<< 2015年 8月 >> |
SUN
|
MON
|
TUE
|
WED
|
THU
|
FRI
|
SAT
|
- |
- |
- |
- |
- |
- |
1
| 2
■
| 3
| 4
| 5
| 6
■
| 7
| 8
| 9
■
| 10
| 11
| 12
| 13
| 14
■
| 15
| 16
| 17
| 18
| 19
| 20
| 21
| 22
■
| 23
| 24
| 25
| 26
| 27
| 28
| 29
| 30
| 31
■
| - |
- |
- |
- |
- |
<< 前の月
/ 次の月 >>
|
■ 明日から9月 |
2015年08月31日(MON) |
|
きょうで8月はおしまい。8月が過ぎれば一年はあっという間、、、そんな気持ちになりますが、確かにあと4か月すればクリスマス、、、なんだか信じられない気分。
ただ色々な出来事が起こるには、残り4か月は決して短くはないでしょう。
昨日の国会に集まった人の群れは、少なく見積もっても10万人は超えているらしい。小雨の寒い中をよく集まりました。群衆を分断したようで、少なく見せる工夫を色々やったようですが、延べ人数にしてみたら、10万人どころか、30万人を超えた、、、という話しも。
警視庁調べで3万人は超えているのですから、かなりの数であることは確かです。
これをNHKが報道しない、、、、まあ凄い話しですが、海外のニュースで取り上げだす中、あわてて民放の方はニュースを流し出す、、、そんな流れです。
NHKは今はいいですが、こんなことしていると、いずれ損することになるのではと、つい思ってしまいます。
川内原発も本日からフル稼働とか。本当に何かおかしいですね。これだけ民意と政治が離れてしまっているのですから、何かが起こりそうな気配を感じます。
民意と政治が離れた際に、どういう出来事が起こるかは、大きな流れがどちらに優位になっているか、、、ということで図れます。
大きな流れには、個人はもちろん、権力さえ勝てないのです。今回の大きな流れは、民意側に立っている気がしますので、政権の方に危機が出やすい構造をしています。
おとめ座という星座は、日頃は説得力があり、まじめでそうかな、、、と思わせる力と個性があるのですが、いったん、あの人が言っていることは嘘、、、という感じが出てくると、なぜか一番批判されやすくなる星座なんです。
前にも言いましたが、現政権の主力である、安倍氏、麻生氏、甘利氏のたまたま3Aトリオになりますが、すべておとめ座生まれ。
一度不信感が出ると、言いやすいというか、わかりやすく批判の対象にされる運命がおとめ座の三人にはあります。ただ、今は太陽もおとめ座に。また幸運の木星もおとめ座に入っているため、なぜか守られやすい。
安倍氏の支持率が再び上がっているというニュースですが、まったく信じられない人には信じられない思いでしょうが、確かに多少は上がっているのかもしれない。
木星の保護力が今、おとめ座にあるからでしょうが、木星が過ぎれば、逆におとめ座には、いて座の土星から、そして何よりうお座の海王星が対立する力をもたらすので、あっという間に霧散する運命となっています。
この9月は天皇陛下の御製にもあるように、刈り入れの時期であり、水面下における戦争が表に出てくる暗示があります。
国と国との争いとはまた別の戦争が現在繰り広げられており、そのことが表に出てくる、、、そうした暗示があります。
果たして、金融で出てくるのか、もしくは軍事で出てくるのか、テロなどの突発的な出来事を通して出てくるのかはまだわかりませんが、9月と10月は要注意時期として星の上からも考えています。
山本太郎氏の国会発言が注目を集めています。日本は実はアメリカ様の支配下にあった、、、、という内容なのですが、もうひとつの日本を見る思いでもあります。
どこにも本当は民主主義などない、植民地が日本だった、、、という内容で、最高裁自体がおかしいとまで、山本氏は詰め寄っている。
わかっている人にとっては、そんなこと前々からの事実なのですが、一般民衆には驚きの内容だったのでしょう。
これが覚醒を生んで行くのか、知らん顔で過ごそうとするのか、、、果たしてどうなるのでしょう。
