愛の日記


<< 2024年 11月 >>
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
- - - - - - -
更新履歴
2017/02/05
ゼロが無限

2017/02/02
現代は信仰の時代

2017/01/31
一人であることを恐れない

2017/01/31
大吉ツアー

2017/01/27
全部、やり直し



選民意識の終わる時代 2015年09月15日(TUE)

  118,767 byte

選民意識はどの国、どの民にでも大体はある。ユダヤの民のみならず、日本にも中国にも、また白人という選民意識にも非常に強いものがある。

この数百年は白人文明が世界を席巻した時代だから、白人の意識に優越したものを感じることは確かに多い。

池田山ヒーラーファッションを着て街を歩くと、色々な反応に出会う。おおむね、おやっ! という好意的な反応をみせてくれるが、白人の中に時どき、敵意むき出しに反応してくる人がいる。

最初はこちらの誤解かとも思ったが、何度も出合ううちにそうでもないとわかった。

もちろん、敵意など見せない白人が多いのだが、中に敵意を見せる人がいるということだ。白人以外の外国人からは感じたことがないので、白人特有の反応に感じられた。

おそらく、白人文明、文化が世界一であり、それに従わない表現には違和感を覚えるのだと思う。

日本人の選民意識も、白人以上かもしれない。日本は特別な国である、、、的な発想。どの国だって特別なのだから、日本に限ったことではない。

私自身、日本語の特殊性についてことあるごとに語ったりしているので、そうした誤解を生むかもしれないと思うと、責任を感じる。

中華は中国が中心という発想であり、韓国でも文明のほとんどは韓国から生まれた、、、的な発想を語る人も多い。アフリカ大陸にも同様の発想があると思うし、ヨーロッパにももちろんある。

どの国もどの民族も、自分が一番、、、という気持ちになって当然なのかもしれないが、これだけ世界が狭くなり、関係性が大きくなったのだから、どの国が一番ではすまない時代になった。

もっともらしく遺伝子の問題として優越を語る人もいたりするが、遺伝子に優劣などない。個性があるだけ。

ここに来て、私たちはどの選民意識をも捨てなくてはいけない時代が到来したのだと思う。

それぞれの個性をもちより、それぞれの特性を出し合って、ひとつの人類、地球を運営していく以外に未来はない。

その際に自分が一番優れていると思う思考ほど間違いを生み、問題になるものはない。

日本の官僚などは、自分らがもっとも優秀で、一般庶民は自分らの考えたレールに乗っておとなしくしていてほしいと、本気で考えている節がある。

実際、日本の官僚は確かに優秀だと思うが、それは成績優秀であり、実務面が優秀という一面の優秀さでしかない。

人間にはもっともっと、色々な才能があり、人を笑わせるのがうまい人もいれば、勉強ができる人もいれば、優しい人もいる。

どれも必要な才能であって、どれがもっとも優秀というのは、あまりに大人げない危険な発想だ。そうした一部の才能だけで収まるような時代ではなくなっている。

どの国の防衛と戦力がもっとも大きいとか、戦うとどの国が強いかなどは、結局は間違った選民意識に根差して発展した発想だろう。

確かにまだ防衛が必要な時代なのかもしれないが、そのウエイトはいくらでも小さくできるはずだ。それには、優秀な人がリードする今のやり方では難しい。

どの才能も同じように必要であるという立場に立つと、百花繚乱の国のイメージがでてくるし、百花繚乱の人々の暮らしのイメージがでてくる。

知的優秀=武器と戦争   この方程式でむしろ人類と地球は苦しめられて来たのだ。選民意識が争いを生むわけで、勉強に異様に力を入れれば、必ずと言っていいくらい官僚的な発想が重視される時代になっていく。

日本の中にも、我こそ、、、という貴族意識を持つ人達がけっこういる。大企業であったり、昔からある有力企業であったり、元華族である場合もあるだろう。

そうしたものが力を持ち、また必要な流れも確かにあったのかもしれないが、今、もう一度、素直に裸の気持ちで考えてみると、本当にそれは必要な意識だろうか。

昨日からユダヤの新年が始まった。特別な新年である。ヨベルの年の始まり。

今のイスラエルでどうなっているかは知らないけど、ヨベルの年には、奴隷は解放され、借金はなくなり、あらゆる負債も、罪も許される。

御破算の年である。この年に、あらゆる選民意識をご破算にできたらどんなに素晴らしいだろう。

勉強ができる人は勉強ができることで褒められる、、、足が速い人は足が速いことで褒められる、、、絵がうまい人は絵がうまいということで褒められる、、、

バカな人は、ずるくない個性を褒められる、、、優しい人はとくに褒められもしないかもしれないが、人が寄ってくる。

お金持ちは、お金の面のみでいい思いができるが、だからと言って何ということはない、ただそれだけ。

お金の無い人は、お金がないことのみで困ったりするが、ただそれだけ。

どうっていうことはない。

あらゆる選民意識が終わると、この世は楽になっていく。当たり前のことが当たり前のようになっていき、これまでどんなに無理して生きてきたのか、、、むしろ選民意識に凝り固まっていた人が気づくかもしれない。

まだこの世の中で、階級があり、上下があり、パワハラもセクハラもまかり通っている。どれも小さな選民意識なのだ。

つまらぬものを捨てる、、、そして持っているものを持ち寄る、、、すると誰にでも意味と存在の価値が出てくる。

ヨベルの年に習って、私たちも積もり積もった特別な意識を捨てれば、きっと楽しくなってくる。
 



さらに過去の日記はコチラ>>

Copyright(C)2010 Mademoiselle-AI, All Rights Reserved.