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■ 聖書の話し 153匹の魚 |
2015年11月10日(TUE) |
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私たちが知っている歴史や社会の理解は、常にオブラートが掛けられ、悪く言えば洗脳を通してしか、現実に触れられない構造をしていると思います。
自分は洗脳などされてっこないと、誰もが思っていますが、果たして本当にそうでしょうか。
新聞でテレビで、重要なことを二面記事の最後の方に小さく掲載しておけば、そんなに多くの人は気が付きません。
それがどんなに重要な内容だとしても、一面に堂々の掲載されていなければ、人はそれが大したニュースではないと勝手に思ってしまいがちです。
権力にとって多くの人に知らせるのはまずいと思われる情報は、このように、どんなに大切なことでも扱われないとも限りません。
ニュースの順番にしても、最後の方にあっさり伝えれば、それが重要な意味を持つ情報だとは誰も思わなくて当然。情報の印象操作など、簡単にできるはずです。
実際に昭和バブルが崩壊した際には、それに先立つこと数日前に、当時の日銀が貸付けの総量規制に入るという記事を、小さく掲載していたということです。
日銀がお金の貸し出しを渋れば、土地転がしは突然ストップします。今なら誰にでもわかる内容であっても、扱いが小さければ、新聞一面にある、日経600円を超える上昇、、、の記事の印象には勝てません。
しかし、わかる人は「これは大変だ」となり、皆が気づく前にいくらでもいいから売り切って逃げたことでしょう。
こうしたやり方は、今でも同じです。一部の人たちのための利益を保証し、他の大勢の人から奪い取るやり方は、洗脳の成果ですが、時代運営のずるいやり方として、権力者からしてみたら、どうしても洗脳は必要ということになります。
なので、民衆は政府にだまされる構図をどうしてももっていますので、だまされないようにしなければ人生を奪われてしまう、、と言っても大げさではないでしょう。
権力者が言うことは、権力者にとって利益になることです。権力者と民衆の利益が一致するのが良い時代だと思いますが、今は残念なことに利益が反しています。
既得権益など国に巣食っている人が多くなったため、民衆と国の利益が一致しないようになっています。
国には力がありますから、民意をマスコミで抑え、洗脳し、国民から巧みに奪い取るようになっていきます。
選挙をださく虚しい印象でうずめ、若い人が選挙に行かないように、一般大衆が選挙に行かないようにしておけば、少数の力で、国を乗っ取るようなことが可能になります。
実際、少数の賛同者しかいなくても、選挙に行く人が少なければ、それは反対票にならないのですから、少数独裁政治が可能になるでしょう。
日本が独裁とはいいませんが、少数の考えで押し切られていることは事実だと思います。
知らぬうちに、選挙なんて、、、バカらしい、、、と思う気持ちが、洗脳の結果であるとすれば、笑っていられません。
選挙に限らず、あらゆることに洗脳が働いています。世界一の長寿国日本、、、ということですが、本当にそうなのでしょうか。統計分析の方法におかしな点などないでしょうか。
長寿国ということになれば、医療の正当性は担保されます。インチキしていると言っているのではありませんが、ある思惑を通そうと思ったら、それを可能にさせるための洗脳は必ずある、、、のではないでしょうか。
何が言いたいかというと、自分の見方を持たないと危険に対処できない時代に入っているということが言いたいのです。
みんなが言うからワクチンを打つ、、、あとでひどい目にあっても泣き寝入りですので、打つ以上は自分なりに考えた方が得策ではないか、、、と。そうでなければ自分を守れない時代ではないか、、と思います。
原発が必要、、、そんな洗脳はさすがにもう効きませんが、権力者はまだやろうとしています。まるで狂気の沙汰です。すでにフリーエネルギーはあり、そこまで行かなくても、代替のエネルギーは十分です。
高々、電気を得るために、熱湯を沸かすのに危険極まりない原発など使うことは、本来ありえない話しなのです。
洗脳がない限り、できないことだったと思います。
天皇陛下が御進講の際に、内容が原子力に関係したことだったのですが、その際に、陛下から改めて、「原発は本当に安全なのか」のお尋ねがあり、それに御進講の担当者は「安全です」と伝えた、、、という話しをどこかで聞いたことがあります。