人は食べていけるうちは体制におとなしく従いますが、そうでなくなっていくと、事実と真実を見る目が出てきますので、流れは段々と後者に移行中。
その結果がこの秋にも見られるようになるのかもしれません。
原発など不要であったという真実、、 貸し出した金が負債から始まる金融のインチキ構造 資本主義も共産主義も同じ力が作ったという事実 911が国家犯罪であるとの認識の一般化 311も同様の構造をしているという思いの一般化 古くは123便の事実の広がり
こうした事柄には真実もあればもっともらしい嘘もはびこるわけで、嘘の部分を取り上げて、すべてを闇に葬るという手法で人は事実に至ることができずにいましたが、やはり時至った、、、、ということで、事実に目を背けては次の時代が築けない、、、という形になっていくと思います。
その先陣が山本太郎氏であったのは、私が新年に予想した通りでもありました。これでベーシックインカムをどなたかが取り上げることで、さらに大きな流れになると思います。山本氏に限らず、どなたかが出てきて、ぜひベーシックインカムを掲げ、それに賛同する者だけで政権を運営できれば、良い時代が訪れます。
ベーシックインカムは、私の考えですが、控えめに考えて、一人毎月10万円をもらえる。4人家族ですと40万円。5人家族だと50万円です。
すぐに人工が増えることでしょう。景気もあっという間によくなります。良くなるどころか、とんでもなくよくなります。
なぜ、こんな夢のような政策が可能か、、、信じられない人が多いと思いますが、逆に質問すると、私たちがいただいている自給900円とか1000円は、安いかどうか、、、。
答えは安い。しかも不当に安い。というのが答えなんです。確かに自給をはるかに高くして儲かる会社など今はありませんので、無理に聞こえますが、本当は、私たちはもっともっともらえるくらい働いてきたのです。
ただ、働いた分のそのお金が、違ったところにもっていかれたため、私たちはずっと貧しかった、、、、ただそれだけのことなんです。
機会化がすすみ、やがては労働時間が三時間程度になる、、、と言われた昔の予測は、見事にはずれたのですが、オートメ、機械化、コンピュータ化が進むことで、収益は実際には予想以上にアップしたのです。
ただ、その収益をわずかな人のところに行ってしまっただけで、他の予想はあたっていたのです。
子供たちや戸籍がない人たちが、ひどい条件で働かせられている、、、という声はよく聞こえてきます。本当に事実なのです。100円SHOPのあの中身を見るにつけ、これで誰が儲かるのか、、、不思議に思ったことはないでしょうか。
そんなんです。わずかな人が儲けるだけで、その製造にかかわる人すべては、嘘のような賃金で奴隷状態で働かされている、、、だからなんです。
見えないところで子供たちが、、、戸籍のない人達が、、、だまされて連れてこられた人たちが、、、、
今のデフレ経済を支えていると思うと、こんなもの、壊れてしまった方がいいと、短気な私などは思ってしまいます。
要するに今の経済も金融も文明も、その大本に不正があるということなんです。
では、私たちが働いた本当の取り分は一体いくら程度なのでしょうか。
ヨーロッパにでも行けばわかりますが、かつては日本よりもはるかに貧しかった国でさえ、ヒッチハイクで旅した番組などでは、昼飯をおごってもらう、、、、そんな場面で衝撃を覚えました。
ランチ、、、トラック運転手さんが毎日食べる、普通のランチの値段が、2000円くらいだった驚き。
2000円のランチを毎日食べられる日本人は、会社務めでは、一部上場企業の部長以上、、、いや、経営者クラスしかいないのでは、、、、
役員程度になればどうってことないかもしれませんが、本当にそうなら、きっと不正な儲けとつながっている人だけではないか、、、そんな思い。
そのランチが、ヨーロッパのかつては日本よりもはるかに貧しい国のトラック運転手さんが、日々食べている。
いいですか、、、私たち日本人はいつの間にか、本当に貧乏にさせられてしまったのです。上のどこからか、お金が漏れていくためです。
漏れていった先はもちろん、日本を支配されているお偉い国のお偉い人達。
そのお金はどういうルートで流れているのか、、、それを追求しようとした国会議員は、なぜかお亡くなりになってしまう。本当に不思議な国が日本です。
