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■ 所有から利用価値(共有)社会へ |
2016年09月29日(THU) |
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今から20年前に「森と平野に分化定住する時代」という本を出しました。
当時は私の著書はベストセラーもあり、多くの人に読まれていた時代でした。
しかし、「森と平野に分化定住する時代」は、出版社に原稿を見せてもこれは売れませんね、、、と言われ、仕方なく自分で出版社を作って出しました。
未来社会のイメージとその原理を語った内容で、今に至ってもまったく書き直すところはありません。20年前に思い描いた内容は、実際にその方向に向かっていると思います。
当時、なぜか何人かの霊能者が突然いらして、「あなたが書いたこの本の内容通りに未来はなります」と言ってくれたことがありました。
確かにこの本はあまり売れませんでしたが、毎月何冊か売れ続けた結果、もう手元に数冊を残すばかりになってしまいました。
売れないとはいえ、一部に与えた影響はあったようです。伝え聞いたところによると、村おこしや町おこしの隠されたバイブルになっていたとか、何人かの教祖様の目に触れて、田舎で集団移住した宗教団体もあったということでした。
ただ、伝え聞いただけで、真偽のほどはよくわかりません。ただ、私は今でも、あの本に書いたような社会がいつか訪れると信じています。
さて、あの本の中には共有社会については書いてありませんが、新しい時代つくりの次のプロセスとして、所有から利用価値すなわち共有社会への移転がどうしても必要になると思っています。
「森と平野に分化定住する時代」の次は、「所有から共有社会へ」と題した本を書こうと思い、当ブログでも具体的な内容を何度か語らせていただいたことがありました。
森と平野に別れて暮らす社会はまだ到来していませんが、ここに来て、所有から共有社会への流れが、先に訪れるのではないかと思いはじめています。
私が尊敬する藤原直哉先生は、はっきりとこれからはシェアする社会になっていくことの必要性を述べられています。
おっしゃる通りだと思います。藤原先生のお考えに私も力を得て、共有社会とはどういうものなのか、、という観点から、私なりの考えを今回のブログを書きたいと思います。
私たちは両親の元に生まれ、その家で育ち、一定の年齢になると、今度は家を出て一人暮らしを始めたり、結婚したりします。結婚した人には、赤ちゃんが生まれたりして、家族が増えるケースが多くなります。
そして子供たちは成長し、やがて家を出ていきます。そして夫婦二人が残る、、、もしくは配偶者に死なれたら一人の生活になります。
どれがいいとか悪いとかではなく、上記のような流れが人の一生のスタイルです。そしてこのスタイルを通すには、その都度都度でかなりのお金がかかるのです。
家を出る際は、マンションを探し、数十万円の敷金や礼金などを支払います。若い人にとって、けっこう大変な金額です。
それでいて、実際に住める家というのは、1DKの狭いマンションが良いところです。家賃は都会なら5万円から8万円もするでしょう。高いのです。
家を出て働くのですから、生活費もかかります。7万円の家賃に生活費を入れたら、最低でも15万円はかかります。
毎月15万円を現金でもらうためには、18万円程働かなければなりません。けっこう大変なのです。
私はお給料がいいから、、、といっても、せいぜい20代なら20万円から30万円が良いところです。7万円のマンション代はやはり大きいと言わざるを得ません。
そんな大金を叩いて借りたマンションは、わずか25平方メートルです。しかもそのマンションは、最上階から一階まで、同じ場所にトイレがあり、同じ場所に流しがあり、同じ場所に玄関も風呂もあるのです。
それは建設コストを考えたら当然なのかもしれませんが、そんな味気ないマンション、それでいて高額な負担を強いるマンションのトイレは、みんなが働きに出ている時間帯は、すべて使われることなく、まったく意味ないまま存在しているのです。
トイレだけではありません。風呂も部屋も同じです。
この利用していない時間帯の無駄のための出費は、誰が行っているのでしょう。貧しく無理して借りた自分なのです。利用することなく存在する無駄のために、私たちの労働の多くの時間が当てられているのです。
そんな味気ない手ごたえのない一人暮らしから出発した私たち。
次に大好きな異性と出会い、結婚。
さすがに二人の暮らすマンションではどちらも小さすぎてどうにもならないので、新婚のスタートは、2DKないし、3DKはある、40平方メートル以上のマンションなどを探すことになります。
