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■ 池田山スタイル 冬バージョン |
2015年10月31日(SAT) |
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明日の11月1日からMI池田山ハウスでは、冬物の池田山スタイルを用意しています。
外掛け腹巻き おしゃれゲートル「足首美人」 マフラー アームウオーム 暖か前掛け 一枚布コート大小 など。
外掛け腹巻きは、通常腹巻は服の中と決まっていますが、ここでは外掛けになり、暖房とおしゃれの両方を兼ねたものになります。
中に巻く腹巻きでは、どうしても太く見えますので、むしろ外に思い切って帯のような形にした方がおしゃれです。
おしゃれゲートル「足首美人」は、とにかく足、とくに足首を細くスマートにするための暖房兼、美容、健康のためのもの。
レギンスやサポーター類など、足を細くするためのものはいっぱいありますが、まず、ゲートルにはかなわないでしょう。なぜ世界の軍隊のすべてが第一次大戦ではゲートルを使用したのか、、、その理由は健康にもよく、歩くのが楽になったからです。
言葉で言うのもなんだかむなしいので、この体に良いゲートルをおしゃれとして、美容として、暖房として取り入れたのが、おしゃれゲートル「足首美人」です。
マフラーは麻製。巻き方によってはとてもおしゃれで暖房効果が抜群であり、しかも汗が気になりません。
麻は冬にこそ、使った方がよい素材であることがきっとわかると思います。
アームウオームも池田山製のとてもおしゃれなものを用意してあります。ワンピースからのぞいたアームウオームはとてもかわいい印象に。
前掛けは、これも暖房件おしゃれな装いです。お相撲さんの化粧まわしのように、もう少し小さ目ですが、巻きスカートの上に前掛けをつけます。
温かさ、、、色の合わせの美しさで、独特の趣きを感じさせる、池田山スタイルならではの世界を作ってくれます。
そして私が一番お気に入りの、一枚布コートです。たった一枚の布が織りなす装いの世界には、無限の可能性が眠っています。
いくつかの装いを下記の動画に掲載しましたので、ご覧ください。一枚布の魅力は無限です。これまでの体のラインに沿った服という概念がいかに小さく、精神的な限界を感じさせるか、悲しくなるほどです。
一枚布には、3メートルと2メートルの二種類があります。どちらも最高の麻製の生地を使用していて、そこに包まれている安心感は、まるで瞑想のように感じられます。
これらすべては、まだカートでの発売はなく、明日からMI池田山ハウスでのみ、お披露目いたします。
どうか1枚布コートの魅力、他の冬物池田山スタイルをご覧になりにいらしてください。
なを、明日日曜の無料セミナーは午後2時から。「微細な力ですべてを変えてみる試み」と題して行います。微細なものにしか、本当の力はありません。
微細なものを通してしか、この世の何ひとつも変えることなどできないのかもしれないのです。その理由、そしてその方法にまで言及できたらと思っています。
11月1日の1が三つも並ぶ日は、動機付けに最適。意思をもってぜひ、MI池田山ハウスにいらしてください。午後二時からセミナー開始します。
希望される方には、一枚布のまとい方も伝授いたします。 |
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■ イエスのお話し |
2015年10月30日(FRI) |
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なんだか忙しくてブログの更新もなかなかできませんでした。
さて、以前に聖書について話させてください、、、といったままそれきりになっていましたので、本日からイエスの話しを取り上げたいと思います。
キリスト教も宗教も関係なく、あくまで聖書の言葉やイエスについて、一人の人間が自由に語る、、、という視点でのお話しです。
間違いもあると思いますが、一人の人の解釈や感想であるということで、お聞きくださればうれしいです。
ご存知のように聖書とイエスキリストが人々に与えた影響はとても大きいものがあります。
西洋文明を考えるときに、聖書、占星術、カバラ、バラは、必要なものではないでしょうか。バラについては私の勝手な思い込みですが、バラは西洋人にしかわからない深い意味合いがあるようになぜか感じています。
私が聖書に出会ったのは、中学校がミッションスクールだったからですが、その前に不思議な夢を見ていました。
ある晩のこと、二匹の魚が向かい合わせにいて、それがお互いに回転を始める夢を見て、そのリアルさがとても印象深かったのです。
もちろん、その意味がわかるはずもありません。その後、中学に入り、教会に通うこととなって知ったのは、原始キリスト教会のマークそのものだったのです。
原始キリスト教会のマークは二匹の魚が回転を始めようとする前の状態を描いたものです。それは占星術のうお座のシンボルでもあります。
夢の中で、そのシンボルは幾人もの夢の中に出てきている、、、という印象があり、おそらく何人もの人が同じシンボルを夢の中で見た、、、ということがわかりました。
また、回転するのが本当のシンボルであることは、夢の中で知ったわけで、実際のシンボルは回転している印象はなく、固定された二匹の魚で表現されています。
しかし、本当は回転しているのではないかと、勝手に思っています。回転し出すのを夢で見たからです。
また同じシンボルを幾人もの人が見た、、、という直感は、実際に原始キリスト教のシンボルは共通した魚の画像であり、どれも非常に似ているのです。
占星術シンボルも同様ですが、昔の図柄自体にもしかしたら意味があるかもしれません。うお座に限らず、古代からある占星術シンボルに共通する図柄を一度研究してみたいと思っています。
そんな勝手な連想にすぎませんが、実際に私の中ではうお座シンボル、、、すなわち原始キリスト教会シンボルに導かれるように、キリスト教および占星術と、縁ができることになっていきました。
二匹の魚のシンボルは教会というよりも、イエスキリストのシンボルです。それは同時に春分点がうお座に入る時期と同調し、プラトン年のうお座時代の到来を告げるシンボルであったのです。