ある試算によれば、特別会計という国見の目をくらます財布があり、それは見せなくてもいいという決まり。
特別会計は国家予算よりも大きい、、、ということ自体が異常なのですが、そこからお金が漏れていったとしか思えないのですが、それを試算すると、他のルートを色々合わせると、3000兆円だと。
試算なので本当かどうかはわかりませんが、3000兆円というと、約国民一人当たり2800万円程度。
極論すれば、みんなの財布に2800万円払い戻しがあってもおかしくない、、、ということになる。
4人家族は、明日から突然、1億円ある家になる。一人暮らしのあなた、、、明日から2800万円の財布を持つようになる。
そしたら、景気はもちろん良くなる、、、結婚もひるまない、、離婚も自由。一人で生きていけるから。いやなブラック企業ともおさらば、、、、当たり前、我慢などする必要もないから。
金でこうやって縛られてしまったんですね。私たち、、、。
ベーシックインカムは、そんな特別会計だかなんだかわからないところで税金を消費するのではなく、その分をただ返せ、、、というシステム。
一人10万円として、一か月で12兆円。一年で144兆円の出費となるが、3000兆円失ったことを思えば、できないわけがない。
奪われてしまった金は何も生みださないから苦しいが、ベーシックインカムで得た144兆円は確実に毎年市場に戻ってくる、、、、これまでに考えられなかった好景気となるに決まっている。それが永遠に続く。
なぜなら、それを上回る税収が国には入ってくるからです。
結局、すべての問題は、富を巧みに奪い取る、ごく一部の存在があり、それに従う心を失った財界と政界がもたらした異常であったということに尽きるのです。
そのことが段々と明確になってくる、、、、解放の時代が始まるのですが、その前に、まだ、おとめ座の木星は、一時的におとめ座政権を守るでしょう。
しかし、それはさらなる確定的な瓦解を求めての一時的温存であり、私たちの我慢ももう少しの辛抱と言えます。
そうなると、生き方も衣食住も変わると思う。洋服が本当は優越をベースにした奴隷服であること、、、食べるものが汚染され、イノチによくないものになっていること、、、ゆがめられた科学や物理が本当のフリーエネルギー理論に置き換わっていくこと、、、など、すべてが一新される時代の到来となるでしょう。
|
|
|
■ 二重価格 |
2015年08月22日(SAT) |
|
銀行に預けてある100万円と、現実に手元にある100万円と、基本的には同じ価値があると思われています。
しかし、状況によっては、現実の手元にある100万円が預けてある1000万円よりも価値がある、、、そんなことも起こることがあります。
世界的に暴落気味の株価ですが、ついにニューヨークの株価に火が付いたようです。
安倍政権にとって、日本の株価は何があっても守らなくてはならない自身の存在の基盤的重要性がありますが、ニューヨークも同様の構図です。
金融勢力の最後の砦がニューヨーク株価で、どんなにおかしいと思われても、何かやってるんじゃないかと疑われても、これだけは死守してきた、、、それがニューヨークの株価。支配勢力の最後の砦。
その株価が崩れてきました。中国のアメリカ国債売り崩しが密かにあったはずで、米中は基本的に裏では戦争状態にあるのだと思います。
国債売り圧力の前で株価維持ができなくなりつつある、、、債権市場は株式市場よりもはるかに大きいので、債権を支えねばならないとなると、株式に回すお金などどこからも出てこなくなります。
国債市場が暴落することは、簡単に言えば国家の終焉ともなる事態ですから、こちらを支えることで、株価対策に回す金がなくなってきます。
どの国もお化粧していた株価や債権価格ですので、こうなると弱いわけです。
今、世界に起きている状況は、見せかけのものと本物の違いの区分けでもあります。
同じ100万円でも10倍以上の違いが段々と出てくる、、、そんな方向に向かいつつある。
金融経済は見せかけの部分が肥大し、本質的なものは逆に見せかけの時代では小さく見えます。
なんだか人間にも同じことが言えそう。おお金持ちの人が割合と質素な服や生活をしていて、一見華やかに見える人の財政が意外に苦しい、、、そんなことが多い気がします。
