愛の日記


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幻想人生の押しつけ 2015年02月27日(FRI)

  現在は大きな時代の流れで言うと、2000年続いたうお座の時代の最後の最後にあたります。歳差現象による時代区分で、占星術ではもっとも大きな時代の区分となります。

歳差現象は逆行しており、1度逆行するのに72年程度の歳月がかかります。アトランティスの智慧としてプラトンがこれを最初に知ったようですが、詳細はよくわかりません。

現在がうお座時代の最後、、その前の約2100年は、おひつじ座時代。おひつじ座は戦いの星座であり、この時代には鉄の武器による力が世界の主力でした。

その前の2100年はおうし座時代。青銅の時代であり、戦いよりも平和で女性の地位が高い時代であり、豊穣がそのシンボルとなった時代。

さらにその前のふたご座時代となるとわからなくなりますが、高い意味では宇宙とのつながりがあり、文字が開発された時代でもあったと思います。

大きな意味で地球の歴史をこの歳差現象は本当によく表していると思います。

さて、ではその流れから現代を見てみると、今はうお座時代の最後の最後。ということは、実はうお座時代がピークに至っているということになるのです。

なんでも最後がピーク。それから転げるようにその力を失ってくずれていくのが、相場でも物事にでも当てはまります。

うお座時代のピークとは、、、多くの人が、いえ、ほとんどの人が、だまされ、幻想を真実と思い込み、みずから現実よりも幻想に自身をゆだねていく、、、そういう時代です。

うそ、、私は何もだまされてない、、、と自信をもっている人がほとんどというくらい、皆、うまくだまされてしまっています。

低いレベルでは、テレビや新聞が言うことが真実だと思いこんでいる人。テレビや新聞はすべてが嘘、、、というと反感を持たれますが、そうした構造をしています。

実際に火事が起きたじゃないか、、、実際に殺人事件があったじゃないか、、、何も嘘なんかついてないし、すべてが嘘というのはおかしいぞ、、、、と、おそらく多くの人がそう思うと思います。

無理もありません。おっしゃるように、実際に火事は起きたでしょうし、殺人事件もきっとあったのでしょう。

起きたことをすべて隠し、嘘の出来事ばかりを言っているというのではありません。問題はそういうことではなく、この世に起きている出来事の何を、どのように、どういう順番で、どの程度の重大性で取り上げるか、、、ということなのです。

それがすべてマスコミに一任されてしまっているのです。競馬を取り上げるのは、せいぜい、ダービー、オークス、皐月賞、天皇賞、有馬記念など、、G1レースの中のとくに大きなレースです。

これはまあ仕方ないことでしょう。でも、野球は毎晩ナイター中継しますし、ウエイトがずいぶんと違います。

マスコミは競馬よりも野球を重視するのです。それはファンの人数や影響力などで判断し、どれだけ視聴率を稼げるかで決められるのですから、仕方ないことなのですが、なぜ野球がメインになっていくのか、、、

それは、野球に関心を向けさせて、政治や他のことに目をむけさせないひとつの選択肢としても、利用できます。

野球好きを育てておけば、何か、知られたくな出来事や情報がある際に、面白い試合をぶつければ、マスコミは重要な他の情報を必然的に物理的時間的に隠すことができます。

いみじくも、安保反対闘争というものが、60年代にありましたが、国会にかなりの人が取り囲んでいても、政府は野球を見ている人の方が多い、、、というような発言をしたことがあります。

まさに、野球は安保を救ったのです。一流の野球家と政治家が自然と密着していた時代のことでもあったでしょう。ツウカーで、面白いように、国民の関心をどのようにも持って行けた面がありました。

たった、野球ひとつでもそうした使い方ができるのです。まして、大事なニュースでも、国民が知るとやっかいな情報は、マスコミは取り上げない、、、取り上げても小さく、さも大したことでないように取り上げる、、、

日曜になると、必ず、事故や火事のニュースが流れる、、、火事というものは、日曜にしか起こらないのではないか、、と思えるほど不思議。

これも、日曜は記者連中が休みだからということ以外に、ある一定の頻度で火事や事故など危険な情報を流すことで、国民をある一定の精神の状態に維持固定化させる働きがある。

ああ、こわいなあ、、、とお茶の間にわざとぶち込むことで、火災保険始め、保険関係は相当に有利になる。国としても、みなさん、結局、個人では危ないですよ、、国や大きなものに頼らないと、国民のみなさん、、、危険ですよね、、、あなたには、力なんか、何もないんですよ、、、、という教育そのものでもある。

ただ、国民がそれに気づかないだけの話し。他国の通貨の危機に関しても、驚くほどのインフレや通貨に価値がなくなるというような、国家幻想がくずされるような情報は、絶対にお茶の間には流さないようにしていると思う。

ロシアのルーブルなどは、一体、何億分の一まで減価したのか、、、詳しいことは決してお茶の間には流さない。借金を返さないことを決めて、むしろ、通貨制度自体がインチキで違法だ、、、と言い放ったアイスランドの態度も、絶対にお茶の間には流されない、、、

