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■ ゼロが無限 |
2017年02月05日(SUN) |
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フリーエネルギーの根本原理は、ゼロにしか無限はなく、あらゆるエネルギーはそこから訪れるということだと思います。
しかし私達は多くの場合、そうは考えません。どこかにあったものがなくなった場合を、私達はゼロと思いやすく、そうしたゼロしか考えようとしません。
10万円を使ってしまって、貯金がゼロになったら、ゼロ円、、というゼロです。
火事で家が焼ければ、家がゼロになります。
地球資源が使い過ぎてなくなれば、やがて、石油も資源もゼロになると試算したりします。
こうなると、さあ大変とばかり、あれをしてはダメ、これをしてはダメと、政治がしゃしゃり出やすくなっていきます。
人生設計もいくつまでいくら貯めて、、、というゼロにならない計画が重視されるようになっていきます。
こうした物的ゼロをゼロとして捉えがちな私達は、つい、この世的な価値観に従うようになっていきます。
勉強しなくては良い将来がない、、、良い学校にはいらなければ未来は暗い、、、30歳までに結婚しないと女性は不利、、、家くらいもたなくては、、、定年後はいくらかかる、、、保険に入らなくては不安、、、
こうしたことが悪いわけではなく、私達の安心として働く場合はもちろんあると思います。
問題があるとしたら、それらの不安や常識や価値観は、物質のゼロを避けようとする、物質主義のところにあるのです。
物質主義が悪いわけではありませんが、事実でないとしたら、事実から立脚しない価値感も考えも、私達を幸福にするとは思えません。
ゼロが実は無限と同居していることが事実だとしたら、物資的なゼロにばかり意識を向けることは、不自由そのものになりはしないでしょうか。
物は意識から、ゼロから生じた物だとすれば、それらはすべて結果物であって、何の力も有していないのです。
電車にのってどこかに行った場合、物質の考えでは、電車で行けた、、、となりますが、ゼロの視点では、行こうと思ったから行けた、ということになります。
そして、すべてはまず先に意思と、その前に存在する意識によって行動が生まれますので、質量のないゼロにしか、本当は私達を動かす力は存在しません。
ただ、電車に乗って行った、、、と物理的に考えた方が分かりやすい考えがあり、そちらの物理的な側面をつい重視してしまうのです。
しかし、電車で来ようが、歩いて来ようが、飛行機で来ようが、それが大した問題になることは実際には少ないのです。
そんなことより、おばあちゃん、、、会いたくて来たよ、、、という思いが人生や生き方や今後の人生に大きな影響を与えることは明白です。
しかし、そんなゼロを忘れ、電車で来たとか、飛行機が良いとか、どの会社はどうだとか、人は外面上のことばかり、あきもせずに話し続けます。
ゼロがそんなに怖いのでしょうか。いつしか私達は、肉体という質量のある存在を、自分だと勘違いするまでに至ってしまったわけです。
ゼロがすべてを作っているのに、ゼロ以外からは喜びは訪れないというのに。
会社に飼いならされた男性の心の固さが問題になることがありますが、それはゼロよりも、会社組織やどこの大学を卒業したとかいう、外見の物質的なものにとらわれ、ゼロを失ったつまらぬ表現のためです。
企業も政治も、このゼロから遠ざかるほど、儲からなくなりますが、それは人の心を打たなくなるからです。
今はまさにそれがピークに至っていますので、この社会はこのままはいかなくなると思います。すでにあるものにしか価値と力を認めない人が上に立っていますので、ゼロからの政策も魅力ある訴えもないことになるからです。
あった物がゼロになれば、一瞬は誰でも落ち込み、再起不能になると思われるかもしれません。人はそれを恐れて、物質的なゼロを遠ざけようと自己保身的になります。
本来なら、物質的ゼロに陥った際にも通用する教育や哲学が必要なのですが、それが残念なことにありません。人の魂を救済する宗教でさえ、現世利益に傾き、あの神様を信じると金が入る、この神様を信じると権力が入る、です。
ゼロに至った人間をいかに、それがゼロではなく、無限のゼロの入り口に導くかが大切なのです。
それが教育や哲学や場合によっては経済でなくてはなりません。
ずるい金儲けを考えても、ゼロから言わせれば、非常に危険であり、儲かるわけがない、、、との視点がないのです。
物質的ゼロが無限のゼロと同居することを理解すれば、逆境や不幸と思える事柄が、本当のプレゼントであることを私達は理解します。