金融経済ではお金を融通できる力量のことを信用という言葉で表現しますが、信用こそ信用できない構造を持っているのが金融経済界です。
株価程度はインチキ操作で国費を注ぎ込めばどうにでもなるでしょうが、債権市場に赤ランプがともるとそれどころではありません。
これまで相当のインチキをしてきたニューヨーク株式ですから、それが支えられない状況は、実は深刻です。
いよいよ、、、という流れであり、あらゆる価格の二重性が今後わかってくると思います。
事変の最初の頃は、まずすべてが売られることになり、値が付いているものすべてが安くなりますが、今回はどうなるかわかりませんが、基本はそうです。
その後、債権が売られることで、お金の価値自体への不信が出てくる形となります。お金への不信でも、インフレの形を取る場合と、数字上のお金の価値の毀損の形を取るケースがあるでしょう。
すでに数字上のお金には、その価値の毀損が起きているかもしれません。
私たちが銀行から卸す数万円程度のお金には何ら問題がなくても、どこかの国では、数十億円のお金を移動しようにも移動できない、、、そんな事態がすでに起きているかもしれません。もしかしたら、、、の話しですが。
今後、あらゆるところで起きてくる二重価格は、私たち自身にも大きな影響を与えると思います。
自分にはどういう力があり、どういう価値があるのか、、、社会的なことで、家庭的なことで、経済的なことで、能力的なことで、自身の自身に対する価値判断において、こうした追求が起こる時代になります。
その際に嘘は通用しません。なぜなら、嘘の部分が剥がれ落ちるためです。同じ給料をもらっていても、嘘の評価でもらっている人は弱く、実の働きの成果としてもらっている人は強くなります。
それは、家庭でも個人間の人間関係においても同様でしょう。何より、自分自身をどう受け止めるかにおいて、嘘の部分が剥がれ落ちますので、逃げ場のない状況がいたるところで起きてくるのではないでしょうか。
しかし、本当はそんなことはどうだっていいことなのです。剥がれ落ちた結果、自分がバカだとわかったら、私はバカでした、、、と、気づき認めれば、それで問題は終えられるのです。
すべての虚飾が剥がれ落ちる時代とは、事実を認めさえすれば、それを個性として受け入れてくれる暖かで優しい時代の幕開けでもあるのです。
自分の何が剥がれ落ちるか、、、私たちは本当は楽しみに待ち、素っ裸の自身に愛を向けることで、すべての人が救われる時代の到来ともなるのです。
なので、危険もなければ不安も不要です。ただ、自身のイメージに最後までしがみつき、剥がれ落ちて失う者の中に価値を見出すしかない人は、大変だと思います。
結局本当の不幸は、嘘つきであるということなのです。 それさえわかっていれば、どんな困難な時代も越えることができます。
さて、今週のMI池田山ハウスは、本日の土曜と明日の日曜のお昼からオープンしていますので、ぜひ遊びにいらしてください。
これからの時代を共有する場としての池田山ですから、自身の生き方をどうにかしたい、、、と思っている人には、きっと多くのきっかけを与える、見えないもののそんな波動を与える場になっていると思いますので、一度はぜひいらしてください。
本日は二時から「過ぎ行く夏のお茶会」として、たわいもないことでいいので、この夏のことなど話しながらお茶したいと思います。午後二時からです。
明日の無料セミナーはやはり午後二時から、大人気の「エンジェルチューナーのすべて」として、その使い方や内容についてお話しいたします。
エンジェルチューナーをお持ちの方はぜひいらしてください。関心がある方もぜひどうぞ。お持ちでない方は、モニターチューナーがあるので大丈夫です。4224hzの音だけでも聞いていただきたいです。
話しは変わりますが、日本文化の根底にある和歌、、、和歌を古代旋律にのせて歌う披講は、あらゆる文化の根底に位置するにも関わらず、その伝承力は弱く、冷泉家と宮中で細々続けられています。
民間での本格的なものは、私が名誉会長を務めている星と森披講学習会があるだけです。
日本文化のお華やお茶は世界的に影響力があるほど発展しましたが、本来、歌のない、すなわち披講のないお茶会や華道は、異常なことで、本当はありえないのです。