今度は敷金や礼金も多少高くなります。家賃も10万円程にアップ。当然二人で働く生活になるでしょうから、暮らすマンションは大きくなったとはいえ、最上階から一階まで、同じ角にトイレがあり、同じ場所に流しがあり、玄関もきっと同じです。
そして昼間は誰もいない、稼働率最低のマンションになるわけです。その維持のために二人は働くのです。
7万円のマンションに置いてあったものは、安い家具や100円SHOPのゴミの山だったので、結婚を期に捨てることになるでしょう。
新たなおめでたい出発なのですから、多少奮発して家具やベッドを購入もするでしょうから、お互い、これまで暮らしていた部屋のものは、ゴミ箱行きとなります。
次に赤ちゃんが生まれます。女性は働けなくなります。と言って、10万円のマンションではあまりに生活に不便です。狭すぎますし、残業で帰りが遅くなる夫に赤ちゃんの夜泣きは気の毒な気がして、もう少し大きな部屋に、、、との思いがつのります。
次はどうなるでしょう。大きなマンションを借りたら、月15万円の出費。妻はすぐには働けないかもしれないので、収入は減っています。
夫もまだ若いので、役職手当がやっと出るかどうか。派遣の人にとっては役職手当などつくはずもありません。
と言っても子供ができたのですから、夫の小遣いを減らしてでもどうにか大きなマンションへ移り住むか、もしくは、数千万円の家を購入する、、、との選択がまっているわけです。
どっちに転んでもまた引っ越しです。またお金がかかります。家具類ももう7−8年たって痛んでしまいました。思い切って捨てることになりました。
もう話しはこの程度にしておきますが、こうして、私たちは、常にかつかつのところで生活し、かつかつの家具類を持ち、かつかつの家に住み、大して良いものを持てずに一生を送ります。
なんだか寂しい話しです。一生懸命働いても、なんでいつもかつかつなのか。
その理由は所有にあるのです。独り住まいを始めた小さな月7万円のマンション。そのマンションは、最上階から一階まで、同じ場所にトイレがあり、小さな風呂があり、流しが同じ場所にありました。
しかもそれは昼間は誰もつかっていない、、、また万書の中にあった家具類は安物だったし汚れたので、すべて捨てて結婚しました。
誰も利用しない時間の多いトイレ、風呂、流し、、そし てすぐに捨ててしまう物、物、物、、、確かに安物ばかりだから、すぐに変える、、、すぐに捨てられる、、、それは確かでしょう。
しかし、よく考えていくと、あの、同じ場所に上から下まで並んでいたトイレは、一定の時間だれも使用しない、、、それが全室同じように存在する都会。
すぐに捨てる物、、物、、こうした、利用されず、生かされないものを所有するための代金を稼せぐために、私たちは仕事の何割を頑張っていたのでしょうか。
もしかしたら、私たちは、簡単に消費して捨てる物のために、仕事をし、忙しくしていたのかもしれない。
ゴミやガラクタのために働いていたのではないのでしょうか。
だから何も残らないケースが多くなるのです。
町には多くの車が走っています。日本には正確にはわかりませんが、おそらく8000万台ほどの車があるのではないでしょうか。正確には知りませんが、とにかく恐ろしい数なのです。
みんなが車を欲しがります。恋人ができたら、家族ができたら、確かに車が欲しくなること自体は自然です。
しかし、みんなが欲しいと思うので、みんなが買います。その結果、車が多くなるのです。
しかし、その大事な車も3万キロも走れば、段々と飽きてきて、次の車、、、次の車へと、うつりゆきます。
車も100円SHOPで購入したものと、似たような流れになっていきます。すべて、捨てるもののために、私たちは労働の一体何割を割いているのでしょうか。
なぜ、私たちは働いても働いても貧しいのでしょうか。
それはゴミのためなのです。ガラクタを所有するからです。あの最初に暮したマンションも、結婚前に二人で暮らしたマンションも、新婚で新たな装いにしたあのマンションも、レンタルであったとはいえ、所有意識がモトにあります。
赤ちゃんが生まれたので無理して購入したあの家は、もろ、数千万円のローンを負った苦しすぎる所有そのものです、、、、、
後で思えば、みんなガラクタだった、、、そのために、死にものぐるいで仕事をしていた、、、自分のあの仕事は一体何のためだったのか、、、
捨てるべきガラクタのためだったとは思いたくはありませんが、違うといいきれる人ばかりではないと思うのです。
所有の罠に私たちははまりやすいのです。そしてどうせ捨てるガラクタばかりを集め、真の豊かさを一生体験することなく人生を終えてゆくのです。
それでは悲しいのではありませんか。所有を離れ、利用価値を重視すれば、まったく違う世界と生活が手に入るのではないでしょうか。
共有や利用価値というと、よく共産主義と誤解されますが、まったく違います。人から搾取するために、資本主義も共産主義も生まれたのです。
どちらも理想を餌に人を釣っただけで、最初から目的が違ったところにあるのです。