二匹の魚に示された内容には、イエスの愛の教え、および、人類がうお座の二千年の時代を迎えたことを意味していたといえるでしょう。
うお座の二匹の魚は、みずがめ座の水がめから流れ落ちる水の中を泳ぎます。
イエスがいう、そのときは近づいた、、、という言葉は、次のみずがめ座時代を暗示する内容であり、聖書は壮大なプラトン年の地球時代規模に即した背景を踏まえて語られていることは間違いないと思います。
聖書が単なる経典や教えの書と異なるのは、そうした大きな背景を持って成立しているからです。
そしてイエスは、そのことを忠実に体現されているように私には思えるのです。
安息日という日があります。ユダヤ教では今なを正しく守られていると思うのですが、安息日には人は働いてはいけないのです。
それは神がこの世をおつくりになって7日目は休まれたことから来ているのだと思いますが、その風習が今なをユダヤ教や他の宗教にも重要なものとして残っています。
イエスの話しは、けっこう最初はそこらへんから始まります。イエスについて語られているのが、新約聖書ですが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書に主にイエスの言葉が伝えられています。
編纂された年代が異なることもあって、ここの福音書にはあるが、こちらにはない、、、こちらにはあるがこの福音書にはない、、、ということがあります。
イエスの語る言葉に共通したものを探すとしたら、古い経典を確実に守る時代から、心と愛を主軸に生きなさい、、、という内容にほかなりません。
そこでイエスは安息日を持ち出し、それを説きます。安息日に羊が穴に落ちた、、、、その状況に際し、本来なら人は働いてはいけないので、そのまま何もしないでおくことが正しいという考えでした。
実際はそんな場面では、もちろん、昔から人は羊を助けていたのをわかっていて、あえてイエスはそういったのです。
イエスは安息日だからと言って、穴に落ちた羊を助けないわけにはいかない、、、安息日だからと言って、人を助けるのと、殺すのとどちらが良いのか、、、という謎かけを行うのです。
イエスが困っている人を安息日に助けた、、、それをルール違反ではないかと、責める人がいたときに、その言葉が出ました。
形だけのルールで人の心が縛られていくことに、明らかな反逆を説いた人がイエスでした。
官僚的なものと人間愛との対立が、聖書の主軸にあることは確かなのです。そして一貫してイエスはそうしたものと戦い、十字架にかけられていったわけです。
イエスが何と戦ったのか、、、この視点が本当は重要なのです。
形を守ることで命と愛を失う時代にイエスは戦ったのです。
当時のイエスがいたところの一体はローマが支配していました。そこで、意地悪な人がイエスを困らせ、敷いては反逆者としてイエスを捕まえることを考えて質問します。
慇懃無礼にイエスに近づき、うやうやしい態度を表面的には見せながら、こう尋ねました。 「ところで、ローマに税金を納めてもいいでしょうか」
イエスは神の国を説いていたわけですから、ローマという実質的なこの世の支配権に対して、反逆者としての位置づけを行うための悪知恵だったわけです。
それを知ったイエスが、「金貨を見せなさい、、ここに書かれているのは、だれの肖像か」とお尋ねになると、イエスを陥れようとしていた人は「カエサルです」と答えます。
カエサルとはシーザーの読み方を古い時代の聖書の日本語訳ではそうしたのでしょう。しかしシーザーというよりもカエサルといったほうがなんだかしっくりくるのも不思議です。
それはともかく、イエスは続けて言います。 「ならばカエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」
税金を払わなくてもいいといえば、イエスは時の権力の反逆者となりますが、この言い方は知恵深い言い方です。
これは、知恵によってイエスが窮地から抜けた話しとしてとらえるのではなく、私は、イエスは誰とも争わない、、、対立しない、、、という生き方を示した内容であると思います。
右のほほを打つものがあれば左のほほも、、、とは有名ですが、そんなイエスが暴力を振るったことも実はあったのです。
それについては、また次回にお話しいたします。 |
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■ 開運印入り 古代パンツ |
2015年10月21日(WED) |
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その昔、ウラヌスの時代は、黄金時代と呼ばれ、人はいくらでも長生きでき、生きること自体が楽しかった。
しかし、ウラヌスは性的に放縦であったためか、息子であるクロノスの嫉妬を買う。
クロノスは父ウラヌスのおちんこを切って海に捨ててしまう、、、
その泡から色々な神々が生まれるというのは、なんだか日本の神話にも似たような話しがあったような気がします。
ウラヌスは天王星、クロノスは土星。昔、天王星原理で動いていた幸福な時代は、突如土星の造反によって変化を遂げたのです。
現代はといえば、もちろん、クロノスの時代です。時間に縛られる生活、義務、労働、奴隷状況、、、、原理的には、1+1は2、という物質的な世界。
イメージの力は入りこまず、持っているもの、物質的なものですべての価値が図られる時代がクロノスの現代です。
生きとし生ける者にとって、クロノスの支配は魅力がなく、楽しくない、、、それはコンプレックスを基盤に置いているからです。
何のコンプレックスか、、、というと、父ウラヌスのおちんこをその鎌で切り取ってしまったように、原理として、性の抑圧、喜びの抑圧、義務の過大視があげられます。
クロノスの時代原理を遂行する際には、この抑圧がどうしても必要になるわけです。
時代から喜びを奪っていかない限り、土星の時代を運営することはできないのです。
そのため、時の為政者のほとんどがやることが、民衆の喜びを奪うことになります。時代を支配する原理が冷たい、くそまじめな、金銭重視の姿勢となるのもそのためです。