そのことは、おそらくあと数十年もたてば、日本文化が再評価されるあかつきに、日本文化の構成が世界的に研究されることとなり、その中心にあった和歌と和歌披講が特別に重要なものとして位置づけられると、私は信じています。
ヨーロッパの優れている点は、文化を系統的に体系的に位置づける姿勢です。日本文化がそうした形で再評価される日は必ずやってきます。
その際に、和歌と和歌披講の存在は、特別に重要なものとなるわけですが、その重要なものを知る日本人が実に少ないのです。
まして、実際に披講の技術を知る人は、お華やお茶に比べたら、数万分の一程度。非常に心もとない状態であり、今回の二日間の披講セミナーは貴重な機会だと思いますので、関心がある方は、ご参加ください。
9月1日と2日の丸二日間にわたりますので、その基礎を学ぶことができ、実際に歌えるまで指導いたします。
あなたが世界に旅立つとき、海外の方がもっとも知りたいのは、日本の文化です。和歌の披講が最大の客人のもてなしであるという点からも、正式な場において、これほどのサービスはなく、あなたは大統領でさえもてなせる最高の技を習得することになります。 |
|
|
■ 2015年 夏休み |
2015年08月14日(FRI) |
|
今週は多少の夏休みをいただき、高原でしばしの休息を楽しみました。
その間に原発再稼働があるという、まるで正気とも思えないことがあり、中国の天津では大爆発で、原因もその内容も不明というまさに末法的な出来事が。
原発というのは、単にお湯をわかすためだけに、危険極まりない核を使用するという、もともとのスタートから正気でない発想でした。
最初から正気でないのだから、最後には、さらに異常性が出てくるのが、運命の法則。まさにそれを地で行っている気がします。
再稼働と言っても、避難政策も決まっていない、異常なやり方であり、福島の原因究明も終わっていない中での、まるでカルトなのか、、と思わずを得ないやり方。
このまま各地で再稼働が進められたら、反対運動がいやが上にも盛り上がることは見えている。見えていることをなぜやるのかというと、それだけ追い込まれているからです。
明治近代国家の総決算としての時期が近づいていることを直観的に感じます。
薩摩の原発。そして、長州の安倍氏。明治を作った意図と力学の総決算が近づいているように思えるのです。
天皇の歌会始における御製にある、夕闇の迫る田に入り実りたる稲の根本に鎌をあてがふ、、まさにその時期が近づいているという予感です。
早場米はそろそろです。実りの秋は近く、近代日本国家の総決算がどのような形となって現実化するのでしょう。
平成とは、すべてフラット。一度何もかもフラットに戻ることがあるのかもしれません。
少なくとも、明治以降の日本は、決して日本的ではなかったのです。戦前の軍事政権も近代的な集権国家も日本的ではない。
日本的なるものは、和であり、ひらがなであり、民意です。
最後の最後に薩長が出てきて、そのフィナーレを演じようとしている。
短い夏休みをいただき、高原で花火を見てきました。 弾薬で使用する火薬を日本では花火に主に用いたのは、おそらく民意であったことでしょう。
鉄砲と花火、、、権威ある人と民意と、日本でははっきり分かれており、150年続いた集権の時代はそろそろ末期となり、民意の時代が始まろうとしています。
では、美しい高原の花火をご覧ください。みんなで良い、自然な時代を築こうではありませんか。
|
|
|
■ 宴の後 |
2015年08月09日(SUN) |
|
癒しフェアの後の撤収作業も終え、これで大きな夏のイベントは終了。
準備に費やした日々や、それに関わる皆の真剣なまなざしが、まるで昔のことのように脳裏によぎります。
二日間を終えた満足と共に、宴のあとの一末の寂しさが、立秋の気配を身近なものに感じさせます。
沢山の方においでいただきありがとうございました。お声をかけることができなかった方も多いと思います。お詫び申し上げます。
二日間、広い会場内を歩いているとき、かなり多くの方々にお辞儀をされました。お顔がわかる方もいれば、申し訳ないが記憶にない方も多くいました。
そして思ったのは、私が一番の年上で、どこに行っても、どのブースでも、皆私よりも年下の人ばかりだったわけですから、多くの年下の人は、私の天文歴で学習したのだと思います。