本来の宗教や教えもそれがメインに来なくてはならないと思うのですが、要するに落ちぶれてしまったのです。
あらゆる物質的ゼロ状態のお取り上げは、本物のゼロ、無限のゼロ、すべてを生み出すゼロに至る道であり、道というより、そのものです。
なので、不幸とは、すでにある物質的な視点で物事をとらえ、考え、それ以外に道はないと思う意識に他なりません。
幸福とは、ゼロを受け入れ、物質的なゼロが大きな世界であることを受け入れた、本当の安心感を言うのです。
イエスが最低の物資的ルームである、馬小屋で生まれた、、、
カエルが一番豊かになったというような昔話し、物質的ゼロになって考えを変えたことから、今の自分がある、、、という成功体験など、質的な進歩は、ゼロの受け入れ以外はからは起こりません。
なぜなら、それが事実だからです。
身体が全て、、、果たして本当でしょうか。その体を生み出しているものは、本当に栄養や遺伝子なのでしょうか。本当はあなたの意識ではないでしょうか。
自分は無の存在なのか、肉体の存在なのか、、、肉体を持つ以上は後者であることも事実ですが、それを維持運営しているものは、やはり無の意識なのです。
金が欲しい、、、地位が欲しい、、、私もそう思います。ですが、だからと言って金を得るために貯金したり、何年計画で貯金しても、本当に貯まるでしょうか。
計画は現実的で立派に見えても、その通りに行くものでしょうか。
私達を取り巻く物質的なものには、本当は実態がないのではないでしょうか。それらは、かつての、それを作り出す意識が作り出した抜け殻に過ぎないのです。
それを作り出した意識が変化したりなくなれば、糸も簡単にこの世から姿を消してしまうのではないでしょうか。
だから、この世に残っているもっとも古いものは石などであって、建造物などは、心もとないものであり、これからも残るものは、石などはかなり残りそうですが、銀座も浅草も、ロンドンも、どうなるか分かったものではありません。
意識が作り、意識がそれらを継続させているだけです。
会社も先代の社長の考えが残されているうちはうまく行くかもしれませんが、金儲けだけに走ったら、ゼロを失い、つぶれるに決まっているのです。
しかし、勉強だけができる二代目、三代目は、そのことが分からず、合理的と言って、物質意識一辺倒となり、あえなくその姿を消していくのです。
ゼロ、、、それは身近であり、いつでもどこでも、あなたに寄り添い、どんな状況や運命からも、あなたを永遠に守り通してくれているのです。
ただ、そのことに私達が気づかない、、、ただそれだけなのです。 |
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■ 現代は信仰の時代 |
2017年02月02日(THU) |
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占いや迷信や非科学的なものは大方の人はバカにします。
ただ面白いのは、鋭く天才性のある人は、まずほとんどが逆に関心を示します。
ユングは自分が考えた人格類型より、12星座パターンの方を重視しました。
目に見えるものは信じる、、、形あるものしか信じない、、、一見合理的なようでいて、それは現代の信仰になっているのです。
目に見えるものしか信じない、、、という現代の信仰は、911のような劇画的現実を見せて、人々の心を支配しようとたくらみます。
911事件がインチキがベースになっていることは、もう明白であり、飛行機突入などなかったのです。
飛行機が突入したと信じている人は、ではなぜ飛行機が突入するだけで、大きなビルがパウダーにならなくてはいけなかったのでしょう。
ありえないことです。自爆したビルはあのようにして壊れますので、911は自爆以外にありません。
こうした事件を劇画仕立てにつくり、あたかも事実かのようにお膳立てする。
要するに手品なのです。見たものしか信じない人の意識には、手品を与えて信じさせることが早道です。
作り上げられた事件の数々、、、そこにはあたかもそう見える手品が使われている、、、
クリントン女史が勝利した際には、宇宙人情報が語られるはずだった、、、という話しがありましたが、それはどういう意味だったのか、考えると非常に興味深いものがあります。
おそらく、悪い宇宙人がいて、そうした宇宙人が地球を攻めてくる、、、そうなれば、地球全体に戒厳令が敷かれますので、簡単にワンワールドが作られる、、、そんな手品だったのかもしれませんね。
推測に過ぎませんが、ともかく手品で人を騙す信仰の時代なのです。