とくに性の喜びは奪わねばなりません。これだけは時の為政者も管理しにくいものだからです。
宗教支配と性の喜びを天秤にかけさせ、常識を武器に非常識という魅力的な状況を遠ざけさせ、あげくの果てにはエイズまでこしらえて、性を社会の中から抹殺しようと一生懸命でした。
性の喜びの自由は、昔のウラヌスの時代に直結するため、不自由な奴隷の時代を築く際には、これはいけないことになるのです。
宗教で性を抑え込む、、、破たんしやすい結婚制度をおしつける、、、エイズやばい菌を怖がらせる、、、
すべてはウラヌスのおちんこの切断から来ている計画でもありました。
ウラヌスは歳行ってからも好きもので、老人の癖にあちらが強く、好き放題やっていた可能性があります。
そんな生活態度で仕事などできないのではないかと、クロノス的には考えてしまいますが、クロノスは1プラス1は2しかありませんが、ウラヌスは必要な時には必要なものが、すぐに手に入れられる。
それは、天と直結することで、出会いも物も状況も手に入れることができたからです。
今でもウラヌス、天王星にはそうした天才性があります。
ここに来て、原発などクロノス支配のぼろが出てきており、クロノス時代は末期現象を呈して来ています。
戻るのは、再び、古い神の時代、すなわちウラヌスの時代です。
ウラヌスの黄金時代に戻るには、切断されたおちんこを再び、縫合する必要が出てきます。
もちろんイメージでの話しです。国家や機構から性を取り戻すことが個々で必要になってくるわけです。
性を取り戻すというと、老人もHをしてください、、的な話しに前半の流れからそう連想してしまいやすいかもしれませんが、そういうことではありません。
老人のH、、、お相手がいれば個人的にはありがたい話しですが、そういうことではなく、性の復活というもう少し本源的な話しにさせてください。
性=生きること、、、と言っていいでしょう。性エネルギーなしで生きても、物と自分の関わりしかもてない、クロノス的な人生で終えてしまいます。
生き生きと生きるためには、かつての黄金時代のように健康で長生きするためには、どうしても性エネルギーを個々に取り戻すことが必要なのです。
Hが大事なのではなく、Hエネルギーが生きることのベースになることが大事なのです。これをクロノスの時代では、安全を求める気持ちに置き換えてしまっています。
安全を求めて早死にするのですから皮肉ですが、そうした間違いを現代人はおかしています。
実は本日、公式ショップで古代パンツを発売いたしました。
古代パンツというのは、ふんどしスタイルのようなものですが、一切締め付けがありません。
下着を変えて分かったことがあります。洋風のパンツはあれはクロノスが意図して作ったものだという確信です。
もちろん、開発者はそのような考えはなくて当然ですが、実質、体を締める、、、とくにもっともリラックスしなければいけない個所を縛り上げて、人から喜びのエネルギーを奪うように、通常のパンツは機能しています。結果的にですが。
さらに、ゴムや化学繊維が入って締め付ける、、、本当にまずいのではないかと思います。
古代パンツで陰部の締め付けをなくすことで、何が起きるか、、、、解放感と深い瞑想状態が得られるのです。
自然な素材、締め付けがない、、生理的な安心感が与える世界と意識の広がりは想像以上のものがあると思います。
もう化学繊維やゴムで自分を縛ることはありません。
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■ 明日、あさっては、一枚布研究会 |
2015年10月16日(FRI) |
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今週の土日のMI池田山ハウスでは、両日とも午後2時から一枚布研究会を行います。
一枚布をどのようにまとうか、、羽織るか、、、その実験です。興味のある方、アイデアのある人はぜひいらしてください。
服の原点ともいえる一枚布の可能性を体験する無料会合で、布の用意はあります。一緒に考えましょう。
服革命に関心がある私ですが、原点にあたる一枚布での研究は避けて通れないもの。服ありきの前に布ありき、、
日曜日は午後2時から一枚布研究会の後、続いて無料セミナーを開催します。テーマは時事ネタとなりますが、「ファルクスワーゲン問題とマンション傾き問題にみる共通点」と題して行います。
世間を騒がせているフォルクスワーゲンのジーゼル問題ですが、技術的には本当ならそれほど問題でもなかった、、、という考えが出ています。
なのに、なぜ、、、経済効率、競争原理によって、不正に導かれた、、、と誰もが考えがちですが、果たしてそうなのでしょうか。
また、日本で騒がれている、マンションが傾いた問題も、大手ゼネコンが手掛けたマンションであり、手抜き工事にしては大胆すぎます。
ミニ無料セミナーですので、多少うがった見方となることはご承知いただいた上、いま、大企業破壊工作が行われる可能性などに言及したいと思います。
関心がある方はいらしてください。 |
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■ 明日は名古屋 |
2015年10月14日(WED) |
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先週、CBCテレビでの生放送がありましたが、今週もまた行くことになり、明日の午後2時半頃から人生相談で出ていますので、お時間が合う方は見てください。
ゴゴスマという番組で、TBSでも見られるそうです。
池田山ファッションを毎回着て出演するつもりです。ラジオの人生相談は内容の解析が深くなるのが特徴ですが、テレビだとどうしても一般論に収まる流れになりやすいかもしれません。
明日はどんなご相談が来るのでしょうか。
悩みというのは、どんなに小さく見えるものでも、悩んでいる本人にとっては、最大の悩みなのです。そのため、大きな悩みも小さな悩みもなく、どなたの場合も深刻で最大の悩みとなります。
相談しに来た方を叱ることは、人生相談のタブーなのです。最大級の悩みを抱えているのですから、叱っても意味がありません。