その昔は、本格的な日本の天文歴を出していたのは私のところだけでしたから、大勢の占星術ファンは、皆、その天文歴で学んだはずなのです。
また、マイバースデイという一世を風靡した占いの月刊誌ファンも多く、そうしたところから、大勢の方々が私のことをご存じだったのだと思います。
帰りの搬出時に車を取りにいったところ、占い師の集団が小型バスでお帰りになるところでした。その中の社長らしき方が、私を見つけて、マドモアゼル・愛先生ですか、、、と。
私がうなづくと、みんなマドモアゼル・愛先生だよ、、と占い師の集団にお声をかけてくださったのですが、すると皆様窓越しにおいでになり握手責め。
この歳で、まるで人気タレントの気分を味わわせていただいたのですが、長くやっていると、そうしたこともあるのだと、改めて感謝の気持ちが出てきました。
多くの皆様にお世話になった二日間でした。ありがとうございました。
また明日から日常が始まります。 |
|
|
■ 崩壊と吸引はすべての行為に及ぶ |
2015年08月06日(THU) |
|
吸引サイクルと崩壊サイクルとは飯島先生から学んだものですが、宇宙のすべてはこの原理によっています。
崩壊のサイクルから始まったものは、力を失い、老化し、命を縮め、最後は死に至ります。
その一方で吸引サイクルかは始まったものは、力を得、若さを保ち、命を長らえ、厳密にいえば死ぬことさえなくなります。
どの現象にもこうしたサイクルがあり、あらゆるものの基本は吸引サイクルですが、間違った意識圧がかかることで、吸引サイクルがひっくり返って、崩壊サイクルになることが多いわけです。
どのサイクルも吸引、崩壊、吸引、崩壊、、という呼吸のようなリズムを刻みますが、最初がどちらかによって、人も物事も生の方向か、もしくは死の方向へと向かうことになるわけです。
動物の意識は自然に近いものなので、基本的に歳をとらないのだと思います。人間は動物に比べてよく考え、常識などが浸透するため、自然でない意識圧を持つことが多くなり、崩壊サイクルに変えてしまうものが多いのです。
よく、物事がうまく運ばずに運気の停滞を招いたり、運気が悪くなることが人にはあると思います。それは、何か順調だったものが、ある時点から崩壊サイクルに切り替わった結果であるともいえます。
ツキが衰えていく、、、うまくいかなくなる、、、そうしたことは誰にでもあるのですが、そのきっかけとなったものが実はあるはずなのです。
それは意外に小さく見えるものであったりします。ケチな人なら、金銭面で多少得することがあっても、その得した事柄に対して、何らかの負い目などを抱いたような場合、その行為に負の意識圧がかかりますから、これまで順調に行っていたサイクルが、そのことから崩壊サイクルに引っくり返ることがあるのです。
ですので、昔から本当に分かっている人は、常日頃の心構えの大切さを問うたのではないでしょうか。武士道などまさにその典型です。
また、道、といわれるものも、その神髄は、小さな言動や行動が持つサイクルを常に自然体に保つことが目標であると言うとわかりやすくなります。
心しておこなうことの大切さが、崩壊サイクルをもたらさない重要なことなのです。
昨晩、私は過労もあって、このまま食事をしたらかなり悪化するのではないか、、、という思いがありました。
本当なら食べなければよいのですが、食いしん坊な私は、注意深く食べよう、、、と決めて、ゆっくりと、心を騒がしくさせることなく、一口づつ、本能にまかせないで食べたところ、体調はよくなりました。
おいしい、、、とか、もっと食べたいとか、、、欲求のままではなく、ゆっくりいただくという気持ちで食べたらかなり悪かった体調がもどりました。
そしてわかったのが、サイクルが多忙によってどこか崩壊サイクルに切り替わったのを、再び、自然な吸引サイクルにオセロの駒のようにひっくり返したということです。
温泉に行ったり、良い音楽を聴いたり、笑ったり、、、自然な喜びが再び私たちを吸引のサイクルに戻してくれるわけですが、信念が強い人はそうはいきません。
絶対に損したくない、、、という思いが強ければ、損得のみが判断基準になるため、自然でなく、いつか何かで崩壊サイクルに逆転させてしまうことが多くなると思います。