医療も手品、薬も手品、マスコミも手品、政府の運営も手品の手法を使います。
政治家を動かしているのは、民意ではなく、民意に見せた芝居、手品が本質です。そのため、もっとも影響力を持つのは、広告代理店になります。
好印象を持たせる手品政治では、どこで手を振り、どのように振り、そこで知り合いと目があったようにしておどけ、どこそこで立ち止まる。
要するに政治家は俳優でなくてはならないのです。
アメリカではついに本物の俳優が大統領になったわけで、レーガンもそうでしたが、トランプ氏も俳優のような人です。
ただトランプを雇っているのは、これまでの大統領を雇っていた勢力とはかなり異なる点です。
芝居は芝居でもこれまでとは違った芝居が始まることになるでしょう。良い結果をもたらす芝居なら私は良いと思っていますが、、
国会質問の受け答えでは、安倍氏をはじめとして、一様に気をつけているのは、言葉の内容ではないのです。
気をつけているのは、印象なのです。内容ではなく、どういう印象を与えるかが大事なのです。
国民にとって冷たくひどい内容を難しく、わかりにくく言っておいて、最後に「国民のために誠心誠意やっていくつもりです」と必ず、そのような美辞を付け加えるのです。
そうすると、よく内容はわからないけれど、何か信頼してもよさそうだ、、、という一般向けの印象操作ができます。
「自由に枠にしばられずに仕事ができるわけで、女性は時間を気にせずに仕事で才能を発揮することができるわけです」などと言って、残業法案を通すような、そんなやり方と言ってもよいでしょう。
芝居です。印象だけ良くして、ひどいことを決めていくのです。劇画です。もっと言えば、偽宗教の信仰のようなものを信じさせるのが政治手法となります。
だから、政治が広告代理店の仕事になるのです。配役は俳優というよりも、手品師である必要性が段々と高まっています。
911も手品の手法。それで不要な戦争を起こせたのですから、濡れ手に泡。多くの戦争を起こして儲ける。力を得る。世界中に火付け盗賊、戦争を行い、どんどん権力と資源を独り占めにしていく、、、、それがこれまでのアメリカ支配層のやり方でした。
トランプはそれは止める、、、と言っています。どんなやり方になるかはわかりませんが、他国との間に戦火を起こした方法はもう取らないと、はっきり言っている。
アメリカ国民のための政治を行うとも言っています。
そこに日本の首相が出てきて、我が国の年金資金をアメリカの内需のために使う、、、と言い出した。
トランプアメリカは戦略的外交はやめて内向きの政策に移ろうとしていたので、内需を高めたいのはもちろんの話し。そこに日本人の年金を使ってそれをやってくださいと言い出したのが安倍氏。
私もまさかそこまで言い出すとは思ってもいませんでした。これははっきり言って問題があります。
マスコミが何を誤魔化そうと、アメリカの内需のために、アメリカ内部の職を増やすために、日本人の年金資金を使う、、、意味がわかりません。
厳密に考えると、これは犯罪に当たるのではないでしょうか。法律について知らないので何とも言えませんが、自分の家族のために積み立てたお金を、他の家族のために、使うという話しですから、家族は「えーっ、ちょっと待って、、」ということになると思うのです。
家族が大変なお金持ちで、有り余るお金があって、気の毒な家を助ける、、、というのなら、わかります。
しかし、お金を出す方の家は、正社員の道を閉ざされて、アルバイトや派遣でコツコツと貯めた貯金なのです。
それを放蕩の限りを尽くした家とその家族のために、相手から言われる前に、ぜひ、私の家のお金を使ってください、、、と言い出すとは、本当に意味がわからない。
「お代官様、私の娘です。どうぞ自由にしてください」と、悪代官が言い出す前に、家の主人が娘を差し出すというような話しです。
日本って、そんなに落ちぶれているのでしょうか。
こうしたことが、まかり通るとしたら、劇画や信仰の中での話し以外にありません。通常の社会の話しではあり得ないからです。
やはり私たちは、手品の手法によって動かされる、インチキ信仰の時代を生きているのです。
これを止めないといけない。
大本にあるのは、現代の最高の手品、それはお金です。お金という信仰手品にすべての人が少なからず捉えられているのです。
しかし、これは信仰ですから、いざとなったら、紙切れになる波乱をはらんでいます。
私たちの人生は紙切れに支配されているわけで、ここから自由になることをみなで考え、行動していかねばなりません。
どうすれば、お金の信仰から自由に脱皮することができるのでしょう。衣食住さえ自由に作れれば、どうにかなるはずです。