ただし、事実は認めさせなくてはならないのです。嘘と幻想には力がないので、一時の安心を与えることが目的になってはまずいのです。
つらい事実を認めることで、人は強くなり、正しい道を選択できるようになります。人生相談の意味はそこにあると思います。
しかし、事実を認めることは、死ぬことよりも恐怖である場合があり、非常に難しいのです。人の意識を変えることなどできませんから、人生相談では事実を語り、あとは天の助けを借りるだけ。
天の時と事実の受容が一致した際に、素晴らしいことが起こります。そうした機会はそう多くはありませんが、相談する者にとって、これに勝る喜びはないのです。
悲しくても泣く必要はないし、苦しい人に同情も不要だと思いますが、その人が苦しい事実を認め、それでもなを、前向きになって生きようと覚悟すること、、、、それを見たとき、私達は涙が止まらなくなるのです。
人生相談の人気もそんなところにあるのかもしれませんね。
話しは変わりますが、久々に動画をアップさせていただきます。お昼にふっと、今、収録したいな、、、と思った内容をスタッフに頼んで撮ってもらいました。
それは、本当に簡単なもので、声を出す作用が及ぼす大きな影響についてです。
声を発する、、、、これが作用です。作用は、宇宙に全世界に投げかけた私達の意思であり、行動です。
発声した声は、それを押しとどめようとする反作用を招き、声はすぐに消えます。
しかし、母音をずーっと発声し続けることで、反作用も長引き、そこに吸引空間が広がるのです。
伸ばす音、、、すなわち母音の発声には、実は信じられないような力があります。
今回の動画では、コーヒーの味を自分の母音発声によってその味を変えてみる内容になっています。
これは、私だけができるというようなものではなく、どなたも必ずできますので、ぜひ試してください。
ただ、作用の中に、すなわち声に疑心や真剣でないどうでもいい的なものがあると、戻ってくる反作用も大したことにはなりませんので、色々と実験してみてください。
理想は母音倍音発声ですが、あまりこだわる必要はありません。とにかく声を伸ばして発声します。何も考える必要もありません。
結論から言いますと、味がよくなる場合がほとんどで、実は無害化が起こっています。ただし、現代科学では決して認めないことだと思いますので、そういう話しもある、、、ということで結構です。
今の時代、一体どんなものを食べさせられているかわからない不安があると思いますが、そんな時には、ぜひ、母音トーニングで食べ物と一体化し、身体と魂にとって良い食べ物にしてからお召し上がりください。
お水でもコーヒーでもお茶でも、食べ物でもすべてに応用できます。けっこう楽しいですよ。
ただ、レストランなどでやるには勇気がいりますので、小さな声でどうぞ。多少弱いけど大丈夫です。
母音トーニングで吸引飲み物にする
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■ スターリングエンジン |
2015年10月11日(SUN) |
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下の動画はスターリングエンジンが始動しているものです。ミニチュアの小さなエンジンで、アルコールランプの火との温度差によってエンジンは回ります。
一見、アルコールを使用していますので、エネルギーを使っているように見えるでしょうが、あくまで、熱を引き出すためです。
20度以上の温度差を用いて、スターリングエンジンは回転を始めます。20度以上の差は、地熱を利用してもできるし、外気と部屋の空気の温度差を利用してもできます。
20度以上というのは、理想の話しであって、性能良いものは、多少の温度差でも回転運動を開始します。手の平に乗っけるだけで動きだすスターリングエンジンもあります。
熱源さえあれば、それがアルコールランプであれ、温かな部屋の空気でも、温泉でも、熱が出る工場などでも、有効にその熱をエネルギーに変換できるわけです。
太陽光しかり、何でもいいのです。熱があり、それよりも異なる20度の温度差があれば、無尽蔵にエネルギーを作り出す、、、それがスターリングエンジンです。
この原理は非常にシンプルで簡単で、実は200年前にすでに発明されていたものなのです。しかし、時代は重さや大きさを競う巨大化の時代となり、スターリングエンジンなど、目にもくれなかった、、、、
その結果、私たちは、原発などのようなお化けを、たかが電気を得るために作り出すという愚かなことをしてしまったのです。
スターリングエンジンの本格的なものを作れば、簡単に3キロワット程度の発電を得られるようです。巨大なものでも微細なものでも、原理は同じですから、応用性があります。
熱の差による発電というとわかりやすいのですが、本当は熱の膨張差によるものと違い、温度差があればそこを埋め合わせようとする原理が働き、それが吸引化を起こしてエネルギーを呼び込む、音叉現象とまったく同じのフリーエネルギーなのです。
ですから、スターリングエンジンが動いている場には、吸引化が起きているはずです。蝋燭を見ていて心休まるように、エンジンを発電しているのでうるさいにも関わらず、不思議と心休まる光景になります。
動画をみていただけるとわかると思いますが、エンジンが回転している際には、騒音であるものの、何か安心した心地が伝わるのではないでしょうか。
スターリングエンジンに限らず、異なる方向に行っている違ったものは、そのギャップを埋め合わせようとする力が加わり、その際に本当のエネルギーを呼び込むのです。
多少大型の家庭用スターリングエンジンを作れれば、(簡単に作れるのですが)3キロワット程度の発電が可能だそうです。家一軒分の電力が簡単に賄えるわけです。
昔、出口王仁三郎は、電柱がある時代はまだ悪い時代だ、、、と言っていました。
各家庭でそれぞれフリーエネルギーで発電していく、、、そうした時代がもうすぐやってきます。ロートルなスターリングエンジンでさえ、それが可能なのです。まして、水で走る自動車ができるわけで、今さら原発などというのは、自分の利益にかかわる人しか言いません。
しかも、大勢の人を犠牲にして自分の利益を保持したいとは、その人の成長のためにも良くないことなのです。
