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ものすごくシンプルなものを、あえて難解に、わかりにくくするためには、細分化が必要になります。
そうして、分ける、、、測る、、、という方向性を持たせ、時代と人間を支配してきました。
ついにはイノチに至るまで、分ける、、、測る、、、のまな板に乗せられ、イノチがどこにあるのかさえわからせない、一言でいえば、非常に非人道的な方向が、この数千年取られてきたわけです。
分けて、測った、細分化されたものは、コンピュータ的な頭脳には得意であり、勉強の神がこの世を席巻したことになります。
一方、シンプルなものは、原理としては単純でもその理解に至る段階は無限であり、意識層に応じた理解が存在する世界となります。
もっともシンプルなものは、一体ということです。元一と言ってもよいのでしょうか。
私たちのすべてが戻る場所が一体の世界です。すべてのものはそこから出て今ここにあります。
次に2の概念で示される、プラスマイナスの世界があります。男女、高低、多少、2の概念にも無数の世界があります。
非常にシンプルですが、それでもとんでもなく奥が深いのです。
高低を例にとると、相場は値段の高低を予測し、予測がヒットした際に利益を生む取引きです。
確立は二分の一と思われますが、実際には、相場で儲けるのは10人に1人もいません。
大多数の人が相場では負け、ほんの少数の人だけが儲けられる、、、それが相場です。
上がるか下がるか、確立は二分の一なのに、儲けられる人は10分の一以下とは、、、、不思議な気がしませんか。
高低はシンプルですが、値段が高いときには、強気な人が多いし、値段が低いときは、弱気な人が多くなります。
今、原油相場は下がり続けています。つい二年前までは、今の相場の何倍も値が張っていたのです。
二年前の値段が高かった時、世間では、石油はまだまだ上がる、、、と言われていました。先進国はこぞって資本を石油産出国に投資していました。
本来なら、値段が低いときに資本を投資した方が儲かるでしょうに、値段が低いときには、そうはならず、上がっていくにつれて、投資額は増えていくのです。
値段の動きと人の気持ちの動きは、正比例しています。しかし、理屈で言うなら、上がっているときに投資を増やすより、下がっている際に投資した方が有利に決まっているのですが、実際にはそうはならないのです。
相場の世界では、値段が上がれば上がるほど、大勢の人がまだ上がると思うのです。
下がれば下がるほど、大勢の人がまだ下がると思うのです。
しかし、相場は買いから入ったら、売りで終えなければいけないし、売りから入った人は買って取引を終えなければ成立しません。
要するに、そこに大矛盾が生じる構造をもっているのです。
相場がもっとも高くなるときを、大天井といいます。大天井は、もっと上がると思う人が最大数になった際に現れる現象です。
そして、相場は大天井を打ったら、そこから下がり出すことになるのです。
みんな買っている相場で大天井がつく、、、それらの大量の買い注文は、いずれ反対売買、、すなわち、売って終えるしかない。
大多数の人の買い注文をもったまま、相場は下がり出すわけです。なので、多くの人が儲けることができなくなります。
儲ける人は、みんなの買い注文が殺到した際に、売る注文を出した人だけになるわけです。
要するに、思惑や人気と正反対の行動を起こした人以外は、儲からないのが相場と言ってもよいでしょう。
しかし、人はみんなが買うから、、、今上がっているから、、、という理由で買い注文を出したくなるのです。
要するに、2という二つの相反する現象すら理解することができないことでもあります。
動きはものすごくシンプルでも、多くの人がそれを理解することは難しいのです。
実態の動きを2という両面から見ることのいかに難しいか、、、人類はそこから逃げて、分ける、、測る、、、という量的拡大の道に入り、ついに行き詰まりを迎えたと言ってもよいでしょう。
今必要なのは、シンプルな物事を深く理解する能力であるとも言えます。
貧富の差、、、男女の差、、、年齢の差、、、地域の差、、、こうした2から来るあらゆるものを、強制と対立と力によって推し量るのではない、2の深い理解が求められている時代。
私が開発したポンポンマッサージですが、あれはものすごくシンプルなものです。微弱に叩くことで、叩いた場に吸引の場が作られ、そこにエネルギーが入り込む、、、という、医学的、科学的にまったく無視されている内容に沿った開発だったのです。