なぜでしょう、、、本当のことを言われたら、国民の目が覚めてしまうからです。幻想で持っているうお座の時代なのですから、すべてが嘘なのだが嘘に見えては困る。

あなたの家の中で、今日一日で、次のような出来事が起きたとしましょう。

玄関先に黄色のチューリップが咲いた、、、、
家に強盗が押し入り、お父さんは紐で縛られた、、、
お母さんは、銀座に買い物に行っていた、、、、
お母さんが戻ったら、父は気絶していた、、、
兄に電話をしたら、不在だった、、、
夜遅く、警察が来て、調べていった、、、
眠れないので、ココアにミルクを入れて飲んだ、、、

まあ、たいへんな一日だったわけですが、なぜか、こうした情報として伝えられたらどうでしょう。

Aさん宅の玄関先には、今朝、きれいなチューリップが咲きました。春なんですね。黄色のきれいなチューリップ、、、、素晴らしいですね。

Aさん宅には、どなたか知らない方がいらして、なんだかトラブルが起きたようでしたよ。

でも、お母さんの対応が素晴らしく、お父さんも安心したのか、深い眠りについているようです。

お兄さんにもトラブルについて連絡しましたが、不在のようで、電話を切りました。今度あったときにでも、話そうということだと思います。

トラブルがあったといっても、行政の対応が素晴らしく、いざとなったら夜中でも対応してくれるので、安心ですね。

何と言っても、一番素晴らしかったのは、夜のココア。ミルクが入った幸福な味わい、、、、

素敵なチューリップで一日がはじまり、温かなココアで終えたAさん宅のレポートでした。では、みなさま、お休みなさい。

家の中に強盗が押し掛け、半殺しの目にあうとは、たいへんな事態が起きていたのに、重要性を変え、いい方を変えるだけで、どうとでもなる。かといって、具体的な嘘はついてはいない。

父は気絶していたのではないか、、、の批判には、ですから、深く眠っていたと言ってますよね、となり、

後で、強盗の件がレポートされてないじゃないか、、、の批判には、どなたか知らない方がいらしてトラブッたと言ってます。となるわけです。

夜中に警察が来るような大変な事態ではないか、、、の批判には、だから、きちんと夜中でも対応してくれている、、、というのは嘘じゃないです、、、となる。

大変な一日だったのではないのか、、、という批判には、チューリップを見て始まり、ココアで終えたのだから、何も嘘を言ってない、、、、となるわけです。

国会の答弁も同じようなもので、何をどのボリュームで、どういう順番にもってくるかで、どんなことも、買手な印象付けができるのです。

その仕事がマスコミです。だから、テレビをただで見せたのです。まさにうお座時代のインチキそのもの。

幻想はマスコミのみならず、行きつくところまで行きついている。健康に関しての誤解、美容に関しての誤解、、、それらは、意図的に作られ、目的とするサービスないし商品が売れるように仕向けられていく。

すべてがその調子であり、ことに金融のインチキははなはだしいものがある。働いてお金を得る人と、権利によって得る人がいる。

権利の試行はいくらでもできるので、世の仕組みは一部の強者と大勢の弱者を作り出す。そして、弱者には、幻想を与えて支配する方法がとられる。それがうお座時代ということで、まさに今がそのピークに至っています。

しかしピークということは、崩壊がもうすぐ始まるということでもあります。うお座時代崩壊の流れは、次の時代であるみずがめ座時代の影響によって行われます。

幻想によって真実をおおい隠す支配層、、そして、事実を見つめるよりも嘘の中に安泰を見出したい大衆、、このマッチングを終わらすのは、みずがめ座時代のキーワードである、「我知れり」となるわけです。

インチキも手品も幻想も、真実を知ってしまえば、霧散します。本当のことを知る、、、という意味で、マスコミに対して、ネットでは、嘘の情報の他に本当の情報が流れだしてきています。

情報選択の時代に入ったともいえるでしょう。私はこうした幻想支配については、もう何十年も前から注意深く見ていて、自分自身はどの権威の下にも、どの組織の中にも、どの力関係の中にも入らないと決めて生きてきました。

そのため、自身をあまり誤魔化さないでも済んだ人生だったのですが、それゆえ、時代の巧妙なだましに気づく機会が多かった気もします。まだまだだまされている面はあるのでしょうけど。
 


棺桶瞑想法 2015年02月22日(SUN)

  昨日のブログで取り上げました棺桶瞑想の動画をアップいたします。

棺桶瞑想は、クライアントが横たわり、その四方に施術者が腰かけてチューナー母音トーニングを行うものです。

はじめは発声しないで、沈黙の中で、チューナーを鳴らします。鳴らし方は、三々五々でいいのです。

一斉に合わせて鳴らすのではなく、心むくままに負かせて鳴らしたい人が自由にならします。ただし、自由と言っても、全体の調和がありますので、何等かのここで鳴らしたい、、、という必然が感じられた際にチューナーを鳴らします。

