、個人はもちろん、権力さえ勝てないのです。今回の大きな流れは、民意側に立っている気がしますので、政権の方に危機が出やすい構造をしています。

おとめ座という星座は、日頃は説得力があり、まじめでそうかな、、、と思わせる力と個性があるのですが、いったん、あの人が言っていることは嘘、、、という感じが出てくると、なぜか一番批判されやすくなる星座なんです。

前にも言いましたが、現政権の主力である、安倍氏、麻生氏、甘利氏のたまたま3Aトリオになりますが、すべておとめ座生まれ。

一度不信感が出ると、言いやすいというか、わかりやすく批判の対象にされる運命がおとめ座の三人にはあります。ただ、今は太陽もおとめ座に。また幸運の木星もおとめ座に入っているため、なぜか守られやすい。

安倍氏の支持率が再び上がっているというニュースですが、まったく信じられない人には信じられない思いでしょうが、確かに多少は上がっているのかもしれない。

木星の保護力が今、おとめ座にあるからでしょうが、木星が過ぎれば、逆におとめ座には、いて座の土星から、そして何よりうお座の海王星が対立する力をもたらすので、あっという間に霧散する運命となっています。

この9月は天皇陛下の御製にもあるように、刈り入れの時期であり、水面下における戦争が表に出てくる暗示があります。

国と国との争いとはまた別の戦争が現在繰り広げられており、そのことが表に出てくる、、、そうした暗示があります。

果たして、金融で出てくるのか、もしくは軍事で出てくるのか、テロなどの突発的な出来事を通して出てくるのかはまだわかりませんが、9月と10月は要注意時期として星の上からも考えています。

山本太郎氏の国会発言が注目を集めています。日本は実はアメリカ様の支配下にあった、、、、という内容なのですが、もうひとつの日本を見る思いでもあります。

どこにも本当は民主主義などない、植民地が日本だった、、、という内容で、最高裁自体がおかしいとまで、山本氏は詰め寄っている。

わかっている人にとっては、そんなこと前々からの事実なのですが、一般民衆には驚きの内容だったのでしょう。

これが覚醒を生んで行くのか、知らん顔で過ごそうとするのか、、、果たしてどうなるのでしょう。

人は食べていけるうちは体制におとなしく従いますが、そうでなくなっていくと、事実と真実を見る目が出てきますので、流れは段々と後者に移行中。

その結果がこの秋にも見られるようになるのかもしれません。

原発など不要であったという真実、、
貸し出した金が負債から始まる金融のインチキ構造
資本主義も共産主義も同じ力が作ったという事実
911が国家犯罪であるとの認識の一般化
311も同様の構造をしているという思いの一般化
古くは123便の事実の広がり


こうした事柄には真実もあればもっともらしい嘘もはびこるわけで、嘘の部分を取り上げて、すべてを闇に葬るという手法で人は事実に至ることができずにいましたが、やはり時至った、、、、ということで、事実に目を背けては次の時代が築けない、、、という形になっていくと思います。

その先陣が山本太郎氏であったのは、私が新年に予想した通りでもありました。これでベーシックインカムをどなたかが取り上げることで、さらに大きな流れになると思います。山本氏に限らず、どなたかが出てきて、ぜひベーシックインカムを掲げ、それに賛同する者だけで政権を運営できれば、良い時代が訪れます。

ベーシックインカムは、私の考えですが、控えめに考えて、一人毎月10万円をもらえる。4人家族ですと40万円。5人家族だと50万円です。

すぐに人工が増えることでしょう。景気もあっという間によくなります。良くなるどころか、とんでもなくよくなります。

なぜ、こんな夢のような政策が可能か、、、信じられない人が多いと思いますが、逆に質問すると、私たちがいただいている自給900円とか1000円は、安いかどうか、、、。

答えは安い。しかも不当に安い。というのが答えなんです。確かに自給をはるかに高くして儲かる会社など今はありませんので、無理に聞こえますが、本当は、私たちはもっともっともらえるくらい働いてきたのです。

ただ、働いた分のそのお金が、違ったところにもっていかれたため、私たちはずっと貧しかった、、、、ただそれだけのことなんです。

機会化がすすみ、やがては労働時間が三時間程度になる、、、と言われた昔の予測は、見事にはずれたのですが、オートメ、機械化、コンピュータ化が進むことで、収益は実際には予想以上にアップしたのです。