では、スターリングエンジンの軽快な音、その発電能力をご覧ください。途中で、エンジンが止まってしまう場面がありますが、再び始動し出した際に、音はうるさいにもかかわらず、通常のモータ―音よりも心が休まる思いになるのは、私だけでしょうか。
そうではないと思います。原発からやってくる電気には、私は人を幸福にする力はないと思います。
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■ 今日、明日は名古屋CBCテレビ |
2015年10月07日(WED) |
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CBCテレビのゴゴスマという番組に、大人の人生相談があります。
本日と明日の二回にわたって、私も出演。
すでに本日の分は終えて宿に戻ったところです。出張中が一番ゆっくりできるのですが、忘れていた締め切り原稿があるので、夜は原稿書きになりそう。
本当なら、熱田神宮やお城にも行きたいけど、せめてうなぎのおひつを食べる程度に。
ゴゴスマは初めて出演しましたが、出演者とスタッフがみなまじめに取り組んでいたのが印象的でした。
明日も午後2時半ごろから大人の人生相談がありますので、ぜひごらんください。
今日は、グリーンの池田山ファッションで出演したのですが、やや渋すぎて、おじいちゃんじゃないか、、、の反応が多かったみたいです。事実だから仕方ないけど、悔しいので、明日は持参している白系統の
麻の池田山ファッションで出演する予定です。明日は若返るぞ。(無理か、、、)
立って話す形なので、全身が出てしまうため、本日と同じ靴だとやや問題あり、、、(誰もみてないか)
あとで、うなぎ屋さんを見つけながら、靴を買おうと。
今週は放送づいてる週です。何といっても日曜はラジオ競馬ニッポンでの大イベントがあり、翌日がニッポン放送での収録。そして今日と明日がCBCテレビでの収録になりました。
ラジオのCBCではニッポン放送の人生相談をやってるみたいで、今日も反響があったようでよかったです。でも、テレビ的にいうと、こちらはTBSなのか。
TBSでは、大昔、長期アルバイトをした経験があります。アルバイトから嘱託になり、TBSには2年半ほどお世話になりました。そのころ、なんと、飯島秀行先生も学生時代だと思いますが、TBSでアルバイトをしていたという話しを聞いたことがあり、勝手にですがご縁を感じます。
しつこいですが、日曜のラジオ競馬ニッポンでは、その予想がけっこうな線をいき、この馬は絶対、、、という感じで押したストレイトガールが一着。二番目に、私のもっとも狙っている馬として押したウキヨノカゼが3着に入るという結果に。もう何度も言ってるか、、、。
しかし、ゴンドラ席という上から見た競馬場の景色はとてもきれいでした。
今週は土曜日に、マドモアゼル・愛が読む「時局」があります。翌日曜日の無料セミナーは、「元気になる生き方、元気を失う生き方」と題してお話しさせていただきます。日曜日の無料セミナーは午後2時からです。お待ちしています。
土曜日はMI池田山ハウスはオープンしていますが、時局のセミナーがあるため、ほかに特別な無料セミナーはありません。 |
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■ 人類幽霊化計画 |
2015年10月05日(MON) |
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タイトルのような計画が本当にあるとは思えませんが、結果的に同じような事態が進行している気がします。
幽霊化とは、自分の頭で考えられない、、、自分の頭で考えてるつもりで、すべてが教えられたことの寄せ集め的現象のこと。
知識に力があると思っているので、そうした間違いが出てきます。知識はもちろん必要ですが、それは、条件付けに過ぎません。
知識自体には、何の力もない。本をいくら読んでも、それは何かを得る条件付けにはなっても、その知識自体がもたらすものは実は何もないのです。
荘子はそのことをわかっていて、本を読んでいる人に対して、それは先人のくそのようなものだ、、、といい、先人も本当に言いたかったことは、そこには表現できてないはず、、、と。
本当の知は、「あっ、、、! そうだ!! 」という体験を通してしか訪れないものなのです。
正しい知は今しか訪れない、、、物理的で再現可能な事実を知と思うからおかしなことになってしまう。
再現できる知は、極めて狭い、地上のある一定条件の中での現象に過ぎません。物理現象がすべて再現可能な中にあると思っているので、なかなか人間の科学は進みません。もっと大きなルールがあるはずです。
見えるものではなく、見えないもの、、、意識にしか力はないのです。
知という固定されたものの集積から何かを生みだそうとする姿勢自体が間違っているのです。
では、本当の知、、すなはち意識からくる発想はどうやってくるのか、、、それが「あっ、、、! そうだ!! 」という体験にあるわけです。
人類幽霊化計画とは、「あっ! そうだ!!」という体験ができないタイプの人間を大量に生産する計画のこと。
上が言うまま、、、組織や機構が言うまま、、、権威者が言うままを、信じる知などに、本当は何の力もない。
そうしたガラクタ知の追求を学校も会社も行うため、段々まずいことになっていく。日本の大学はとくにこの傾向が強く、ついに世界の優秀な大学の番付から取り残されてしまいました。
東大の凋落はとくに大きいのですが、他も似たようなものです。ベスト10どころか、30位にも入ってないのでは。
人類幽霊化計画が日本ほどうまく言っている国はないかもしれません。
どの企業にも、実は、幽霊化とは異なる、それこそ、良い大学は出てなくても、自然な当たり前の感覚を持ち、それをベースに物事を考えつく女子社員は多いのです。
彼女らは、「あっ、、、! そうだ!!」という体験の中から、仕事への合理性や発案を行いますが、上にいる幽霊先輩、、幽霊課長、 幽霊部長、、幽霊取締役、、同じく社長、、、場合によっては、幽霊国家機関により、顧みられることはなく没にされていきます。