いつ鳴らそうかと、待機するのではなく、他の人が鳴らした音をよく聞いている、、、すると自分もどこで、いつ鳴らしたいかがわかってきます。

要するに自然でいいということです。

ある程度のチューナー音が過ぎたら、また、ここで声を加えたくなる、、、というタイミングがやってきます。

誰かれともなく、母音トーニングが始まる、、、

ひとしきり母音トーニングが行われたら、また、チューナー音のみとなり、棺桶瞑想は終えていきます。

ポイントは四角の座る位置ですが、一人は頭の上、一人は足の下、そして左右脇腹に一人づつの合計四名が取り囲みます。

リーダーはいてもいなくてもいいのですが、譲り合うような不自然なことにならないようにします。また、出過ぎた形で、ひとりだけが突出するのもあまり良くありません。

母音発声は小さくても問題ありません。むしろ、小さ目の声の方がよく効く印象があります。よく効くとは、音がクライアントの体を通過することです。

音が体を通過し、まるで音のクリーニングをされているように感じたり、体が宙に浮く感触を抱く人も多いです。

そして本来なら金属音であるチューナーの音が優勢になるのですが、小さな声でも、棺桶瞑想においては、圧倒的に人の声の存在が大きくなります。

音程は、528Hzの母音トーニングでいいと思います。途中で音程を自由に変えたり、四人の合唱風になってもかまわないのですが、不思議なことに、単純な、オーや、ウーや、アーという母音発声を愚直にシンプルに行っていくと、クライアントの体に音が入っていくようです。

そしてあらゆる母音トーニングで重要なのは、終えたあとの静寂の時間です。これをできる限り長く取るようにしてください。この時に何等かの情報が書き換えられ、人は生まれ変わったようになります。

動画では、静寂の時間を短くしてありますが、もっと長く取るようにしてください。効果はこの静寂の際に受け取るからです。

なぜ棺桶なのかは、理由はありません。棺桶のような形態の瞑想だからですが、生まれ変わりの体感が得られるので、合わせて棺桶瞑想法としました。

22日の無料セミナーは午後三時から行います。海王星バイアスについて。海王星でこの二千年人類はだまされてきました。

人は100円の物を買うときは、シビアに判定し、間違いないように購入しますが、100万円や数千万円の買い物では、よくわからないあいまいな動機で購入することが多くなります。

家を購入したり、事業の展開をしたり、結婚相手を選ぶなども、重要な決断ですので、100円の品を選ぶときよりも、実はアバウトな感覚に依存します。

なので、どうしても失敗が多くなるのです。なぜ、重大な購入や決断がアバウトな感覚になるかというと、自信が本当はないからです。

かなりの大企業主や政治家には、大体は占い師がついていますが、その理由は、自分で決めることを排除し、そのストレスと責任から逃れる心理が働くからです。

そこには、必ず、海王星バイアスがかかっています。人生を棒に振らない意味でも、私たちは、海王星バイアスの力を意識し、それに頼らない生き方を実践しなくては、自分の人生でなくなってしまうでしょう。

この二千年の長い時代、、、私たちはこのバイアスにかなりやられています。夢、、、正義、、、良い、、、吉、、、幸運、、、幸福、、、そうした概念や観念にだまされ、自分の人生を失ってきました。

そして大きなだましであるところの、戦争、景気、通貨という大幻想によって、人生そのものを奪われた歴史があるのです。

今、海王星はご当地の星座であるうお座を運行中です。まだ10年ほどはうお座を進行しますが、この時にこそ、人類は海王星バイアスから抜け出るチャンスとなります。

まずは、自分自身が海王星バイアスから自由になり、良いことや、幸福と言われることを信じるのではなく、自分が良いと感じることを、自分が幸福と感じることを、他の幻想に売り渡さない、、、と決めることが重要になってきます。

そんな話しを明日、みんなでいたしましょう。
午後三時、、無料です。

棺桶瞑想法
 


明日は二度目のみずがめ座新月 2015年02月18日(WED)

  19日の午前8時47分が新月。太陽うお座イングレスがその2分後。なので、明日の新月はみずがめ座での二回目の新月になります。

占星術的な意味もあり、けっこう重要な新月になります。旧正月ともなるわけですが、昨年からの冬至、立春、そして今回の二回目のみずがめ座新月と、重要な変化を告げる天の印が続く印象です。

変化を一言でいうと、悪の力が急速に衰えていると言えます。悪とは、不自然な力と言ってもいいと思います。

人類は本当にこれまで不自然なことをされ続けてきました。あまりに不当な扱いを受けてきたのですが、その呪縛力が消えていく時を迎えています。

すでに時代は大きく変わっているのですが、人々の意識が変化していないと、時代の変化も具体性に欠けてきます。

あらゆる現象、あらゆる物理的な事柄は、すべて、意識によって作られるのです。意識が本当のエネルギー源であり、すでに形あるものには、力などないのです。

みずがめ座は波動の星座ですから、そこでの二回ある新月の年は変化が大きく具体的になってきます。意識の変化をスピードアップさせる天体の印と捉えます。

上の方の旧態依然とした人の意識が低いため、現実を起こす力を失っているのが、現状です。

明治維新を成功させたのは、明治政府でも明治天皇でもなく、民衆の意識の中に変化を求める気持ちが強かったからです。

すべては同様で、人や物事が未来を決めることはなく、そこに暮らす人の意識の総体が物事を決め、現実をもたらすのです。

世界最高の超能力者と言われたべラさんから教わったことは、何が一番偉大なことかわかるか、、愛、、私がわからないというと、べラさんは、それは人の意識を変革させることだ、、、とおっしゃった。

しかし人の意識は変えようとしても変えられない、、とも。それでも、その人の存在が、意識が、行動が、それを見ていた人の、それに触れた人の意識を変えてしまうことが起こる、、、それがもっとも偉大なことだとべラさんは言ったのだ。