出世病もお金持ち病も権力病も、結局はむしろ損なことなのです。必ずどこかで自分自身に負い目を抱き、サイクルを崩壊に導くことをしてしまうからです。
昔、ホテルニュージャパンというホテルで火災が起き、多くの宿泊客がなくなりました。原因はスプリンクラーがついていなかったからです。
形だけの水が出ないスプリンクラーを付けて、検査を済ましたという嘘のような話しだったと記憶していますが、ホテルニュージャパンの社長は大変なお金持ちでしたが、異様なほどのケチだったのです。
客の安全にかけるお金ももったいないと、見せかけのスプリンクラーを付けたなど、心のどこかに必ず負い目を生じていたはずです。
儲けはしたものの、サイクルは限りなく崩壊方向に導いたはずで、あれだけお金に執着しながら、結局は最後は借金で終えた生涯でした。
このように、吸引と崩壊のサイクルはしょっちゅうが逆転し、オセロのように裏表の姿を見せているのです。しかし、ある観念にしばられたり、一方向の考えしか持たない人は、どうしても崩壊サイクルを強化することになります。
気分転換の重要性、、さらに言えば、一つのどんな小さな事柄にでも、心して行う態度が、いかに重要か。
日本の文化は道という構造をしています。食べることにも道があり、遊びにも道がある。
ことに食べることは、本当は非常に危険な行為だという気がします。人間は2500カロリーを食べても、実際には三万カロリーほどを使っているようですので、食べることと、エネルギー補充は直接的には関係しないのかもしれません。
無からしか本当のエネルギーは来ないわけですが、そのため、食べることは、必要であるかもしれませんが、本当は危険なことなのです。2500カロリーを食べて得るためには、2500カロリー以上を消費していることがもしわかったとしたら、食べることの危険性もうなづけます。
私自身、決して不食ではないし、そんな高度なことはあいにくできないと思いますが、食べることの危険性はよくわかります。
ただおいしい、、、ただうまいと、食欲に任せて食べるとき、私たちは、ついつい、獣に近い不自然なサイクルに逆転させる可能性があるのです。
食べることはとくにそうでしょうし、また、歩くことも、呼吸することも、言動を発することも、、すべてにどちらかのサイクルが存在するのです。
動物は自然ですから、基本吸引サイクルのまま生きていきますので、いつまでも若いわけです。人間も日々の小さな事柄の細部にまで、本当は意識を向け、自身のサイクルの崩壊化を常に見つめる必要があるのだと思います。
となると、効率や合理的という価値がいかに小さく、間違ったものかがわかってきます。道という方向性の前で、効率や合理性というもののインチキが暴露されるはずです。
|
|
|
■ 健康法で不健康、、ダイエットで太り気味 |
2015年08月02日(SUN) |
|
私は出生時の月が6室にあるためか、昔から大の健康法オタクでした。今でも関心はあるのですが、用心してトライする習慣になりました。
数々の失敗を重ねてきたからで、すぐに健康法に飛びつくことはなくなりました。
一度、あらゆる健康法を捨てたときがあるのですが、その時がもっとも体調が良かった、、、そんな気もします。
健康法もそうですが、ダイエットもこれと同じです。ダイエットしている、、、と聞くと、ああ、じゃあ太るな、、、と嫌味ではなしに思ってしまう自分がいる。
昼食に簡単なサラダ程度で我慢しているOLを見ると、まず太っています。食への異様な我慢が爆発するのは確実で、昼にサラダで我慢したのだから、おやつにケーキくらい食べても、、、と、そんな流れになりがち。
何かが狂っているわけで、健康法もダイエットも大体はあまりよい影響を与えない場合が多くなります。
たったひとつの方法で目的を達成させる、、、ということは、どうしても信仰になりがちで、他のことに目が行かなくなる。
たった一点のみに目が行くということは、意識がそこに集中するため、意識からしか現実はうまれませんので、太ってはダメ、、、すなわち、太ることへの恐怖意識に栄養を与えてしまうわけです。
健康法も健康法を行えば行うほど、とくにひとつの健康法にこだわるほど、意識はそこに集中するため、自分が不健康になることへの、本当は意識集中となり、ダメになるわけです。