こうした無駄が日本中で起こっています。下はまだ幽霊化の初段階なので、時には「あっ、、、! そうだ!!」 との体験的思いを抱けますが、幽霊化が進んでいる上にはそのことがわかりません。
こうして人類幽霊化計画は見事に進んだと思われます。
本当の知とは、体験なのです。意識なのです。感動がともわない知には、力はまったくありません。新しいものを決して作れない。
新しいものが作れなければ、組織や販売網や宣伝に頼る以外になくなる。そして、社会自体の力が段々と衰えていくのです。
社会自体の力が衰えると、人々の幽霊化は進みます。
生きるしかばねとなった無感動な人の群れは、月曜の朝などには容易に見ることができる光景、、と言っては失礼かもしれませんが、そうした雰囲気はします。
人類幽霊化が進めば、上は大衆を見事に騙すことが可能になります。そうしないと、戦争は起こせない、、、金儲けも大きくはできない、、、どうしても幽霊化が必要なのです。
癌が怖いのではなくて、癌治療が怖い、、、とよく言われますが、私はかなり事実だと思います。
しかし、有名人が癌で亡くなれば、自然療法してたから、、、ということにし、きちんと現代医学にかかった方がよい、、、という印象操作を行う。
その大衆操作は、すみやかですし、よく考えられている印象を受けます。癌治療正当化の宣伝部隊がまるでいるかのようにさえ見える素早さです。
先日も6人のゲストの人の中に、どこかに異常がないかを調べる番組があって、見たくもないが見ることになりました。
6人は色々な食生活、生活スタイルをしています、、、それを紹介している時点で、私は誰に問題があるか、、、誰には、絶対に問題がないか、、、が分かりました。
テレビを見ていた人は、週5日の朝昼晩をコンビニの食事で済ませている人が病気になっているように思ったと思います。
スタジオでもそういう意見が多かったです。しかし、私は絶対にこの人は違う、、、病気がないという結果になると確信しました。
そして答えが出ると、やはりその人には、何の問題もなかった。
嘘ややらせではないと私も思いますが、番組の構成上、、、人類幽霊化の必要上、、、毎日コンビニで過ごしている人が病気になってはまずい、、、という答えを私は確信していたので、その人は病気でない、、、と思ったわけです。
もしその人が病気だったら、コンビニでの食事、、、が悪者になってしまう。
コンビニ業界は怒るでしょうし、広告取得にも悪影響が出る。
逆にその人が健康であるとなれば、コンビニの食事を安心して食べようとする、ものすごい宣伝になるはずです。
実際にその人は病気でなかったのですから、コンビニの食事が悪いかどうかは、私にはわかりません。
番組に登場していた医療コメンテーターのM氏は、すかさず、コンビニでも色々と栄養などを考えてチョイスすればまったく問題ない、、、ということをおっしゃる。
色々とチョイスすれば、コンビニの売り上げにも良い影響が出るわけです。
M氏のお父様には、色々と私はお世話になったことがあるので、責めるようなことは言いたくありませんが、何だかなあ、、、という気持ちになりました。
私自身、コンビニの食事が良いものか悪いものか、言える立場にないので、結論じみたことはもちろん言えませんが、毎日コンビニの人が健康だった、、、という番組の設定は、大きな誤解を生みやすいことは確かです。
このような大きな宣伝行為が日々なされており、私たちは知らぬ間にある一定の方向へ、自分の考えや感じ方をもっていかされています。追われていきます。
それが人類幽霊化計画であると、私は勝手に命名しているわけです。自分の意識が作られ予定された意識に置き換われば、それは幽霊と同じになるからです。
自分らしさがないと、自分特有の意識でいないと、人は幽霊と同じなのです。
人類が幽霊化すれば、幽界からの意図に反応するゾンビ化した人間になっていきます。
そして本当のエネルギーは幽界からも現界からも訪れず、意識からしかやってきませんので、幽霊化は、同じタイプの人間製造のカギであり、人類から個々の個性を奪うことで成り立つ、この世の幽界化を意味します。
形の上では幸福と思っていても、心躍らない日々、、、自分はこんなに恵まれているのだから、幸福であると、常に確認せずにはいられない生き方、、、本当はそれを不幸というのです。
「あっ、、、そうだ!! あっ、、!! 私、、! 本当は、、、」という流れを早く取り戻しましょう。
その意識からしか、エネルギーは訪れず、幸福も喜びも満足も、その意識からしか生じません。
不安という餌が社会に国に家庭に、学校に、会社に、、あらゆるところにまかれており、不安を怖がる心理をつかれて、人類幽霊化計画が進行中です。
不安との対峙が個々人で必要であり、人は本来は安心など求めるものではなかったのです。安心は行動と正しい意識の持ち方が結果としてもたらすものでしかありません。勝手に訪れてくれるものです。
不安を解消しようとしていろいろなことをやっても、それは形を変えてなくならないことが、その証拠なのです。
不安にだまされないこと。不安から検診に励み、早期発見に努め、ああ早くてよかったと癌治療に励み、そして苦しんで死んでいく。
いつ破産するかわからない金融制度の中で貯金を積み上げ、良い学校を目指し、一流企業に入ろうと頑張る、、、
それはそれで素晴らしい面もありますが、そうした行動の元に不安がベースにあれば、幽霊化の中に私たちは足を踏み入れることなのです。
あっ!! そうだ!! との自身の意識に沿っていきることが、幽霊化からの脱出のカギになります。
お知らせ 昨日の中山競馬場でのスプリンターズステークスは、かなり良い予想でしたが、結果としてプレゼント馬券にはなりませんでした。残念。
まず、ストレイトガールを、これが間違いなく一番の馬です。と力説し、しかも、この馬を買わなければいけない、、、買わないのはバカだ、とまでいいながら、(バカまでは言ってないか)それでも私の本命は違う馬です。と告げたのです。
私の本命は、人気薄6番のウキヨノカゼ。ウキヨノカゼは9番人気の人気薄。
結果は、一着ストレイトガール、、やっぱり。 二着サクラなんとか、、悔しいので名前も忘れた 三着ウキヨノカゼ 大外一気の追い込み、、美しすぎる、、、
結果として、ストレイトガールとウキヨノカゼの二頭でいいとまで言った二頭が、一着と三着という上位に入選。