自分という存在を考える時、大事なことは、自分を肉体と思うのか、意識が自分だと思うのか、、、の二つの道に尽きる。

自分とはこの肉体が自分だと思えば、病気は怖い、、細菌も怖い、、、貧乏も怖い、、、未来が怖い、、、となって不思議はない。

しかし、意識が自分であるとの立脚点に立つなら、より正しい意識で生きた方が楽だとわかってくる、、、より全体と一体となった意識になった方がうれしいことがわかってくる、、、

そしてフリーエネルギー理論の根底には、本当のエネルギーは意識からしか訪れない、、となる。確かに意識が途絶えたら、気絶してしまい、動けない、、、意識がエネルギーであることの証明となっている。

この意識に正しいも正しくないもないわけだが、どのような意識を持つかで、人生が決まってくる、、、というのは本当だと思う。

金のことばかりが意識の中心にある人もいれば、出世だけが意識の中心にある人もいる。食べ物がそうなる人もいれば、楽したいという意識で生きている人も多い。

皆、それぞれの中心的意識に沿った人生を確かに歩み出す。あたかもカルマに引き寄せられるように道を進む、、、どのような意識であれ、意識からエネルギーは来るのだから、生きることはできる。

しかし、やはりおかしな意識からは、おかしなことが起きてくるし、限界ある意識の人はすぐに壁にぶつかる。何ひとつできない人も中にはいる。

自分とは肉体だと思っている人は、その限界が早い。どこかで肉体とはまた違う意識を広げたい人は、何かで何等かのひらめきを得たり、限界を突破する力を持ったりする。

安陪さんは、日本には、今、この道しかない、、、というが、この道しかない、、、なんてことは、本当はありえない。狭い意識が感じられてしまう。

戦争しかない、、、という時代もあったが、小学校のクラスの中でも、殺し合うような争いなど起こることはない。

常識も身に付けた、冷静な話しあいもできる大人が、しかも、優秀で国を動かすような人々が導き出す答えが戦争だったなんて、、、あまりにおかしな話しである。

狭い意識に退屈するのがみずがめ座であり、そこでの二回目の新月の持つ意味は大きい。

本当のエネルギーは無からしかやってこない。質量のある世界はすでに結果の世界であって、結果で結果に影響を与えることはできない。

私たちは一日を3万カロリー程度を消費する7活動を行っているらしいが、実際に食べているのは、せいぜい十分の一のカロリーでしかない。残りの9割のエネルギー源はではどこにあるのか。

無なのです。意識なのです。質量ゼロの世界からしか、本当の発想も力も解決もないのです。肉体が自分だと思っていると、その力が使えない。そしてこれしかない、、、となってしまう。

戦争するしかない、、、自殺するしかない、、、それは間違いなのです。

音にはやはり大きな可能性があります。なぜなら、質量ゼロだからです。質量ゼロによる道がある。音がその突破口にきっとなると思います。

意識と音の組み合わせ、、、母音トーニングには、あらゆる可能性の海があるということなのです。


そんな時にいざという究極の保身術として、三脈を知っておくと便利ですので、簡単な動画にいたしました。

三脈とは、頸動脈に二カ所指を当てて、脈を探ります。その手首をもう片方の手の指で脈を探り、合計三カ所の脈の速さやタイミングを計ることを三脈を取る、、、と言います。

通常、心臓のリズムと一定の同じタイミングで三つの脈が並行するのですが、時に乱れが起きることがあります。

三つの脈がバラバラになることを死脈と言い、死脈が解消しない限り、24時間以内に死ぬことが起こる、、、と解釈するのが一般的です。実際にはそうでない場合も多いので、あまり心配する必要はありませんが、問題が起きる可能性は高くなります。

そこで、自分の三脈に死脈が出た場合は、そばにいる人にも三脈を行い、その人にも死脈が出ているようなら、その場所が危険とわかるわけです。

自分ひとりが死脈なら、自分の問題であり、自分の居場所を少しづらして再び三脈を取るなどして、24時間以内に起こりうる危険がどのようなもので、どうすれば解決するかを決めていくわけです。

どうすれば死脈が消えていくかを、場所を変えたり、食べ物を変えたり、スケジュールを変えたりしながら探究するわけです。

クラス全員に死脈が出たので、そのクラス全員を他の場所へ移動させたところ、死脈が消えた。その後、学校のその教室が崩落し、そこにいたら全員押しつぶされた、、というような例もあったとか。都市伝説かもしれませんが、似たような話しはけっこうあるようです。

三脈は伝統的な昔からある方法ですので、複雑な現代の変化にも、いざという時に意外が助けになるかもしれませんので、動画でアップしておきました。ご覧ください。

 


披講ウイーク 2015年02月13日(FRI)

  この一週間は披講ウイークでした。先週の土日には初めての披講セミナーがあり、参加された方々の意識が高く、けっこうなレベルまで行けた気がします。

披講とは和歌に日本古来の独特の旋律で歌うことで、和歌とは、実際に歌う歌であったのです。

今では宮中と冷泉家によってそれがなされているのですが、宮中披講と冷泉家の披講では旋律や歌い方が違います。

私たち民間がこのような由緒ある披講を習ったり教えたりするのは、非常に珍しく、おそらく唯一のものだと思います。

披講の旋律は三つしかありません。甲調、乙調、上甲調の三つ。ただ甲調と上甲調は高さが違うだけで旋律は同じですから、旋律は二種類ともいえるでしょう。

先週の土日の二日間で、要するに二つの歌の旋律を覚え、それを歌う、、、という授業を行ったわけです。二つの旋律を覚えるだけなら、比較的に簡単かもしれませんが、単純であるがゆえの難しさがあるのです。