自然である、、、ということはですから本当に偉大なことで、自然の中に自身をいかに置いておくことができるか、、、そこにダイエットも健康も幸福のカギも存在していることになります。
私の長年の知人に気功の達人の中国人がいて、健康面でのアドバイスを色々と長年してくれているのですが、その先生の言うことは、ほとんんど間違っておらず、一点に絞られるダイエットや健康法的な考えをされたことはありません。常に複合的でした。
先生は政党の色々な党首の健康管理も密かに行っている名医でもあるのですが、ちょうどセミナー開催中のMI池田山ハウスに来たことがあり、いいタイミングだと思って、先生に突然の講義をお願いしたら、快く引き受けてくれて、私はコーヒータイムを得ることができました。
そのあとのことです。そこに長年の糖尿病で苦しんでいる人がいて、先生はその人の体を見るなり、アドバイスを始めたのです。
病歴を何も聞くことなく、糖尿病を当て、その人の食生活についてレクチャーを始めました。
カロリー管理してる? うん?、、、そう、それで毎日、納豆、豆腐ね、、、と。驚いたのは当人。まさにそうだったらしいのです。
ここで誤解されると困るのですが、一般的に豆腐や納豆の常食を先生はたしなめたわけではありません。
ただ一点質問させていただきます。
ダイエットしていて豆腐、納豆を毎日のように食べている人がけっこういますが、その人にお伺いしたいのですが、下腹がダイエットしている割にでているとか、たるんでいるようなことはあるでしょうか。
もし腹部にたるみや段々があったり、下腹が出ているような人がいて、毎日のように豆腐や納豆を食べていたとしたら、一度、数週間でもいいので、一回納豆と豆腐をやめてみてください。
そして、下腹のたるみなどが、回復にむかってすっきりしたとしたら、原因はそこにあった可能性があります。
先生はその人を見て、上記の指摘をしました。しかし、何度も言いますが、お豆腐や納豆が悪い、、というのではなく、悪く出る人がいる、、、と言いたいだけです。
豆腐は健康食でもあるし、決して悪口を言っているのではありませんので、誤解はしないでください。風評になったらそれこそ、お豆腐を売っている人に申し訳がたちませんので、そこは誤解しないようお願いします。
しかし、体を壊し、それ以降の豆腐や納豆の常食を、健康法として取り入れることに向いていない人がいる、、、ということなのです。
通常の場合で普通の人が夏の暑い日に冷奴を食べたり、食欲のない朝に納豆を食べるのは、もちろんまったく問題ないし、何の心配もいりません。
ただ、一部にダメな人がいるということです。その場合は、ダイエットの割りに、痩せている割に下腹が出ているわけで、そういう人は、一度、試して欲しい、、、ということです。
そしてその結果、下腹が引っ込むようになったなら、その人の場合は、大豆の消化に無理があったということになります。
ダイエットや健康法はかように難しい面があるのですが、さすが名医の先生は一目みただけで、その人の食生活の問題点をあげたわけです。
逆に言うと、私たちの生半可な知識や体験で、健康法やダイエットなど、本当は考えない方がいいくらいだ、、、という考えが私にも起きたことも事実です。
以来、慎重に体の声を聞きながら、大好きな健康法にトライし、その成果を見つつ、自分にあったものを探り出すことにしています。
飯島先生は、食べ物には何の力もない、、、具体的な形あるものには、何の力もない、、、毒はあるが、本当に毒になったりならなかったりする、、、体に良い食べ物も確かにあるが、それ自体に力は本当はない、、、とおっしゃる。
力があるのは意識のみ。すべてを意識が作り出しているのですから、ダイエット法も健康法も、一定の条件付けでしかなく、そのことがわかって行うことで、盲信はなくなり、むしろ効くようになったりします。
すべての事柄は意識次第ですが、では意識とは何か、、、まず、自身の目がねをはずすことから始める必要があるわけで、自分は何も知らない、、、自分には何の力もない、、、、すなわち、自分も皆も生かされているから、今ここにいる、、、、という意識からのスタート以外、人は間違った道に進んでしまうと思うのです。
何も不安に思う必要などなかった、、、ということでもあります。生かされているのですから。 |
|
|
|