ウキヨノカゼは大外からすごい足で突っ込んできましたが、大外を回った距離のロスとスローペースを追い込む不利が重なりました。それでも三着。一番強い競馬をしたのは、このウキヨノカゼでした。
しかし、結果は残念。ですが一応面目を施した、、、というところでした。
しかし、お隣の解説者が、私の昔の競馬の話しを聞きながら、思わず「私よりも古いんですね」と。
今は知る人とてない、名馬タケクマヒカルの思い出などを熱く語りました。
本当に素晴らしい体験でした。私の予想が世界中にとどき(日本の一部だけか)、多少なりともウキヨノカゼとストレイトガールを馬券対象に選んでくれた方がいると思うと、予想家冥利に尽きるというものです。(予想家じゃないけど)
私の名予想を聞いて、ぜひ内の局で、、、なんていう番組があらわれたり、競馬の楽しみをこれだけ熱く語ってくれたのだからと、中央競馬会からのお礼など、、、来るわけないか。
しかし、皆さまのお蔭で、無事大役を果たせたことをご報告いたしておきます。また行きたいな。 |
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■ 明日はスプリンターズステークス |
2015年10月03日(SAT) |
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明日は中山競馬場で第49回スプリンターズステークスの発走。
そしてこの私が、ラジオ競馬ニッポンの生放送にゲスト出演して、その予想を語るという、まるで夢のような出来事が起こる日です。
思えば長かった競馬生活。あれを話そうか、、、これを話そうか、、、どうせ、時間切れになると思うけど、どうせなら一晩中くらい語らせてもらいたい思いでの数々。
20歳から競馬を始めたことにして、もう45年の歳月が。毎週まじめに検討し、力を入れ、精魂傾けてきたこの年月。
私の人生での活動は、競馬と異性のことを考えることでその9割を使ってきた、、、そんな気も。
後の一割で仕事をし、生活をし、諸々のことをやっていただけという、極めて偏っていたかも。
しかし、二年ほど前から、進行しているプログレスの太陽が、勝負事を暗示するネイタルの火星と衝となったため、活動し過ぎからくる疲れや消耗の危険期となりました。
何よりつらかったのは、競馬がまったく当たらなくなったこと。勝負事は火星なんです。
その火星に太陽が生涯最悪の角度を形成していたこの二年。長年で養った競馬感もさえず、どうにもならない状態。
あと、もう少しで影響力が抜ける可能性が出てきたこの時期に、まるで暗雲を吹き払うかのような、競馬番組ゲストの誘い。
天は見放すことなく見守っていてくれたのですね。ありがたいことです。
そんなわけで、明日行ってまいります。担当の方から全然連絡がなくて、こちらから恐る恐る連絡を取ったのが昨日。
どうにか連絡が取れて、きちんと番組内容などが送られて来た時は、ホッとしました。
私はどんな仕事でも緊張から夜眠れなくなる、、、というようことはなかったですが、競馬場に行く前は、必ず、興奮して眠れなくなります。
そのため、ぼーっとした状態で翌朝でかけ、競馬場でもうつらうつら、、、まったく5室がうお座の運命そのものを感じますね。
好きな割に勝負事が下手なんです。だから面白いんですかね。よくわからないけど。やっぱり勝ちたいですよね。
明日は2時半から番組が始まり、午後3時40分にレースが発走。狙い馬はすでに決めました。
言うと来ないから言わないけど、明日の番組で聞いてください。
月並みな予想ではインパクトが弱いと思い、どうせなら思い切って穴を、、、という考えもあったけど、それでその馬がビリになったりしたら、これは良くないので、色々考えたわけです。
すると、なんと大好きな馬が出走していることに気づき、もうそうなるとそれで行く以外、融通が利かなくなる不動星座の私は、これに決めました。
その理由などは、明日の実況をお楽しみに。凄い理由があるんです。来ないかもしれないけど。理由にはすごい説得力があるんです。来ないかもしれないけど。
その理由を聞いて、そして万が一その馬が勝ってしまう、、、、もしそんなことになったら、愛先生の予想を又聞きたい、、、そんな声が世界中からこだましてきて(放送は日本の一部だけか)、愛先生、ぜひゲストではなく、しょっちゅう来てください、、、という展開になりはしないか。無理か。
まあ、そんな夢もあるのが競馬。
競馬場に行くと、よく若い女の子が一人で来ている姿を見る。
よく見るとどこか寂し気にも見える、、、
ああ、以前、恋人と来てたんだ、、、そしてもう別れたが、どうしても彼のことが忘れられない、、、、そして一人で競馬場に来たんだ、、、
見えないドラマが秋の風と共に流れ過ぎる中山競馬場、、、スプリンターズステークスの歴代の勝ち馬と共に、別れた彼の思い出が、、、好きだったあの子の思い出が、、、いっぱい詰まっている、、、
そして2015年秋に走る馬たちに、どんな思い出が重なっていくのだろう、、、1分7秒前後の短い時間に、人は何を刻んでいくのだろう、、、
こうして馬が走るたびに人は歳をとっていく、、、、競馬の思い出には、そんな一面もあるんでよ。
だから、馬の予想は怖いんです。良い思いでをそこに刻めるか、単なる予想で終えてしまうか、、、
あと数年たって、、あと数十年たって、、なを恥じない予想がそこに刻めているか、、、
明日は恥じない予想で行きます。熱がきっとこもります。すでにこもってるか。とにかく聞いてください。
あなたも競馬ファンになることうけあい。その後の責任は持ちませんが、そうなったら一緒に競馬場に行きましょう。
競馬に関心が無い人には、本当に意味ない話しとなりましたが、明日の大役に免じ、お許しを。
では頑張ってまいります。眠れるかな。
なを、明日のMI池田山ハウスは、私が不在となるため、無料セミナーはありません。有志による、競馬中継があるそうです。応援団が控えているとか。
勝ったら何かあげなくちゃな、、、負けたら、みんなが帰ったころに戻ろう。 |
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■ 心を動かす微細なもの |