音楽学校や専門家なら、すぐにメロディとして覚えられると思いますが、そうしてもしうたったとしたら、実は披講にはならないのです。

うますぎるというか、味わいがないというか、本質を感じられない、、、とでもいうのでしょうか。披講とは違うのです。

なので、歌が下手であるとか、うまいということは、あまり関係なく、心構えや姿勢、空になる心境などが、思わず出てしまう歌が、披講なのです。

昔は楽部のプロの歌い手が披講をしたこともありましたが、うますぎて味わいがなかったのか、帝が「公家の声が聞きたい、、」と思し召して、以来プロは歌わなくなり、御歌所に在籍する名家の方々によって歌い継がれて行ったわけです。

戦前ならば民間が勝手に披講を行ったり、教えたりしたら、それこそ不敬罪で捕まってしまったでしょう。一部の一部によって秘められて伝わってきた由緒ある歌です。

披講は怖いもので、歌う際に、その人の中身が透けて見えてきます。自慢しているのか、、、うまいと思っているのか、、、自身を虚しくして歌おうとしているのかが、わかってしまうのです。

自我を消して、お役に徹するという哲学が披講にはあります。そうでないと良く聞こえないのです。お役に徹するということになりますから、講師という歌の詠みあげ専門の人は、最後の歌を詠みあげると、そのまま、席を立ち、引き下がってしまうのです。

大勢の人がいる前で、それこそ天皇皇后両陛下がいる前でも、最終歌を読み上げると席を立って、退きます。

それは、お役を終えた者はすみやかに消え去る、、、という日本古来の美学に根差しているともいえるのです。

日曜日の明治神宮会館での披講では、講師のお役は、文官束帯という重い装束を着装していますので、読み上げが終えても、歌が終える最後まで退席しませんが、本来は退席するわけです。

私は日曜は発声という、歌の一小節を一人で歌いだす役をやります。武漢束帯というやはり重たい正装で歌うのですが、リハでは横隔膜が紐でしめられ、息が苦しくどうしようもありませんでしたので、本番では腰に近く紐をしめてもらいます。

先週の土日が披講セミナーで、今週の土日が明治神宮会館での披講デイとなりました。

ソルフェジオ音階も単に昔の音階ではなくて、現代においてもなを変わらずに意識変容をもたらす力のある音階ですが、披講も同様で、昔の伝統文化だけではなく、今なを力を持つ最古の歌の文化なのです。

MI池田山ハウスの今週の土日の予定ですが、土曜日と日曜日が上記の予定のため、私が不在ですが、土曜日は午後3時から母音トーニング(無料)を行います。

日曜日は不在のため、無料セミナーはありません。22日の無料セミナーを楽しみにお待ちください。22日はエミール先生もいらしてくださるというので、楽しみにしております。

あと、山形からも大阪からもいらしてくださる方があり、ご縁ある方々で、お鍋でもつまみましょう、、なんて思っています。22日の無料セミナーは午後3時から
海王星バイアスについてです。

海王星バイアス、、、この二千年、、私たちはこのバイアスの中で生きて来た歴史を持ちます。

宗教支配、、、信念支配、、、幻想支配、、、夢支配、、、あすなろ支配、、、金銭支配、、、もっともっと支配、、、羨望支配、、、スローガン支配、、、

そして見事に奪われ、だまされてしまいました、、、良いというものやことに、、、素敵だという幻想に、、、いつかきっと、、、というだましに、、、

海王星バイアスを今、ほどかねばまた戦争やら貧困やらに騙されて生きることになるでしょう。

美辞麗句や、理想を語ることで、その裏で悪を行ってきたこの二千年、、、今、ピークに騙されている人類ですが、目覚めが近いのも確かです。

海王星がうお座運行の今、、、私たちは海王星バイアスとさよならするときとなっているのです。

2000年続いたうお座バイアスよさようなら、、、それともバイアスと決別しないで、何だかだまされたまま、死んでいきますか、、、

インチキな時代には、インチキだと、はっきり言うと目が覚めるのです。あなたの目が覚めたら、周囲も目が覚め始めます、、、

二千年間、私たちをだましてきたものは、いったい何だったのでしょう、、、
 


チューナー立て 2015年02月10日(TUE)

  手作りの音叉立てを発売しました。完全手作り製品のため、ひとつづつ個性が違っています。

手作り行程は、まず、長い木の切断。これは業者さんまかせ。とはいえ、木の木目が異なるので、ここから個性化が始まっています。

次に一定の大きさに切られた分厚い木に、穴あけを行います。これは私がやりました。失敗作は除いていますが、ここでも個性が出てきます。

穴あけに伴う穴周辺の処理をやすりで行い、木の全体も同様にやすりかけしてどこをもっても手触りがよいようにします。角にぶつかっても大丈夫なようになっています。

最後に焼印を木に直接入れて仕上がり。結構な手間がかかりましたが、工作は楽しいです。

音叉立ては、施術する際に、チューナーを置いておくのに便利です。どこにもないので、仕方なく作ったのですが、手作りはやはり暖かいです。

本日からカートにて発売開始。MI池田山ハウス値段はかなりお得になっていますが、お持ち帰りのお値段です。
直接ご覧になってお求めになるのでしたら、MI池田山ハウスに土日のオープンの際にいらしてお選びください。