人の豊かさと幸福を目指した形の資本主義や共有主義はもちろんあるのですが、それが実現された試しはありません。
もしあるとしたら、すべてを与える資本主義とすべてを共有する利用価値社会です。これについてはのちの機会にお話しさせていただきます。
まず、利用価値を重視する共有社会になると、どういう生活のイメージになるのでしょう。そこから話したいと思います。
生まれた家はまず、素晴らしい家です。子供を生み育てる年代の両親はもっとも大きな立派な家に暮しているはずだからです。
家は大きく、安全で、自然な素材でできています。庭があり、木々や果樹がたくさんあります。子供は自分のところでとれた果物以外は珍しいと思うほどでしょう。
そんな立派な家でも購入したものではなく、すべて利用物ですから、今のお金で言うと、数万円程ではないでしょうか。もしかしたら無料かもしれません。敷地が350平米、家は120平米ほどでしょうか。それでも小さな方かもしれません。
大きな家が好きな人はもっともっとずっと大きな家に住む人もいます。所有価値は問題ではなく、利用価値が問題ですから、みえを張る必要もなく、利用しやすい家を選ぶだけの話しなのです。
やがて、独り立ちしたくなった若者は独り住まいの家を探します。そして探してきた家は、独り住まいに適した1LDKで、40平方メートルほどあります。窓から見える景色は素晴らしく、広いテラスに出て夏の夜は友達と食事や飲み明かす日々。これで3万円程度でしょうか。無料でも可能だと思います。
それでも厳しいと思う人は、もっと大きな家にみんなでシェアして暮らしても良いのです。
そんな豊かな気持ちでいれば、自然と恋人ができることでしょう。恋人と結婚することになれば、今度は新居探しです。
結婚生活にあった家、、、新婚時代にふさわしいと思う家を二人で探します。
2LDKの広々したマンションは、月5万円程度で借りられます。大きな窓から見える海や山は素敵で、星空を見るための屋根裏部屋では、毎夜、ロマンチックで熱い夜が訪れます。これも無料になるはずです。本気で利用価値が共有できたなら。
すべて所有意識がない社会ですから、作るためのコストがかかっていないのです。単純に良い家を作って貸し出すだけ。みんないい家なので、現代ほど個数は少なくても空きがない、理想の姿となり、十分に家は維持できるのです。
子供ができたら、今度はまた、自分が育ったような大きな家に移り、何人でも子供をつくればいい。
子供がいない夫婦は二人だけの素敵な家に住み、飽きたらまた変えればいいのです。所有でないので簡単。
みんなが捨てていたガラクタの分を利用価値の高い良いものに変えることで、こうした暮らしが可能になるのです。
今、日本で所有されている車はおそらく8000万台ほどあるのではないでしょうか。詳しくはわかりませんが、かなりの台数のはずです。
みんなが車を欲しがるので、車は安くなるかもしれませんが、いつかはガラクタになる車ばかり。
所有にこだわらなければ、皆ベンツの最高級クラスの車を乗りたいときだけ乗ればいいのです。
どこでも好きな時に乗り、好きな場所で乗り捨ててもいいし、気に入った車を月単位で借りることも年単位で借りることもできますが、利用価値という公共性から言うと、使いたいときだけ使うのがやはりベターなのです。
所有にこだわった結果、一生リッターカーにしか乗れないのと、最低でもベンツ、、、の暮らしは車愛好家にとってどんなものなのでしょうか。
あくまで所有にこだわる人は、それはそれでもちろん良いのです。しかし、いつも貧しい暮らしになってしまうので、おそらくその選択をする人は少ないことでしょう。
所有は病気なのです。ある程度の胃袋に蓄える食糧程度の所有は自然ですが、あまりに所有にこだわるのは、私と世界との関係性しか理解できない、一種の病気だと思います。
私たちの物、、、、というとき、教育が非常に大きな成果を上げるはずです。
利用価値とは、共有社会とは、すべてが自分の物であり、すべてが私たちの物なのです。
共有物が破壊されるのは、自分の物を壊された悲しみを誘い、共有物を修理するのは、奉仕であり、喜びなのです。人になしたことと自分になしたことが同じとなるのが、利用社会であり、共有の社会です。
もう一度言いますが、これは共産主義はまったくことなります。共産主義は、一握りの上のために、すべての物と動労を奪うシステムで、共有という概念を利用しただけの話しです。一部の独占社会であり、時代性に逆行しています。
資本主義もまったく同様です。大体、同じ人達がどちらも作ったので、目的が同じなのです。
所有から利用価値の社会へ、、、これは次の時代のカギを握っていると思います。
第二編としてまたさらに詳細なイメージをいづれ書かせてください。 |
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