ただ、その収益をわずかな人のところに行ってしまっただけで、他の予想はあたっていたのです。

子供たちや戸籍がない人たちが、ひどい条件で働かせられている、、、という声はよく聞こえてきます。本当に事実なのです。100円SHOPのあの中身を見るにつけ、これで誰が儲かるのか、、、不思議に思ったことはないでしょうか。

そんなんです。わずかな人が儲けるだけで、その製造にかかわる人すべては、嘘のような賃金で奴隷状態で働かされている、、、だからなんです。

見えないところで子供たちが、、、戸籍のない人達が、、、だまされて連れてこられた人たちが、、、、

今のデフレ経済を支えていると思うと、こんなもの、壊れてしまった方がいいと、短気な私などは思ってしまいます。

要するに今の経済も金融も文明も、その大本に不正があるということなんです。

では、私たちが働いた本当の取り分は一体いくら程度なのでしょうか。

ヨーロッパにでも行けばわかりますが、かつては日本よりもはるかに貧しかった国でさえ、ヒッチハイクで旅した番組などでは、昼飯をおごってもらう、、、、そんな場面で衝撃を覚えました。

ランチ、、、トラック運転手さんが毎日食べる、普通のランチの値段が、2000円くらいだった驚き。

2000円のランチを毎日食べられる日本人は、会社務めでは、一部上場企業の部長以上、、、いや、経営者クラスしかいないのでは、、、、

役員程度になればどうってことないかもしれませんが、本当にそうなら、きっと不正な儲けとつながっている人だけではないか、、、そんな思い。

そのランチが、ヨーロッパのかつては日本よりもはるかに貧しい国のトラック運転手さんが、日々食べている。

いいですか、、、私たち日本人はいつの間にか、本当に貧乏にさせられてしまったのです。上のどこからか、お金が漏れていくためです。

漏れていった先はもちろん、日本を支配されているお偉い国のお偉い人達。

そのお金はどういうルートで流れているのか、、、それを追求しようとした国会議員は、なぜかお亡くなりになってしまう。本当に不思議な国が日本です。

ある試算によれば、特別会計という国見の目をくらます財布があり、それは見せなくてもいいという決まり。

特別会計は国家予算よりも大きい、、、ということ自体が異常なのですが、そこからお金が漏れていったとしか思えないのですが、それを試算すると、他のルートを色々合わせると、3000兆円だと。

試算なので本当かどうかはわかりませんが、3000兆円というと、約国民一人当たり2800万円程度。

極論すれば、みんなの財布に2800万円払い戻しがあってもおかしくない、、、ということになる。

4人家族は、明日から突然、1億円ある家になる。一人暮らしのあなた、、、明日から2800万円の財布を持つようになる。

そしたら、景気はもちろん良くなる、、、結婚もひるまない、、離婚も自由。一人で生きていけるから。いやなブラック企業ともおさらば、、、、当たり前、我慢などする必要もないから。

金でこうやって縛られてしまったんですね。私たち、、、。

ベーシックインカムは、そんな特別会計だかなんだかわからないところで税金を消費するのではなく、その分をただ返せ、、、というシステム。

一人10万円として、一か月で12兆円。一年で144兆円の出費となるが、3000兆円失ったことを思えば、できないわけがない。

奪われてしまった金は何も生みださないから苦しいが、ベーシックインカムで得た144兆円は確実に毎年市場に戻ってくる、、、、これまでに考えられなかった好景気となるに決まっている。それが永遠に続く。

なぜなら、それを上回る税収が国には入ってくるからです。

結局、すべての問題は、富を巧みに奪い取る、ごく一部の存在があり、それに従う心を失った財界と政界がもたらした異常であったということに尽きるのです。

そのことが段々と明確になってくる、、、、解放の時代が始まるのですが、その前に、まだ、おとめ座の木星は、一時的におとめ座政権を守るでしょう。

しかし、それはさらなる確定的な瓦解を求めての一時的温存であり、私たちの我慢ももう少しの辛抱と言えます。

そうなると、生き方も衣食住も変わると思う。洋服が本当は優越をベースにした奴隷服であること、、、食べるものが汚染され、イノチによくないものになっていること、、、ゆがめられた科学や物理が本当のフリーエネルギー理論に置き換わっていくこと、、、など、すべてが一新される時代の到来となるでしょう。
 


二重価格 2015年08月22日(SAT)