2月も立春を過ぎて、陽射しが増してきています。寒さは相変わらずですが、春が近いことが感じられる季節になりました。

今年の世界情勢は荒れ、日本でもテロが心配と、元旦の今年を占うレポートで言ったときは、日本でテロ?  なんて気持ちで自分自身も語っていたのですが、なんだか、わずか一か月の間にそれがおかしなことでない、という雰囲気になってきました。

しかし、テロを起こす人が誰だかわからないのが、テロの特徴。テロを起こすことで誰が得するかがわかるとその犯人がわかります。

すべて、この数百年の歴史はマッチポンプが原則になっており、かなりインチキなものです。戦争を起こしたかったら、反対勢力に見せてテロなど起こせば、許せない、、、という感情を作って戦争にもっていけます。

アメリカはそうしたやり方の総本山。湾岸戦争での油まみれの鳥の写真も嘘のやらせだったようですし、少女の国会での悲劇的証言も嘘だったとようですし、ベトナム戦争発端となったトンキン湾事件もあやしい、、、

911の怪しさに至っては、これほど怪しいものはないというほどあやしい。爆弾の仕掛けられてないビルが勝手に崩壊したり、飛行機が突っ込んで倒れるビルがパウダー化するなど、手品みたいのような話し。

ボストンマラソンの足の骨がむき出しになっている人なんかもいたけど、そんな状態なら、本当なら絶対に気絶するそうです。

要するにやらせ。そういう意味では、本当に怖い世の中ですよね。誰が犯人なのかわからないのに、さも、あいつだ、、、というようにすべてのものが動いて行ってしまう、、、、正しい検証なしに。なので、本当の犯人があとでわかってしまうわけです。

マスコミはまう完全統制のような内容で、見出しまで同じだったりしますし、これから一体どうなるのやらと、ふつうの日本人なら不安を感じて当然でしょう。

戦争したい人なんて誰もいないのですから。しかし、日本が戦争の方向に向かっているのは、どういうことなのか、、、戦争したい人がいるということで、そちらの力が強くなっている。

しかし、天皇様が反対されているのに、それでも力で押し切ろうとしている。天皇には、いつでもこうした側面があったのかもしれません。

私が敬愛している一条天皇の御代は藤原道長の全盛期。道長は一条帝よりも力をもっていた人でした。天皇よりも強い家系があるということでもあります。

しかし、もうそういうことを言っている時代でもないように思えるのです。一番力を持つ人がやはり変わってくれなければならない時代に入った気がします。

プーチンに期待を寄せる人もいますが、確かにプーチンは今は強いですし、これからはロシアの時代に入っていく可能性も高いと思います。

日本のマスコミを聞いていてもわからないと思いますが、日本のマスコミでは世界がロシアを追い詰めている、、、ような印象を与えますが、まったく逆ですね。

追い込まれているのは、ヨーロッパ、アメリカ、日本です。ヨーロッパ、アメリカ、日本なら、ほとんどだと思ってしまうでしょうけど、追い込まれた力が合わさってもどうにもなるものではない。

唯一、日本にはまだ余裕があるかもしれませんし、すでにバブル崩壊の痛手を終えているため、他の国よりも先行しています。

なので、世界は本当は日本が欲しい。日本がキャスティングボードを握れるから、ほっておいてもらえないのです。

官僚も上の方はわかっていると思います。日本の本当の力を。一時天下を取ったようにも思われた財務省が追い込まれているのも、大きな時代観の違いによるものがベースにあってのことではないでしょうか。

日本はアメリカべったりというものの、確かにそうなのですが、その一方で、用意周到にアメリカ離れを準備してきた面があるようにも思います。

ロシアにも本当に力があるのなら、プーチンは影武者など多様しないでしょうし、今、表に出ているプーチンを見ると、どれも影武者のように私には思えます。勘違いかもしれないけど。

ともかく、本当に力を維持したいのなら、大きな時代原理に逆らった形では、それを維持することはできないのです。そして、大きな時代原理は、すでに分離分裂から統合へと向かっていることはもう確かではないでしょうか。

人を不安に陥れ、戦争や分裂によって儲ける時代はもう終えていくのです。ならば、本当に力ある人は、統合とイノチは一つの原理に従うやり方に変更しなくてはならない時がやってくる。

人を不幸にするよりも、人を幸福にすることの方が儲かる時代になっていく。自然を壊して何かを作ろうとするよりも、自然を復活させた方が儲かる時代となっていく。

人を恐怖でしばるよりも、セクシャリティを解放させ、自由にやらせた方が大きな収穫をもってくるようになる。

喜びという大きな宇宙原理を地球の根本原理として受け入れる時代に入っているように思えるのです。

悪い原理であまりにもやりすぎました。まさに変わり目だからきっとそうなるのでしょう。

一見、どんなにおかしく見える時代も、決して、同じ過去に戻ることは絶対にありません。暴力を否定し、戦争を放棄した日本人が、また元の同じ道に戻ることなど、何があっても絶対にないのです。