もっとも高価な家は、都市集中しているからで、平均的に安全な場を求めていけば、一か所に集中することなく土地などどうにでもなるはずです。
住宅の建築費も高価ですが、わざわざ高価な家を作っても、地震や災害に弱い家では意味がありません。
家は重量が重たすぎるかもしれません。発泡スチロールで安くて丈夫な家ができるプランもあります。大きな家でもわずかな暖と冷で、夏も冬も快適に過ごせるようです。
地震が来て潰れても、手で押しのけて出てこれます。
そんなものでもよいのではないでしょうか。
服は有り余っています。ミシンがあれば、自由に個人でも良い服が作れます。世界の貧しい人々をこき使って安く作る大手の服などよりも、ずっと私たちに幸福な波動を与えてくれる良い服ができると思います。
そういう服着たいですね。○黒よりずっと幸せ。
残るは食です。食が汚されています。ゼロポイントの考えを利用応用すれば、無農薬の栄養価の高い素晴らしい野菜や米も作れます。
野菜を作ることで、野菜と自分との間に共振が起こり、野菜は作る人にあったものとなっていきます。
幸福の連鎖が自然界の中で起こります。地上の自然界は残念ながらお金の信仰によって壊されていますので、純粋なものは、むしろキッチンの畑でできるのです。
さらに、蛋白源の魚でさえ、家で活かして成長させられます。
飯島先生のオフィスにいた金魚を、いつもお邪魔するたびに私は見ていたのですが、楽しそうにしているのが伝わるのです。
ある日、いつもと違う金魚の雰囲気を察した私がそういうと、飯島先生は、「ああ、さっき、何かを変えたから、、まだ馴染んでないんだね」とおっしゃりました。
何を変えたかは、よく聞き取れなかったのですが、私の金魚眼は間違いなかったと内心誇らしく思ったものです。
その金魚ですが、先日、松原先生から伺った話しでは、「あの金魚、業者が100万円で売ってくれ」と言ってきたことがあるとか。
飯島先生は、「縁日で30円だったのにね」と。
何が30円の金魚を100万円に変えたのか、、、フリーエネルギーなのです。
エサも与えないで育てていらっしゃいましたので、フリーエネルギーを浴びて喜んで育った金魚を100万円で売って欲しいと。(私ならすぐに売ってしまうかも)
食物には何の力もない、エネルギーもない、カロリーもない、、、無からしか有は訪れない、、、ご存知フリーエネルギーの法則です。
それを見事に実践した金魚は。30円だったものが100万円の金魚に大出世。
話しがそれましたが、要するに、フリーエネルギー、ゼロポイントエネルギーを利用すれば、素晴らしい魚も家で飼えるわけです。
ちょっと大きなお風呂桶などを利用すれば、蛋白源が詰まった生き物の冷蔵庫のようなものです。
ただ、情が移って食用には使えなくなるかもしれませんが、これからの時代は、これまでのインチキ時代の後始末に入りますから、一時的に、食物がなくなる、、、海産物の毒が危険、、、農薬の危険など、食べるものがなくなるうえに、信頼おけない状況になると思います。
みんなが家で、仲間同士で作り合う、、、そんなことを実行すれば、お金信仰からどんどん自由になっていけると思います。
昔はそれがなかなかできませんでしたが、今は、工具も道具もすべて個人に与えられています。
大きな工場で作る物より、家族が、個々の部屋で丹精込めて作るものの方がよくなっていきます。みんなが楽しく働く場が増えていきます。
生きるためにつくる、分け合う、、、お金を離れると、何でも非常にわかりやすくなります。
嘘を言う必要がなくなります。喜びが伝わります。助け合いが必然になります。悪意が不要になります。
そうした一方でお金で買えるものが、つまらない、イノチのない、どうでもよいものばかりになっていきます、、、
この逆転劇が始まろうとしている。
それには、リアルを見つめる目が必要であり、劇画の嘘から覚め、手品を見破り、そういうインチキなものや人たちを相手にしない生き方の確立が急がれると思うのです。
人類は何百万年もやってきています。生きていくことが難しいわけがないのです。工場がないから、、、政府資金がないから、、、会社に行かねば、、、屈辱的なことを我慢しなくては、、、生きていけない、ということなどないのです。
衣食住の無借金での自立。これは頑張ればできる時代になっていますので、できるところからやっていきたいものです。そして、健康で持続可能な人間生活を構築していく。
あまりにバカらしい上の政策や政治に、イライラする必要もなくなります。
本当の自立を目指そうではありませんか。
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