  銀行に預けてある100万円と、現実に手元にある100万円と、基本的には同じ価値があると思われています。

しかし、状況によっては、現実の手元にある100万円が預けてある1000万円よりも価値がある、、、そんなことも起こることがあります。

世界的に暴落気味の株価ですが、ついにニューヨークの株価に火が付いたようです。

安倍政権にとって、日本の株価は何があっても守らなくてはならない自身の存在の基盤的重要性がありますが、ニューヨークも同様の構図です。

金融勢力の最後の砦がニューヨーク株価で、どんなにおかしいと思われても、何かやってるんじゃないかと疑われても、これだけは死守してきた、、、それがニューヨークの株価。支配勢力の最後の砦。

その株価が崩れてきました。中国のアメリカ国債売り崩しが密かにあったはずで、米中は基本的に裏では戦争状態にあるのだと思います。

国債売り圧力の前で株価維持ができなくなりつつある、、、債権市場は株式市場よりもはるかに大きいので、債権を支えねばならないとなると、株式に回すお金などどこからも出てこなくなります。

国債市場が暴落することは、簡単に言えば国家の終焉ともなる事態ですから、こちらを支えることで、株価対策に回す金がなくなってきます。

どの国もお化粧していた株価や債権価格ですので、こうなると弱いわけです。

今、世界に起きている状況は、見せかけのものと本物の違いの区分けでもあります。

同じ100万円でも10倍以上の違いが段々と出てくる、、、そんな方向に向かいつつある。

金融経済は見せかけの部分が肥大し、本質的なものは逆に見せかけの時代では小さく見えます。

なんだか人間にも同じことが言えそう。おお金持ちの人が割合と質素な服や生活をしていて、一見華やかに見える人の財政が意外に苦しい、、、そんなことが多い気がします。

金融経済ではお金を融通できる力量のことを信用という言葉で表現しますが、信用こそ信用できない構造を持っているのが金融経済界です。

株価程度はインチキ操作で国費を注ぎ込めばどうにでもなるでしょうが、債権市場に赤ランプがともるとそれどころではありません。

これまで相当のインチキをしてきたニューヨーク株式ですから、それが支えられない状況は、実は深刻です。

いよいよ、、、という流れであり、あらゆる価格の二重性が今後わかってくると思います。

事変の最初の頃は、まずすべてが売られることになり、値が付いているものすべてが安くなりますが、今回はどうなるかわかりませんが、基本はそうです。

その後、債権が売られることで、お金の価値自体への不信が出てくる形となります。お金への不信でも、インフレの形を取る場合と、数字上のお金の価値の毀損の形を取るケースがあるでしょう。

すでに数字上のお金には、その価値の毀損が起きているかもしれません。

私たちが銀行から卸す数万円程度のお金には何ら問題がなくても、どこかの国では、数十億円のお金を移動しようにも移動できない、、、そんな事態がすでに起きているかもしれません。もしかしたら、、、の話しですが。

今後、あらゆるところで起きてくる二重価格は、私たち自身にも大きな影響を与えると思います。

自分にはどういう力があり、どういう価値があるのか、、、社会的なことで、家庭的なことで、経済的なことで、能力的なことで、自身の自身に対する価値判断において、こうした追求が起こる時代になります。

その際に嘘は通用しません。なぜなら、嘘の部分が剥がれ落ちるためです。同じ給料をもらっていても、嘘の評価でもらっている人は弱く、実の働きの成果としてもらっている人は強くなります。

それは、家庭でも個人間の人間関係においても同様でしょう。何より、自分自身をどう受け止めるかにおいて、嘘の部分が剥がれ落ちますので、逃げ場のない状況がいたるところで起きてくるのではないでしょうか。

しかし、本当はそんなことはどうだっていいことなのです。剥がれ落ちた結果、自分がバカだとわかったら、私はバカでした、、、と、気づき認めれば、それで問題は終えられるのです。

すべての虚飾が剥がれ落ちる時代とは、事実を認めさえすれば、それを個性として受け入れてくれる暖かで優しい時代の幕開けでもあるのです。

自分の何が剥がれ落ちるか、、、私たちは本当は楽しみに待ち、素っ裸の自身に愛を向けることで、すべての人が救われる時代の到来ともなるのです。

なので、危険もなければ不安も不要です。ただ、自身のイメージに最後までしがみつき、剥がれ落ちて失う者の中に価値を見出すしかない人は、大変だと思います。

結局本当の不幸は、嘘つきであるということなのです。
それさえわかっていれば、どんな困難な時代も越えることができます。

さて、今週のMI池田山ハウスは、本日の土曜と明日の日曜のお昼からオープンしていますので、ぜひ遊びにいらしてください。

これからの時代を共有する場としての池田山ですから、自身の生き方をどうにかしたい、、、と思っている人には、きっと多くのきっかけを与える、見えないもののそんな波動を与える場になっていると思いますので、一度はぜひいらしてください。