時代に歯向かうことは、人にはできない。人を不幸に落としいれて散々儲けてきた人は、すでに引き時なのです。どんなに力をもっても、時代の流れに勝つことはできない。

支配の構造を変えたくないのなら、やることを変える以外にありません。そうすれば皆で手を取り合うことができるのです。
 


明日、あさってと披講セミナー 2015年02月06日(FRI)

  明日の土曜とあさっての日曜日は披講セミナーがあります。そのため、土曜の母音トーニングは午後3時から行いますが、日曜日は私がセミナーに出席のため、無料セミナーは行いません。

日曜の無料セミナーは今週はありませんが、チューナー体験や施術体験は土日とも通常通り行っています。お昼から午後6時までです。

披講のセミナーは今回初めてのものです。披講とはいかなるもので、どのように行うのかの、おおよそのことを学びます。和歌の詠み上げ、甲調、乙調の歌い方をマスターしていただき、二日目の最終章では小さな歌会を実際に行う予定です。

披講とは、和歌を古代の旋律に乗せて歌うことを言います。宮中歌会始めをご覧になった方も多いと思います。

和歌の披講を学べる機会は、非常にまれで、披講ができる人はおそらく世界に500人もいないと思います。日本文化の最深に位置する披講ですが、その重要性を理解できる人も少なく、学ぼうとされる人も少ないわけです。

ただ、不思議なもので、披講は縁がもたらすものだと思える節もあり、縁によって呼ばれて覚える、、、という性質があるのかもしれません。その意味で、明日いらっしゃる二十名の方とは、何等かのご縁があるのでしょう。

前世で平安時代の歌会に出ていた、、なんて記憶が思い出されたとしたら、楽しいですね。

宮中歌会始め、、、今年の御製には襟を正すものがありました。御製とは天皇陛下の歌のことを言います。皇后様のお歌が御歌(みうた)で、天皇様のお歌を御製(ぎょせい)といいます。

日本は古来から歌により思いを伝えた国です。また、年の初めに行われる宮中歌会始めでは、天皇のおおせごとによりて広く集められた歌を披講し、國魂に活気を与えます。

年の始めに歌なくしては始まらない、、、それが日本の伝統なんです。今年のお題は本でした。ブックとしての本でも良いですし、日本というように本という字が入ってもいいのです。

天皇様の御製では、根本ということで、熟語として本が使われました。根本、、、これまでの日本の根本を意識されたものだと思いますが、それを打ち切る、、、ねもとに鎌をあてがって切る、という、すさまじいお歌です。

どのような思いなのかは、私のような者にとうてい伺い知ることはできませんが、大変にお強い意思をお歌いになられたことは察せられます。

長く続いてきた日本のよくないなにがしかを、、、暗い田に実る稲とし、それを束にして切る、、、とうたわれる陛下のお心に、歌の神様はどうお答えされるのでしょう、、、

音の神さま、、、歌の神さま、、、がお出ましになられて、世の根本を改めるよう、天皇様は祈られたことになります。

何事もないわけがありません。

明日、あさってのセミナーにおいては、古今和歌集の仮名序冒頭の紀貫之の名文から始まって、最古の和歌と言われる、八雲立つ、、のスサノオの和歌。これは恋の歌です。

そして、万葉集の最後に家持の心がしのばれる、年の始めを歌った歌、、、そして私が敬愛する中島宝城先生の名曲、たにぐくの歌を織り交ぜながら、披講を学びたいと思っています。

母音と倍音については、これまでも各セミナーで重視してきたことですが、披講においては、まさにそれがあてはまることになります。

日本語、、母音、、、倍音、、言葉が言霊となる過程が明確になってきます。やまと言葉と和歌について、自然とその人の範囲内で体得できるセミナーにしたいです。

日本の文化の根底に和歌がありますが、お茶やお華は世界的に有名になりましたけど、歌のないお茶も歌のないお華も、本来はあるわけがないのです。

そうした意味で、日本文化の関係者はすべて和歌披講を学ぶ必要が本当はあると、内心で思っています。
 


立春大吉 2015年02月03日(TUE)

  きょうが節分、明日は立春。いよいよ春です。

年賀状のお返事が毎年遅れて、、、苦し紛れに立春に出すのが恒例でしたが、昨年と今年は、まだそれも追いつかない、、、

常識の儀礼がきちんとできないみずがめ座は、よくないですね。ごめんなさい。年賀状どころか、お歳暮のお礼及び、返答のご挨拶さえまだだということに気づき、愕然。

立春が間に合わなかったので、春分までにはやらなくては。

しかし本当に陽が伸びてきました。明るい春を思わせる日もあります。

立春の明日は、お祝いもかねて、魔女の薬局セミナー@として「自分の香水をつくる」を開催。

参加者は少ないのですが、関係者が非常に多く、けっこうにぎやかになりそうです。フレグランスは何でもよければ簡単に作れるのですが、作る際の意識、センスがやはり命となります。

香りも時間によって変わりますので、イメージをしっかりもっていないと、香りに遊ばれてしまうことになります。

香りのイメージというと何となく心もとない気がするかもしれませんが、そういうことはないのです。まったく逆で、香りは一度印象付けらたり、奥の方に届くと、それは一生忘れることができない記憶になります。

潮の香り、、、雪の匂い、、、台風の香り、、山の匂いも山によって違い、覚えている人もいるのです。

それらの忘れがたい香りは、再びその香りに触れた時、何十年もの月日を飛び越えて私たちの前に現れる、、、過ぎ去った記憶がたった今、そこにあるかのように再現されてくる、、、