2015年10月01日(THU) |
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60キロの人間一人を移動させるために鉄2トンの自動車を動かす、、、
鉄2トンの塊は時速50キロをはるかに超えるスピードで狭い道を走る。
狭い道には歩行者用のエリアのないものも多くあり、人は車を避けるように身を縮めて歩く。
この光景ひとつ見ても、この文明が間違いであると感じる。
猛スピードで動く鉄2トンの車と、人間が同じ道にいる、、、こんなことがなぜ許されるのだろうか。
お金だよ、、お金。安全な国土設計をするよりも、車を売る、、、
自転車業界などはきっと、とてもいやな思いをこれまでにしてきたのではないか。
自転車国道を5車線くらいで整備し、ゆっくり走る自転車も、猛スピードで移動する自転車も安全に走れるようにすれば、少なくとも鉄2トンと鉢合わせするような悲劇は起きなかったと思います。
自転車を売るよりも、車を売る力がきっと勝ったのでしょう。政治力の違いでしょうか。
こうして、重大工業的なものが地球を席巻し、大きな重力や大きな発電や大規模なものを作りだす思考によって世の中を動かしてきました。
大規模なものは世界の隅々にまで及び、食べるものの着るものも、暮らす街も、病院も、すべてが巨大化したシステムから生まれるもので覆われました。
全国の流通ルートに乗って配達される食べ物を食べ、縫い賃の安い労働力によって作られた服や、100円ショップの品で家は埋まる。
どこに行っても同じやり方、同じ景色、同じ店、同じ病院、同じ食べ物、同じ音、、
重大工業が生み出してくれたオートメとシステムに乗って、一見、豊かな物に囲まれた私たち。
しかし、そこにあるものは、皆同じ顔、、同じ表情、、 コンビニでおいしいモノを探しても、結局は工場で作られた大量生産の品の中から選ぶしかない。
コンビニに限らず、どこでもそう。皆同じ物、、、同じ表情。
最近の子供たちは、もうお菓子になんか見向きもしません。大人も同じで、コンビニ弁当にもシステムで作られた食べ物物にも、もう誰も感動しなくなってきている。
一瞬流行しても、結局はすぐにあきれる。
仕事も同じ。どこに行っても同じで、やりがいなど見つけることが無理。結局は上が売上と利益にしか関心がないのだから、極めてコンピュータ的な発想で部下やバイトを締め付ける。
上も管理されているわけで、社長ですら管理されてる会社がほとんど。上も下もサラリーマン根性の時代になっている。
サラリーマン根性が悪いとは言わないが、仕事も考えもオートメ化されていることは確かだと思う。
そして、そこに参加する全員が、本当はいやだと思っている。バイトはおろか、雇われ社長ですら、会社に本音では行きたくない。怖いから仕事はしてるが、本心ではそんなにはやりたくない、と。
ブラック化する企業が多くなるが、その大本には、システムと重大化、流通化、合理化された考えが基本にある。
現代システムを動かす動機は儲けだから、どうしてもワンパターン。心を動かす繊細なものに出会わなくなる。
しかし、人の心を動かすものは、微細なものの中にある。
微細なほど、本当はエネルギーがあるのです。意識からしか物ごとは生まれない、、、微細なものにしか、本当は力はないのです。
大きな物を信じ、それに頼り、システムを偉大と思い、そのシステムに守られ、扱える人物を皆が求めた、、、
大きなものは、個人にはないので、大きなものが偉大だと思えば、個人の力を弱く感じだす。
自分の弱さをどこか大きな安心できるシステムで補いたい、、、国家主義が生まれ、公務員信仰が生まれ、病んだら権威ある病院を探し、一流の医師を探し、安定的な投資を探し、、、勝ち組になったと思ったとたんに、薬の副作用で死んでしまう、、、、
そんな人生いやだと、なぜか多くの人がそれでも思わない。不思議、、、
しかし、重大化ではエネルギーが生まれないので、いつか行き着くところまで行ったら、消失することになる。
微細なものしか力を生まないので、そうなります。重大化した権力も軍隊も時代も、わりとすぐに終えていく。
ナチス20年、平家20年。平家に非ずんば人に非ずも20年の命だったし、ナチス1000年王国の夢もわずか20年で灰塵に帰した。
微細なものへアクセスできないものは、すべて終えていく。
だから、人間はセンスとして、体感として、微細なものに、本来はこだわります。
私が開発したBBマッサージ、、、ポンポンマッサージ共に、微細な動きでなければ効かない。
しかし、微細な動きを実行すれば、肌は引き締まり、顔は白くなり、腫れやつっぱり、痛みにもアクセスできる。
微細な動きがエネルギーを呼び寄せるからです。
人にとってもっとも微細なものは、思考と意識。その中に完全需要の静けさと意識があれば、そこは創造の道に。
体を動かす前に意識を働かせる、、、、体は意識に沿って動いてくれる、、、
よっこいしょ、、、と、体を動かす必要はなく、意識を動かせば、体は動いてくる。
重大強権化の間違いがここにあります。
ここまで時代が行き詰った以上、次に来るものは、微細なもの、、、微細な働き、、、微細なるものに決まっています。
それは、オートメ化では無理で、私たち自身の個性の中にこそあるものです。
顔が全員違うのですから、人と自分を比べるのはまったく意味がない。
人と自分を比べて自分には才能がない、、、という風な考えで落ち込む人が多いですが、それ自体が、重大強権化信仰そのものであり、重大強権化意識なのです。
だから伸びなくなる。自分の顔と体が1つでけのものである以上に、微細な意識は個人特有のものです。
そこにしか力はありません。みんな凄いものを持っているのに、他の人と違う、、、なんて悩む意識が大間違いなので、おかしなことが起こるのです。
意識がすべてを生み出すので、おかしな意識をしているとどうしてもおかしなことが起きてしまう。
それは仕方ないことなのです。微細なものを信用しない、、、微細な自分の声を信じないで、人や社会が言ってることを信じる、、、、しかし、それだと、これからはどんどんエネルギーを消耗していく流れとなります。
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