本日は二時から「過ぎ行く夏のお茶会」として、たわいもないことでいいので、この夏のことなど話しながらお茶したいと思います。午後二時からです。

明日の無料セミナーはやはり午後二時から、大人気の「エンジェルチューナーのすべて」として、その使い方や内容についてお話しいたします。

エンジェルチューナーをお持ちの方はぜひいらしてください。関心がある方もぜひどうぞ。お持ちでない方は、モニターチューナーがあるので大丈夫です。4224hzの音だけでも聞いていただきたいです。

話しは変わりますが、日本文化の根底にある和歌、、、和歌を古代旋律にのせて歌う披講は、あらゆる文化の根底に位置するにも関わらず、その伝承力は弱く、冷泉家と宮中で細々続けられています。

民間での本格的なものは、私が名誉会長を務めている星と森披講学習会があるだけです。

日本文化のお華やお茶は世界的に影響力があるほど発展しましたが、本来、歌のない、すなわち披講のないお茶会や華道は、異常なことで、本当はありえないのです。

そのことは、おそらくあと数十年もたてば、日本文化が再評価されるあかつきに、日本文化の構成が世界的に研究されることとなり、その中心にあった和歌と和歌披講が特別に重要なものとして位置づけられると、私は信じています。

ヨーロッパの優れている点は、文化を系統的に体系的に位置づける姿勢です。日本文化がそうした形で再評価される日は必ずやってきます。

その際に、和歌と和歌披講の存在は、特別に重要なものとなるわけですが、その重要なものを知る日本人が実に少ないのです。

まして、実際に披講の技術を知る人は、お華やお茶に比べたら、数万分の一程度。非常に心もとない状態であり、今回の二日間の披講セミナーは貴重な機会だと思いますので、関心がある方は、ご参加ください。

9月1日と2日の丸二日間にわたりますので、その基礎を学ぶことができ、実際に歌えるまで指導いたします。

あなたが世界に旅立つとき、海外の方がもっとも知りたいのは、日本の文化です。和歌の披講が最大の客人のもてなしであるという点からも、正式な場において、これほどのサービスはなく、あなたは大統領でさえもてなせる最高の技を習得することになります。
 


2015年 夏休み 2015年08月14日(FRI)

  今週は多少の夏休みをいただき、高原でしばしの休息を楽しみました。

その間に原発再稼働があるという、まるで正気とも思えないことがあり、中国の天津では大爆発で、原因もその内容も不明というまさに末法的な出来事が。

原発というのは、単にお湯をわかすためだけに、危険極まりない核を使用するという、もともとのスタートから正気でない発想でした。

最初から正気でないのだから、最後には、さらに異常性が出てくるのが、運命の法則。まさにそれを地で行っている気がします。

再稼働と言っても、避難政策も決まっていない、異常なやり方であり、福島の原因究明も終わっていない中での、まるでカルトなのか、、と思わずを得ないやり方。

このまま各地で再稼働が進められたら、反対運動がいやが上にも盛り上がることは見えている。見えていることをなぜやるのかというと、それだけ追い込まれているからです。

明治近代国家の総決算としての時期が近づいていることを直観的に感じます。

薩摩の原発。そして、長州の安倍氏。明治を作った意図と力学の総決算が近づいているように思えるのです。

天皇の歌会始における御製にある、夕闇の迫る田に入り実りたる稲の根本に鎌をあてがふ、、まさにその時期が近づいているという予感です。

早場米はそろそろです。実りの秋は近く、近代日本国家の総決算がどのような形となって現実化するのでしょう。

平成とは、すべてフラット。一度何もかもフラットに戻ることがあるのかもしれません。

少なくとも、明治以降の日本は、決して日本的ではなかったのです。戦前の軍事政権も近代的な集権国家も日本的ではない。

日本的なるものは、和であり、ひらがなであり、民意です。

最後の最後に薩長が出てきて、そのフィナーレを演じようとしている。

短い夏休みをいただき、高原で花火を見てきました。
弾薬で使用する火薬を日本では花火に主に用いたのは、おそらく民意であったことでしょう。

鉄砲と花火、、、権威ある人と民意と、日本でははっきり分かれており、150年続いた集権の時代はそろそろ末期となり、民意の時代が始まろうとしています。

では、美しい高原の花火をご覧ください。みんなで良い、自然な時代を築こうではありませんか。

 



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