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エネルギーは無からしか訪れない、、、ということをずっと話し続けていますが、実際に私たちの周囲には、ガソリンを使った車が走り、電柱が張り巡らされた世界で電気エネルギーを得て暮らしています。
それでも、本当はエネルギーは無からしか訪れないのです。ガソリンの爆発や電気のエネルギーは、実はエネルギーではなく、ある条件付けの設定に必要なだけなのです。
エネルギーを得るための条件付けだったものを、あたかもそれ自体にエネルギーがあると思ってしまっていたのです。
今も昔もこれからも、私たちは、無から来るフリーエネルギー以外のもので生きていくことなどできません。
無からしかエネルギーは得られないのです。動力や爆発燃焼や化学変化は、条件付けであり、それ自体に何かあるというのとは違います。
それらは、ゼロポイントをつくるための条件付けに必要だったのです。
あらゆる物質はゼロポイントをつくるために利用できます。もっとも簡単なゼロは拮抗状態です。
複雑なゼロポイント及び、それの連続は、ギャップを作り続けることによって可能になります。
ギャップを作り続けるもの、、、それは大自然です。大自然が作り出すギャップは、一度としてまったく同じものはありません。
打ち寄せる波は太古から続いていますが、その波は二度と同じものはなく、すべてが新しいものです。
そして常に新たなギャップによってエネルギーを得ているのです。波打ち際に打ち寄せて砕ける波の音、、、シュワシュワシュシュ、、とまるで炭酸がはじけるような音、、
小さなギャップが解消されていく際の音です。きれいなエネルギーがそこに花咲いているのです。
私は病人を乗せた神輿のようなものを何人かで担ぎ、波打ち際を歩くことを続ければ、そのうち病気はきっと治るのではないか、、、という気持ちをもっています。
暖かな服装で、病にを寝かせて神輿のようにして担ぎ、浪打際を歩く、、、、想像しただけでエネルギーが満ちてくる気がしますが、何も波打ち際でなくてもいいのです。
たくさんの葉が茂る木々に昇り、風が吹くたびに揺れ動く葉の中で昼寝でもしたら、エネルギーが体中に満ちてくるはずです。(ただし木から落ちないようにしてください)
無数の葉がおりなす風とのギャップが素晴らしいエネルギーをもたらしてくれてエネルギーによって満たされるのです。
これらは気分の問題ではなく、エネルギーの観点からの話しです。もちろん現代の科学では問題にもされないものです。
科学は迷信であり信仰である面が大きいのです。もちろん私たちは科学の恩恵を沢山受けているので悪く言うつもりはありませんが、ここまでくると、反動が大きくなり、副作用がすべてを壊しかねない状況に来ていると思います。
遠回りで不自然な条件付けのため、得るエネルギーに比べて副作用が大きすぎてしまう、、、それが今の科学や医学です。
もっと簡単にゼロポイントエネルギーをつくればいいのです。
ゼロポイントを人為的につくれれば、簡単にエネルギーを取り込めます。しかも副作用がありません。
副作用がなくエネルギーが取り込めるとは、最終的には不老不死に至る道になるはずです。
なるべく簡単でシンプルな条件付けでゼロポイントを作ることが重要です。
すべてのものは、フリーエネルギーを得て生存し活動しているのですが、よりシンプルな形のエネルギー取り込みがベターなのです。
大自然はすべての事象でギャップを作り、巧みにエネルギーを得て生き生きとしています。
風が吹くたびに周辺空気との間に、周辺物との間にギャプが生じ、そのたびにエネルギーが取り込めます。
水が動けば、同じことが起こります。風も水も動いている際は常にギャップを作り続けるので、エネルギーが補充されます。
なので、動いている風や動いている水は腐らないのです。エネルギーを補充し続けるからです。
人も同じです。ちょっとゆする、、、ちょっと動かす、、、それを常に行っていれば、基本的にエネルギーを得られます。
お腹がすいたら、腹筋や腹部を軽くゆすっていれば、10分もすれば空腹感が違ったものになってきます。
内臓をゆすることでエネルギーが得られるからです。と言って、思い切ってゆすったり、やりすぎると副作用で体を壊します。
天国の姿は、ですから、へちまが風にゆらゆらとのんびり揺れているようなものと言われるのです。
小さな動き、小さな動きの連続、、、木々の葉が常に揺れ続けるように揺れる軽快さ、、、心地よさ、、、それだけで十分に必要なエネルギーが得られるのです。そう考えれば、健康法もかなり違ったものになってくるはずです。
運動やスポーツは静止しがちな現代文明の補償として生じた面が大きく、副作用によって終止符を打つケースがほとんどです。
激しいスポーツはイメージの上で健康イメージを強制し、魅力的であり憧れたりもしますが、信仰や迷信と同じ構造を持っています。
激しいスポーツには、誰ひとり幸福にしない可能性があります。ほとんどの人が体を壊して中止に至り、間違った憧れと間違った健康イメージと間違った優劣を植え付けるだけで終えていきます。
体に負担をかけた無理するという副作用のため、スポーツは体を健康にした以上にそれによって体を壊した人数の方が多いはずです。
これを社会も国も教育も重要視し、危険に配慮しない面が大きくて心配です。
すべてが事実ではなく、イメージなのです。健康よりも健康そう、、、見せかけで優劣を競わせることで社会は収奪されていきます。スポーツはその頂点に立つ宣伝塔です。
台風の激しい風に当たった葉は、一定の方向に押さえつけられ、その運動からは大したエネルギー補充はかないません。デリケートに吹く風の方が葉にはうれしいのです。
人の体も同様です。動物は常に体のどこかを多少ですが動かしています。それでエネルギーが得られるのです。飼い猫や飼い犬になるとその動きが人間と同じようになり、運動と静止の極状態が増えていきます。
動物も飼われると人間に似てきます。大好きなご主人に似たくなるので、本当にかわいいわけですが、健康面の幸福度から見ると、人間に似てくるのは気の毒なことです。
自然である限り、人も動物も植物も、十分なエネルギーを得られるのです。ですから、問題は不自然ということに尽きます。
不自然な生活、、、不自然な生き方、、、不自然な考え、、、これらが不自然なエネルギーの得方へとつながり、その不自然さに比例した副作用によって私たちは苦しむのです。
有しか存在せず、有にしか問題の解決策はなく、有にしか目がいかず、有にしか関心がない、、、だから苦しみだすのです。
答えは反対にあります。無にしか力はなく、無にしか問題解決はない、ということになります。
ゼロポイントはそして人が人為的に作ることができるわけで、そのことが万物の長としての役割でもあるのです。
具体的なゼロポイントの作り方は、これまでにも何度もお話ししている通りです。
音と音、、、風と風、、、水と水、、、磁気と磁気、、、光と光、、、これらは簡単にゼロポイントエネルギーをもたらす条件付けとなります。
自然界はこうした状態や物や条件を使って、巧みにゼロポイントをつくり、永遠性を表現しています。
すべては振動原理なのです。すべては微振動し、微細なギャップをつくり、そこからフリーエネルギーを得ています。
終わり無き世のめでたさとは、振動原理であり、作用反作用の世界を私たちが一つの命の元で生きていることなのです。
そしてその世界は、有のみを見るものには見えず、ゼロを知り、ゼロポイントを作ることによって、人間としての働きを待っているのです。
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