陛下もだまされていたことになるのでしょうか。御進講の担当学者が間違っていたわけですが、洗脳の正体は学者も動かし、あらゆる機構に及びます。しかし、それは権力者の恐れなのです。
洗脳が溶けていく時代に今、入っています。
人は本当におかしなことまでして働く必要などあるのでしょうか。
お金は大事なものですが、果たして、それを担保するものは何で、今でも、本当に価値があるのでしょうか。
私が確か高校生の時だったと思いますが、家でとっている新聞、確か朝刊だったと思いますが、一面に「水晶の中に太陽のエネルギーを閉じ込めることに成功」という記事が大きく載っていて、これでフリーエネルギーが得られると、ワクワクした記憶があります。
しかし、次の日になっても、その次の日になっても、続報がまったくなかったのです。
なぜなんだろう、、、と思ったのですが、今考えれば、フリーエネルギーが出回れば、石油も売れなくなるし、敷いては権力の構造が壊れるので、よくない記事にされたのですね。
こうした記事を取り上げる人は出世できなくなったり、冷や飯を食わされたりし、それを見た同僚たちは、都合のよい記事を書けば出世できると悟り、段々とおかしな時代を築いたのでしょう。
ともかく洗脳です。おかしなことをやるためには、おかしなことを真実に思わせるためには、洗脳はどうしても必要になります。
これがうお座時代ということですが、聖書の中にも、今後の嘘の時代を築く方向と、真実を隠して伝える方向の二方向が現れます。
都合の悪い個所は、おそらく聖書から省かれ、問題のないものだけが残されていった、、、イエスの弟子たちは、そうした事実を残す戦いの前線にいたことになります。聖書には、そのため、暗喩でしか言えない内容が存在します。
聖書編纂にはかなりの年月がかかっていますので、真実を伝えようとする人は、洗脳を目指す人と対決する形になり、本当のことを比喩や暗喩によって伝える以外になかったのだと思います。
そうした葛藤が見られる個所について、本日は取り上げたいと思います。
それは、ヨハネによる福音書の最後の章、21章に復活したイエスが登場する場面があるのです。
ヨハネ伝は福音書の中でも最後に編纂されたものですから、色々な邪魔や宗教支配にとって不都合がある個所は掲載が許されない、、、そんな状況があったかもしれません。
ことに、この最終章において、出てきた暗喩には高度な意味あいがあるように思います。ただしあくまで、私の勝手な感じ方であることは、先に申し述べておきます。
さて、何が書かれているかですが、復活したイエスがペテロの元に来て、ペテロを特別な弟子とし、子羊を育てる使命をお与えになった、、、という内容です。
ヨハネ伝は不思議でせっかちな終わり方をしている福音書です。まだまだ色々書きたいことがあるが、そうなると数限りないので、これだけにします、、、、というような終わり方。
不思議です。おそらく、自由に書けない状態だったと思います。また、聖書記事が正しく伝わるのか、イエスの言ったことを正しく、イノチある形で伝えられるかの、ギリギリの争いがあったようにも思われます。
そのため、不可思議な終わり方になっているのではないかと思うのです。
こうした最終章のおいて、切迫した思いを持つ最後の章に置いて語られたことには深い意味がきっとあります。
ヨハネ伝最後の記事は、イエスの指示によって湖で漁をした際に、153匹の魚が取れた、、、という話しです。
聖書の中に出てくる数字には色々ありますが、どれも象徴数であり、聞いているだけで、ああ、数を象徴的に使っているな、、、ということがわかります。
たまにそうでない個所もありますが、大体は、6とか7とか12とか、わかりやすい象徴数ですが、この153という数は変わっています。
イエスが漁を命じて、それが何匹であろうがどうでもよいようなものですが、聖書には忠実に153匹と書かれています。そこには、必ず、意味があるはずです。
153という数字には、重大な意味があり、イエスはこのことをもって、ヨハネ伝を終える、、、その最後の暗喩として153の魚の話しを放ったのです。
続きはまた明日にでも書かせていただきます。長くなりますので、本日はこれにて、一応、終えることにさせていただきます。
明日、またよろしくおねがいします。 |
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