医学も科学もかなり進んだことは確かですが、また、素晴らしい内容ももちろんあることは間違いないと思いますが、根本の考えが専門的でシンプルではない面が強い気がします、
健康をシンプルに考えるとエネルギー不足とも言えます。不自然な生活態度、不自然な意識の働きによって、私たちはエネルギー不足に陥っている、、、、と、私は考えているのですが、もちろん素人考えです。
素人考えの方が、シンプルな構造に際しては、理解が働きやすいので、それでいいと思っていますが、ポンポンマッサージはきわめて簡単な原理に立つ方法なのです。
すべては作用と反作用という考えから来ています。私たちは何をしたらいいか、、、とつい考えますが、何をするとどういう反作用がもたらされるか、、、と考えることで、2の世界がより深くなっていきます。
実は作用には何の力もない、、、と私は考えるわけです。厳密に言うと、私が考えたのではなく、飯島先生の影響によってそのことが理解できたにすぎません。
木々が風に揺られると、実はエネルギーが補充できると私は考えます。風に揺られる木々の葉は、揺られた際に元に戻ることになり、その際にエネルギーが吸引されるのです。
反作用の元に戻す働きの中にエネルギーの吸引が起こるのです。木々の葉は、雨に打たれ、外気に触れながらも、ほとんど汚れていません。
エネルギーが満ちているからです。エネルギーが満ちているものは、汚れないのです。私が語っている内容は、もちろん科学的根拠なしの話しですので、そのつもりでお聞きください。
ただ、間違いないと私は思っているわけです。葉が風に揺られたら、葉を元に戻そうとする力がやってきますので、エネルギーを得て、いつでも葉や元気で汚れないのです。
汚れた机は、誇りがたまったのではなく、エネルギーがとくに表面から消えていっているからです。机表面において物質の崩壊現象が始まっているから汚れるのです。
そこに雑巾をもってきて、力を入れて磨いたり、拭いたりすると、机に圧がかかりますので、圧がかかれば、それに反作用する力がもたらされ、エネルギーが満ちて、机はきれいになるのです。
狐につままれたような話にお思いになるでしょうが、自然界の動物の毛皮は汚れていません。しかし、動物の寿命が近づき、肉体の崩壊現象が始まるに従い、毛皮も汚れていきます。
人間に飼われているペットの生活と意識はやや不自然ですので、お風呂に入らないと汚れるかもしれません。これには、また他の原因もあるのですが、基本はそうです。
ポンポンマッサージは、微細な力で軽く肌を叩くのですが、妨げのない反作用がそこにもたらされ、小さな花が咲くように、本当のエネルギーが吸引されてくるのです。
その場が広くなるにつれて、エネルギーが満ちてきて、得も言われぬ気持ち良さと同時に、これまで体験したことのないような体の緩みと癒しがもたらされます。
微細であればあるだけ気持ち良くなります。微細な方がこの世的な物理的力と異なる意識に近い作用になるため、質の良い反作用が質の良いエネルギーをもってくることになるのです。
2の理解を深めたものが、作用と反作用であり、そこからフリーエネルギーにありつけることも、UFOを飛ばすことも可能なはずです。
私たちの時代は、早く物理的力の世界が大きければ大きいほどすごいという考えを抜けて、物理的力が小さければ小さいほど大きなものを動かすというフリーエネルギーの時代に移行することになると思います。
そう考えると、もう今やっていることが言葉は悪いですが、何だかバカらしくなってきて、私は生き方を変えたくなってきて、先日のご報告をさせていただいた次第でもあります。
2の理解ですら、とんでもない世界が開けるのですから、3なんて、私にはわかるべくもない、もの凄いシンプルなのに、どうにもならないほどすごい世界だときっと思います。おそらくこの世は歓喜の構造をしているのだと思います。シンプルにならないと、きっとそこに到達できないのです。
今年はシンプルに、深いものをみなさんと一緒に追求し、場のエネルギーを高めて、社会の役に多少なりとも立てたら、本当に素晴らしいと思っています。
どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。
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