プルーストの名著、失われた時を求めて、、、は、紅茶とお菓子の香りに触れて、時が舞い戻ってくるところから始まりますが、同様のことは誰もが必ず、体験しています。

香りというあいまいなものですが、それは一度印象付けられたなら、生涯忘れることなく残され、再び出合うその香りの中で、過去が舞い戻ってやってくるのです。

何というロマン、、、香りのない人生は考えられません。

私は嘘の香りが嫌いで、デパートのようなところで水蒸気にアロマを入れて発散させている場面に遭遇すると、喘息に似た症状が出てくる。

一度、結婚式の一番前の席で、新郎新婦のテーブルに置かれたアロマの香りにやられ、どうにもならない咳が出て、本当に困ったことがある。

と言って式の雰囲気は絶対に壊せない、、、そんなプレッシャーもあって、ナプキンで抑え、ハンカチで抑え、隣の人の使ってないナプキンまで拝借して、死にもの狂いで咳と格闘。

生涯に何度もないイベントなのだから、お願いだからせめて本物のアロマにしてほしいと、申し訳なさもあって、今思います。

明日つくる香水はもちろん、本物の精油がベースです。ローズオットー、ジャスミン、ネロリがそろった本格的で豪華なもの。

半分は精油を使いますから、ローズオットーやジャスミンをふんだんに使われたら、赤字、、、まあ、それは覚悟の上ですが、、、香水瓶を小さいのにすればいいか。

香水瓶も取り揃えてあります。立春にどんな思いの表現がなされるか楽しみです。

イメージを持ち、そのイメージに近いものを調合して表現、、、時間をあけて二回目に香りのチェック、、、さらに数週間後にどう変化するかを楽しくイメージできたら、もう自分の香水になるでしょう。

ネーミングができたら、世界にたった一つしかない自分の香水になります。処方箋を大事にし、重要なイベントの際にその香りをつてに、幸運を呼び込めばよいのです。

一生忘れない香り、、、その実態は一体どちらにあるのでしょうか。香水にあるのか、、イメージの中にあるのか、、、

一生忘れないということは、イメージの中に実態があるからなのです。本物は形や結果ではなく、無の中にこそ存在することの証明になっている。

香りがもっともそれを端的に表してくれることが多いのです。

水泳と自転車は、一度覚えたら、一生忘れない例外的なスポーツです。他のスポーツは大体はダメになったりかなり下手になります。

スキーなど十年もやってないと、まったく問題にならないほど下手になりますね。

水泳と自転車はイメージの中に入り込む要素が強いのかもしれません。

私たちは、結果重視の考え方をしますが、それは本当は損な考え方です。結果などに本当は意味はないのです。

結果、具体的な事柄、事物には、何の力もない、、、というのが、フリーエネルギー論の根本の原理です。

本当の力は無にしかありません。無からやってくるエネルギーによって、実は私たちは生きているのです。そのことがわからないと、幸運もこの世的な実相も十分に理解できなくなるでしょう。

形あるものに力があると思っているのです。だから、地球は不幸なのです。社会も容易に人を不幸にするし、人生も容易に不幸に落とし込まれる。

すでにある物などに力などないのです。皆、病気になった、、、という結果に執着します。そのため、どうにかしなくちゃ、、、早く治さなくちゃ、、、と慌て、大変なことになります。

しかし、病気は結果ですから、本当はそこには力などないのです。もう終えたのです。その結果が病気です。

なので、治す必要も本当はない、、、という考えが正しいのです。順序として。結果なのでもう怖いものではない。

病気をもたらす原因の時代の方に無理があり、怖いのです。結果はもう終えたもの。なので、もうどうでもいいのです。

というと、では治さなくていいのか、、、となりますが、そうです。基本、病気はほうっておけばいいのです。そして病気が結果となったこれまでの生き方に意識を向け、そうではない生き方をすればいいだけ。

病気になった以上、もう結果なのだから終えている。終えているものをどうにかしようとするから、壊してしまう。病気になったこれまでと違った生き方をすればいいだけの話しなのです。

すると、新たな結果がそのうち出てくるので、これまでの病気という結果と相いれないものとなり、原因の方が強いですから、病気は治ったようになるわけです。

病気という結果に煩わされ、それをかまい、それに執着すれば、さらに悪い病状となるだけの話し。

病気は一例ですが、結果を怖がる必要はエネルギー論からいうと漫画になります。貧乏になったのは、もう貧乏を終えていいという印なのです。

病気になるということは、もう病気を終えていいということであり、人気がない人だということは、もう人気がない状態を終えていい、、ということでしかありません。絶対に私は病気を治す、、、なんて、間違った考えなのです。もう終えているのですから。他のことやればいいだけです。(恋が最高でしょうけど、、、)

結果にこだわらないこと。冬至が終えて明日立春を迎えるように、時も状況も進みます。時を止めてああだこうだと騒ぎ立てる人間の悪い癖を、今、変えた方がいいのです。

終えたものは終えたのですから、ご苦労様で送ってあげる。形のない永遠の命を持っている私たちが、バカなことを数千年もやってきたのですよ。自分が肉体だと思うから間違えるのです。肉体も結果でしかありません。
 



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